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2005年8月

2005/08/30

2006年「つま恋」日程発表される

2006 拓郎・かぐや姫コンサートインつま恋の日程が本日発表されました。

           2006年9月23日(土)です。

                       場所 つま恋多目的広場

   開場・開演時間等は未定との事です。下記連絡先(電話)にて確認できます。

     0180-99-5511(24時間テープ対応)

      『吉田拓郎&かぐや姫インつま恋2006コンサート事務局』

      が明日31日に開設されます。

     http://www.takuro-kaguyahime.com/

      simpleさんの君に会ってからというもの僕は にて

   2005年OFFICIAL  GOODS情報が掲載されています。

   特設BBS(コンサートツアー専用掲示板)です。

【追記】 夜、確認しますとTY-コンサート事務局内にもグッズ販売の

     アスティ・インターナショナルがリンクされていますね。

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2005/08/29

吉田拓郎&his BIG GROUP with SEO 2005・広島厚生年金会館~to be continued~

●                    ●                     ●

コンサート情報は拙ブログ併設拓郎ファンサイトリンク集内

にリンクを張らせて頂いている

君に会ってからというもの僕は(Simpleさん)のサイト内

コンサート特設BBSへどうぞ!(ネタばれ情報早いですネ!)

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2005/08/27

NACK5 J-POP MAGAZINE 速報

NACK5 J-POP MAGAZINE の拓郎インタビュー後編の

【速報】が早くもアップされていますよ。

先週と同じくTakuro Mania のk-a-さんです。

聞き逃した方、聴取不可能な地域の方、

ぜひとも訪ねてください。

それにしてもこんなに速く【速報】をまとめるk-a-さんの

情熱とパワーには脱帽です。

当方はまたもや時間がかかりそうです。

USEN&楽天グループ  Show Time の動画配信ランキング(音楽編)

8月26日付で拓郎の「'79 篠島アイランドコンサート」が1位になっています。

いよいよ明日、ツアー初日の広島ですね。

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お喋り道楽 拓郎×松本隆④

Tyoshaberibook_3

     時代が変わっても残る歌

拓郎 松本君はお酉は飲まないし、趣味は、本?

松本 本読んだり、歌舞伎観に行ったりしている。

拓郎 『微熱少年』っていう映画もやりましたけど、これから映画とかも作りますか?

松本  映画はちょっとね。

拓郎 小田和正が二作目にトライしているんだけど。

松本 やめたほうがいい。映画は映画で、みんな命懸けているからね。

拓郎  そうなんだよね。

松本  やるんだったら、こっちも命懸けでやんないと。

拓郎 そう、腹くくってやんなきゃいけないと思うよね。僕、映画に出演するだけでも大変だと思ったもの命懸けじゃない、みんな。あんなところにチャラかしで行くと失礼だと思うんで、もう二度と出ないと誓ったんですけどね。映画、作りますか、やっぱりいつ かは。

松本 どうしようもなくなったら作るかもしれないけど。

拓郎 今は小説で表現できると。

松本 小説もね、ここ数年、書けてない。

拓郎  書けてないというのは……?

松本  やっぱりね、韻文と散文てね,正反対なの。同じ言葉なんだけど 両方やるって 、 すごく難しくてね。だから詩を書きたいなと思ったら、小説はお預けだな。

拓郎  全然、世界が違うわけ?

松本  全然違う。簡単にいうと、詩っていうのは引き算なんですよ。いらない枝葉を全部 切っちゃって、幹と根だけにする。それがいい詩なの。小説は逆だね。

拓郎  なるほど。

松本 幹を作って、いっぱい葉っぱつけて、花を咲かせてね。小説は足し算。足し算と引 き算って、両立しないでしょ。

拓郎  なるほどね。かなり違うものなんだ。

松本  引き算は引き算でよさがあるからね。

拓郎  今の音楽についてはどう? いいたくなきゃいいんだけど、小室哲哉とか、あれ系の若い子のものがいっぱい出てきて、僕らの時代では想像もつかないくらいの枚数のアル バムが売れてるわけでさ。『風街ろまん』は何枚?

松本  あれ、想像で1万枚売れたって、喜んでいたよ。

拓郎  今はCD何百万枚っていう世界ですからね。そういう歌の世界を、言葉の世界から 見てて……。

松本  あれって、そんなに興味はないんだけど、要するに物の価値を数で評価するのはやめたほうがいいよ。

拓郎  数でね。

松本 何万枚売れたとかさ、いくら売れたっていうのは、意味ないと思うよ。それより残る歌をどのくらい作るか、そういう物差しではかるともっと厳選されると思う。

拓郎 今は厳選されてない?

