FM特番「元気です!」より
( 17 ) ~拓郎と母・広島~ (語り・小室等)
小室: 僕は、この「人間なんて」というのを拓郎が絶叫して
いるのに何回も付き合って、そしてバックコーラスで、
「ラ・ラ・ラ・ラララ~」をいっしょに六文銭で何度
もやりましたけれども、当時僕はそのー、「広島、
広島!」っていうふうに言ってるその拓郎の、本心み
たいな事っていうのがどこにあるのか、きっとわかっ
てなかったって思うんですね。で、今も勿論、わか
ってないと思うんだけど、今年ね、ちょうど「原爆記
念日」の時に広島に、原爆記念日の前後、数日間、広島
に居続けたんです。そいで、その原爆の記念日のセレモ
ニーやなんかがどんなふうに行われるのかっていうのを、
見て歩いたんです。で、その時にいろんな人に出会った
んですけど、ある人が、こう、僕に声をかけてきてくれ
てね、あのぅ、「拓郎さんのお姉さんと実は私は友達だ
ったんですけれども、えー、拓郎さんのお母さんが通っ
ていた教会にも、私もずっと行っていて、お母さんと随分
教会でごいっしょしました。」という話を聞いたんですね。
で、「吉田拓郎さんが来てくれて、教会でボブ・ディラン
の歌を唄ってくれたこともありました。」っていうのを聞
いたんです。
「あぁ、そうかっ」って僕、その時に思ったことがあるん
です。と、いうのはその、ま、母親にせがまれて、きっと
教会で唄ったんでしょ断りきれずに。でも僕の知ってる拓郎
っていうのは、そういうのをわりとかたくなに拒むタイプの
人間なんですね。あのー、結構、義理に厚いところもあるの
で、どこかで答えてくれるんだけれども、嫌な事は「嫌だ」
っていうような事も言う男で、ましてや教会でもってボブ・
ディランの歌を唄う拓郎なんてのは、僕は想像もできない事
だったんだけれども、お母さんの通っている、お母さんは熱
心なクリスチャンでしたから・・・で、教会でディランの歌
を唄ったっていう時にね、あのぅ広島に対しての、拓郎の愛
憎っていうのかな、僕らの想像を超えるものがある・・・
あのー、フォークソングを始めた広島、それから自分が育っ
た広島っていうだけじゃなくって、お母さんのいる広島でも
あり、そいでしかもそこで原爆が落ちた広島、そういう状況
の中で、青春を右往左往していた時の彼の人間としての生き
方の中に、いろんなものを、こう、インプットされて、そし
て自分がこう、背負ってしまうには背負いきれないものって
のがやっぱり、広島である事によって、背負わされるものが
ある・・・だけどそんなもの背負いきれやしない、とか、
あるいはお袋のそういう思い・・・
それから、これもホントは言っていいかどうか、拓郎が今、
メシ食いに行って、いないから言っちゃいますけど、拓郎は
こんな事言われると嫌がるかもしんないけれども、お母さんが
その教会で、拓郎が、あの金沢での事件があった時に、「自分
の子どもはそんな人間じゃないっ!」っていう事でもって、
なんか署名を集めてまわったって事もあるらしいです。
で、きっと拓郎はそんなふうな事をお袋がするって事を、多分
嫌がったって思うんだけど、しかし、自分の息子を信じきって
くれるお袋がいるってことは、うっとおしい事と同時に、僕は
それはすっごく子どもにとって「誰が信じてくれなくても自分
のお袋だけは信じてくれている」っていう思いっていうのは、
すごく強いと思うんですね。
あのー、今の親なんていうのは、自分の子が受験なんかやる
ときに塾だなんだって言って、偏差値でこう輪切りにされる
ような受験戦争なんか、いいと思ってないにもかかわらず、
自分の子どもをそういった所にほっぽり出してしまうような
状況っていうのがありますよね。そんな親がいっぱい多いと
思うんだけど、拓郎のお袋さんてのは、そういう人じゃなか
ったし、そういう母親に対する、うっとおしさと愛、それから
原爆の落ちた広島、みたいな事を、抱えきれないものを、
「広島~!」っていう事でもって、なんか絶叫してたのか
なぁ・・・っていうふうに、僕は今年になって、思うわけ
です。
ちょっと話が長くなって申しわけありませんでした。
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