松本 今の歌がね、何曲残るのか、分からないですよ。

拓郎  これから十年、歌い継がれるものかは。

松本 十年たってみないとね。だってはっぴいえんどがね、こんなに残るなんて全然思わ なかった。もう二十年以上たっているでしょ。

拓郎   そうですよね。

松本  二十年間、ろくに売れなかったものが残ってるっていうさ。

拓郎  これはすごいことだよね。

松本  これは価値があると思う。時代が変われば、枚数なんて意味がないよ。時代が変わっても残っているかどうかだよ。 

  終

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お喋り道楽 拓郎×松本隆③

     絵空事の世界を壊したかった

拓郎  さて、はっぴいえんどもいろいろあって解散しちゃって、自分が望んでいたかどう かは知らないですけど、気がついたら松本隆は大作詞家になってしまった。そのへんのいきさつはどうだったんですか。

松本 単純にさ、はっぴいえんどでの僕の担当が、詩を全部書いて、ドラム叩いていたわ け。それで、どっちかを選ぼうと思ったの。二兎を追うのは嫌だなあと思って。

拓郎  二兎は追わない人なんだ。

松本 ドラムだとさ、僕が考えるには、はっぴいえんど以上のメンバーっていなかったのね。これ以上のバンドが作れないんだったら、やる意味はないから、スタジオミュージシ ャンになるか、作詞家になるか、どっちかしかない。ロックがこんなに長続きするって思 わないじゃない。

拓郎  あの頃はね。 松本今だったらさ、たとえばストーンズがじじいになってもまだ同じスタイルでやって るわけで,それはそれで素晴らしいことなんだけど、当時、僕らは二十二、三歳でさ、五十すぎてドラム叩いている姿なんか想像できなかったからね。じゃあ、悪いけど、ドラム, ここで思いきってやめてみようかなあと。それって、自分にとってものすごいことだった のね、ナタで命綱ぶった切るみたいな。

拓郎  僕なんかが見れば、松本はドラムでよかったのにねとか思うんだけど。

松本  言葉は、自分で何となくこれでやっていけるかなあと思って。

拓郎  当時はまだ、松本君が作るような言葉づかいっていうのかな、日常会話みたいなも のはなかったでしよう、流行り歌の世界に。やっぱり花鳥風月とか、そっちが圧倒的で。   

松本 絵空事だったの。そういう歌謡曲、つまんないじゃない。嫌いだった。嫌いなんだ けど、変えられるんじゃないかなあと思って。自分が、何ていうのかな、川のこっち側に 立って対岸を見ると、すごいネオンの海が向こうに見えて、ブルックリンからマンハッタ ンを見るようなものですね。で、あそこ行って、ちょっとぶっ壊してみたいなと。

拓郎 人の家を壊すなっていうんだけども、必ず人の持ち物とかを壊してみたくなるんだよね。やっているうちに、簡単に壊れるなっていう感じでしたか。

松本  いや、結構手ごわかったね。

拓郎  手ごわかったですかそれで、いろんなアイドルも含めて注文が来るわけですよね。 男の子と女の子とだったら、どっちが書きやすいというか、乗れるんですか気分的には やっぱり女の子のほうがいい?

松本  どうなんだろうな。周期があるね。女の子ばっかりでちょっとうんざりするなあと 思うと、男の子のが入ってきたりするし。

拓郎  たとえば少年の歌作るときって、やっぱり精神的に少年になるんですか。松本君っ
て、「微熱少年」だよね。

松本 僕ってやっぱり、ピーター·パン世代なのかな。

拓郎  いろんな人の曲を作ってるけど、この子はいい子だったなっていう女の子はいまし たかあまりいうと問題あるかもしれませんけども、この子のはちょっと面白かったなあ っていうのは。

松本 みんな素晴らしくてねえ(笑)。

拓郎  松田聖子はよかったですか

松本  あの人は、スピーカーからさ、僕の詩が肉声になって出てくるじゃない 詩を書いてるときに、こうなるだろうなっていう予感はもちろんあるんだけど、紙の上の文字がス ピーカーから風のように出てくるのよ。

拓郎 松田聖子っていうのは、いちばん最初に曲を依頼される以前から、どんな人なのか っていうようなイメージがあったんですか

松本  あの頃って、『ルビーの指環」とか『ロング·バケーション』とか、マッチのス ニーカーぶるーす」とか、結構売れたんだけど男ばっかりに書いてたのね。女の子が急にいなくなっちゃったわけ。誰か女の子に書きたいなあと思っていたらさ、CMで「裸足の季節」ってあったじゃない、僕の詩じゃないんだけど。何か、この声の人にはね、僕が合 本 うと思ったの。

拓郎 松田聖子には僕が合うなんて、普通の人はなかなか思わないよ。おれだって思いたいけどさ。

松本 僕が書くべきだなあと。

拓郎  書くべきだと(笑)。あ、そうですか。これは天職のようなものだ。そういうのは ハマっちゃうのかもしれないな。

松本 時代の波ってあるじゃないですか。あの頃ってさ、何にも苦労しなくても、時代の 波の頂点に乗って滑っているときだったんですよ。そういう本能的なカンみたいなものが すごく働いているんだよね。

拓郎 たしかに、そういうひらめきみたいなものがバンバン来るときと、全然ひらめかな いときとあるものね。何周波数みたいなものがあるんだろうな。それで、松田聖子には ひらめきを感じたわけだ。

松本 ご飯どきにね、テレビをボーッと見てたらCMが流れてきて、宇宙の周波数みたい なものがピッと来て、箸が止まってさ、うん! おれが書くべきだなって。次の瞬間、三 秒後ぐらいには、そんなこと忘れているんだよ。ずっと忘れてて、いい歌うたっているな あとか思っていたらね、忘れた頃にさ、詩書きませんかって依頼がきて。

拓郎 裏からコネ使ってない?

松本 拓郎じゃないから、そんなことしたことないよ(笑)。

拓郎 そんなことって、おれが年中してるみたいじゃない (笑)"おれはできないよ、恥ずかしくて。

松本 なかなかできないよね。

拓郎  できない。やっぱりいくら何でもね。だけど、このアーティスト、おれだったらと 思う人は時々いるんだよね。

松本  いや、いっぱいいるよ。でもね、僕が聖子をバトンタッチしたのって、『白いパラ ソル」なんだよね。あの頃はもう『青い珊瑚礁』みたいなさ、すごい張ってる高音の肉音 は、たぶん年令のせいだ る人年歯 だけど、 とテンポ落として、しっとりした歌を歌えるんじゃないかなと思って、それで『赤いスイ ートピー』とか作ったの。

拓郎  君はさ、松田聖子とか太田裕美とか、アイドルとか若い女の子たちに、まあ、音程 はこのへんの低いところで歌ったらいいんじゃないかっていう感じで作ってさ、それを分 からない女の子たちが、君のことを先生と呼ぶ。僕は不愉快な気がする(笑)。

松本 呼んでないって。

拓郎  松本先生とかっていって、おれには拓郎さんとかいって、失礼だって(笑)。君も 結構スタジオに行くよね、ボーカル·ダビングとかやってるときに。

松本  最初はね、行ったほうが売れていたの。

拓郎  あれ、ジンクスなの?

松本  うん。あるときふっと気がついたの。売れる曲と売れない曲があって、何が違うかなあと思ってね。そしたらスタジオ行ったものだけ売れていたの。

拓郎  行かなかったものは売れなかったの?

松本  うん。そのうちさ、おれも何か有名になっちゃつて行くとね、歌手の人があがっ たりなんかして。すごく若い人たち出てくるじゃない。十六とか七とかね。そうすると松本さんがいると、緊張して歌えないみたいですとかいわれて。

拓郎  そういうこといってもらえるんだ。おれなんか、スタジオ行くと、今日も来てるとかって、ヒマ人扱いだよ。拓郎さん、今日仕事ないんですかって。バカヤロー、お前のレコーディングだから来てるんだよ。時間がいっぱいあるんですねぇとかいわれながら、楽 しまれてるもん(笑)。失礼な話だよ。

松本  それは人間的な懐の深さという……。 拓郎 そう思ってくれる、本当に? おれは自分でほんとに懐深いと思ってるの、誰もい ってくれないけど(笑)。

松本  いや、深いと思うよ。

 

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NACK5 J-POP MAGAZINE

blog8-25takuro

本日8月27日(土)正午より FMNACK5 J-POP MAGAZINE にて

【吉田拓郎ロングインタビュー・後編】が放送されます。

来年の「つま恋」の話題も出るそうですよ。

また、先週聞き逃した方は拙ブログ記事をお読みくださいね。

きまま日記のコムちゃんさんからトラックバックしていただき

26日のサンスポにNACK5 J-POP MAGAZINE の記事が

掲載されている事を知りました。

コムちゃんさんありがとうございます。

スキャンして記事をそのまま読めるようにしましたので

お読みでない方はどうぞ。サンスポ記事はこちらから。

ツアー初日、広島まで2日ですね。

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2005/08/25

自分の事は棚に上げて ( ⑬ )

今朝は少々寝坊してしまいましたが

元気にコンビニへ。

木曜日のお楽しみ、「日刊スポーツ」の拓郎コラム

「自分の事は棚に上げて」です。

ペラ~と後ろからめくると(何か表現がH・・)

うわぁ!サザンの記事、派手~しかもでかい。

あらら、ミックジャガーの記事もド派手です。

えーと、ありました。

何かだんだん隅っこに追いやられているような気が・・・

「ビルの谷間にも四季はある」・・・うーむ。

台風の怖さは自分も西日本出身なのよくわかるんだけど。

やっぱりツアー直前なんだから、なんかこうコンサート関連の

記事を書いて欲しかったですね。

 


 

ツアー初日「広島厚生年金会館」まで、あと3日です。

 

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J-POP MAGAZINE ( 3 )

blog8-24koiuta

'05 8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE

     【 吉田拓郎インタビュー・前編 】

田家: でもリハーサル拝見しててやっぱり曲数は、そんなにこう

   体調が悪かったりというような曲数ではないですよね。

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2005/08/24

ローリーはエライ!

scanch

ローリー、すかんちのヴォーカル、ギターとして活躍。

現在も多方面で活躍中ですが、今回はローリーの

エピソードを二つ。(拓郎インタビューは明日たっぷり書きますので)

先週の金曜日(8月19日)夜、TBSラジオ「城島茂のどっち派」

をボーッと聞いていたら・・・

「これ拓郎さん的~!」

「この曲は拓郎さん~!」の雄たけびが・・・

「なんじゃ?」、よーく聞いたら、

城島くんとローリー(ローリー寺西、

ロリータ・メガトロ・スカトロ男爵とも言ってたね)が、

曲をかけながら叫んでいたのです。

ローリーは「拓郎ファン」。

ラジオでもこれだけあっけらかんと「拓郎!」を連呼する

ローリーはエライ!

scanchrolly

もう一つ、ローリーのサイト内、ローリーの日記、

2005年7月5日分にも「拓郎」が登場しています。

日記にも「拓郎」の事を書くローリーはエライ!

そんなエピソードでした。

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2005/08/23

吉田拓郎の夏休みがいっぱい

pachinkotakuro2

昨日の深夜に「パチンコNOW TV2」という番組を見ました。

そろそろ「夏休みがいっぱい」が紹介されるだろうなぁ、

と思っていたら、うわっ!紹介されてました。

パチンコは学生時代にやってましたが、その後は

とんとご無沙汰でした。

でもこれは一度やってみたいですね。

詳しい機種説明はSANKYOさんのサイトをご覧ください。

さて、番組ではプレゼントのお知らせをしていましたよ。

「CRフィーバー吉田拓郎の夏休みがいっぱい」の

カタログ&プロモVをセットで3名に、だそうです。

           【 あて先 】

           〒 460-8405

           「パチンコNOW TV2」係

     ※ 希望商品・住所・氏名・年齢・電話番号明記

       9月5日の消印有効

      はがき出してみてはどうでしょうか。

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2005/08/22

J-POP MAGAZINE ( 2 )

'05 8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE

     【 吉田拓郎インタビュー・前編 ② 】

田家: あのー、一番似合わない病気っていうふうに思われるかも
  
   知れないですよね。

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2005/08/21

J-POP MAGAZINE ( 1 )

'05 8月20日(土)FM NACK5 J-POP MAGAZINE

     【 吉田拓郎インタビュー・前編 ①】

~こんにちは、吉田拓郎です。え~今リハーサルが終わって、

田家さんのインタビューを、終わりました。これから家へ

帰って(打ち上げ入ってかも)、ひじきを食べます。

食べたいな、ひじき。~

続きを読む "J-POP MAGAZINE ( 1 )"

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2005/08/20

J-POP MAGAZINE

本日正午からのJ-POP MAGAZINEで拓郎ロングインタビュー

が放送されます。

ぜひ聴きましょう。

【ツアーのリハーサルスタジオにお邪魔してのラジオ独占インタビュー!!】

http://www.nack5.co.jp/index2.html

『追記』 久しぶりに拓郎の声が聞けました。元気そうですね。

【吉田拓郎独占インタビュー】放送の速報レポートが早くもアップされていますよ。・・・                   

          Takuro Maniaさんです。

         http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kamkam/takuro/

当方はいつもの形式でゆっくり再現してみようと思います。(時間かかりそうです・・・)

  

         

          

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K's Transmission '05 8/19 【 ライブ特集 】

yutakanaru

今週のNACK5  K's Transmissionはアルフィーの3人が登場

しました。「拓郎」の話題、曲がかかるコーナーがありまし

たので掲載しますね。(聞き違いはご容赦くださいね。)

続きを読む "K's Transmission '05 8/19 【 ライブ特集 】"

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2005/08/19

お盆休み顛末

盆休みも終わり、通常の仕事が始まりました。

お盆休みにいろいろやりたい事を計画していたのですが、

息子が「おたふく風邪」にかかってしまったため計画は

全て中止しました。

小さい頃に済ませたつもりだったのですが、ほっぺたがぷくぷくに

腫れたので医者に診てもらったところ、おたふくでした。

大きくなってからの「おたふく」って結構高い熱が出ますね。

今は微熱、というところまで下がっています。

既に約2週間経過しているので、そろそろ回復すると思っています。

後は「新盆」の知人、友人宅へお線香をあげに伺いました。

今年に入って知人宅5軒でご不幸があり、訪問して来たわけです。

そんなこんなのお盆でしたのでブログの更新もできずに

いました。


ニッポン放送オールナイト・ニッポン放送中に【10月28日・追加公演】の

CMが流れています。

しかし、ANNエバーグリーン(斉藤安弘さん担当)の時間帯ですので、なんと

午前3時~5時なんです。

聴いている人、少なそうですね。

もうちょっと良い時間帯に流さないと効果ないように

思います。

でもCMはなかなか良くて、ナレーションのバックには

「ああ青春」が流れています。


広島厚生年金会館まであと10日です。

行かれる方、レポート、感想、楽しみにしています。。

拙ブログへもお知らせくださいね。

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自分の事は棚に上げて ⑫

更新が滞ってしまいすみません。

遅くなりましたが木曜日のお楽しみは「日刊スポーツ」、

「自分の事は棚に上げて」です。(既に金曜日ですが・・・)

今回は「今を生きろオヤジ世代」でしたね。

どうも拓ちゃんは「オヤジ」の話題が多いように思いますね。

そうでなくても「オヤジ」なので再認識を促されている気がしないでも・・・

しかし内容は「定年だ還暦だと騒ぐ前に一人の人間

としての充実感を問題にせよ」という事です。

そうですね、単に生きている長さだけでなく

内容、充実度でしょうね。

当方も「今を生きる中高年」だからなぁ~。

●              ●                 ●

T's-Rの更新も頼みますよ~。

レコード会社サイト内の日記なので心配はしていましたが・・・

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2005/08/13

NHK-FM蔵出しライブビート2005

本日8月13日(土)NHK FMにて午後2:00~午前1:00

《 コピペ 》

【夏を一層熱くする特別超番組「蔵出しライブビート」、今年も放送が決定いたしました!

今年も昨年に引き続きの11時間生放送!!!

番組の誇るアーカイブスから、選りすぐった蔵出しセレクションを

たっぷりとお送りします。】

【蔵出しセレクション】

番組の誇るアーカイブスから、選りすぐりのライブをお送りします。

選んで頂くのはラジオをお聴きの皆さん!

【高田渡・高田漣ライブ】

今年4月にお亡くなりになられた高田渡さんの伝説の名ライブを、一挙オンエア。

息子さんである漣さんとの息のあった素晴らしい演奏は、長らく語りぐさになって

いました。本放送の際は、時間の都合でカットした曲もここで開陳。もちろん、

渡さんのライブの醍醐味である毒気たっぷりのボヤキも、時間の許す限り

たっぷりお楽しみ頂きます!

放送の予定は、夜11時10分ごろ。

http://www.nhk.or.jp/livebeat/kuradashi2005/index.html

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2005/08/12

夕刊

夕刊買って来ました。

夕刊が50円だと初めて知りました。

大きくていいですね。

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大きな夜

タイトルは思いつきですのでご容赦を。

晩御飯食べて好きなサイト見てたらば、

朝日新聞の夕刊に拓郎DVDの広告が

出ている事を知りました。(遅いでしょ、あぁどんくさ)

お世話になってる拓郎掲示板Ryanさんのサイトです。

うちでは夕刊を取ってないので(ケチンボですな)、

Ryanさんの所で画像が拝見できてありがたいです。

でっかいですねぇ、明日買って来ようっと。

ありがとうございます。(ここでお礼言ってどうする)

報道ステーションに長渕剛が出て歌ってました。

でもなんか饒舌過ぎて、本番前にセリフ暗記していた

感じで、気持ちが伝わってこなかったなぁ。

これは好みの問題だから仕方ないですね。

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2005/08/11

自分の事は棚に上げて ⑪

木曜日ですから「日刊スポーツ」ですね。

今週はやっぱりハワイなのだなのだ。(なんじゃそら)

ハワイ好きなんですねぇ。

テレビやラジオでもハワイアン唄ってました。

先日、ラジオで「拓郎さんとのハワイツアーで

サイン入りギターが当たった」という投稿がありましたが、

何とも羨ましい話です。

こちらはハワイに行ったこともないし、昔あった

○ャバレーのハワイチェーンすら行った事無いんです。

ハワイの一番の魅力は、そこを流れている空気

なんだそうです。

                 ●

                                  ●

小室等さん文化放送特番に登場

8月14日午後2時~4時 文化放送「ドコモ団塊倶楽部」

                         【JOQRの紹介文コピペ】

文化放送が毎月放送している『ドコモ団塊倶楽部』、8月は小室等

さんがパーソナリティとして登場します。60年代、“自分達の音楽”

としてのフォークを作り出した日本のフォーク界のトップランナーが

60~70年代の音楽シーンを中心に時代を振り返り、現在に言及します。

時代を語るキーワードは、例えば「PPM(当時のアメリカのフォークグル

ープ、ピーター、ポール、アンドマリー)」、「ボブ・ディラン」、「新宿西口」

(新宿西口地下広場フォーク集会。機動隊出動で7千人逮捕)、「中津川」

(70年に中津川フォークジャンボリー開催。日本のウッドストックとも呼ば

れた)、「ジョン・レノン」、そして、「日本語」(谷川俊太郎、大岡信、別役実

ら詩人や劇作家とも交流の深い小室が語る音楽と詞、音楽と劇の関係)など。

果たしてどんな話題が飛び出すか?8月の「団塊倶楽部」をお楽しみに!

■タイトル 『ドコモ団塊倶楽部』
■放送日時 8月14日(日)午後2時~4時生放送
■パーソナリティ 小室等
■パートナー 石川真紀(文化放送アナウンサー)
■総合監修

弘兼憲史(漫画家)

なんか凄そうだけど実際に聴くとそんなでもない事が多いですよね。

2時間でこれだけの話題は喋れないです。

でも小室さん好きだから聴いちゃお。

小室さんしっかり頼みますよ~、

十数年前のラジオで既にフォークジャンボリーの記憶が

あやふやだったような・・・

弘兼憲史さんの奥さん、柴門ふみさんは学生時代の先輩。

でもしゃべった事ありません。

               高中正義 SUPER LIVE 2005
         野音3部作 最終章!野音の夕暮れに気持ちいい曲を!

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2005/08/09

想ひ出

せっかくの申し出を断ったことがあった。

そして「こうして欲しい」と勝手な申し出をした。

でも快く了承してくれた。

これもわがままだね。

                  これが真当の事  これが運命の道

                         さまよう程に  なつかしく

                         はげしい夢も  いとおしく

                      そして何もかもが  遠い記憶になって

                         消えて行く 

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2005/08/07

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑦ 「オレがやらねば誰がやる」 といつも俺は思っている

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拓郎  岡本ちゃんには幸せな部分が一つあると思うんだ。ライバルがいないということね。 ということは、あいつに勝とうとかそういう ことがないだろうからね。まあ、そういう情況に自分を置いているからかもしれないけど。 それが岡本おさみの人生にとって、結果的に いいか悪いかもわからないけれどね。
岡本  そういうことは気にしないって自分で思い込んでいるだけかもしれないしな。
拓郎  まあ時として、泥まみれ汗まみれの仕事をしていることは事実なんだけど…。それ はそうとまた『旅の宿』みたいなもの書いてよ。いや、みたいなってのは大変失礼な言い方だけど(笑)。
岡本  でも、そういうふうに言われると、俺はそれを意識しすぎちゃって、多分駄作しか書けないと思うんだよね。
拓郎   あの曲みたいな歌を作ってよ、なんて言ってくるディレクターとか、一番失礼なヤ ツなんだよね。そう言われるのが一番不愉快だしね。
岡本  それは本当に不愉快だね。
拓郎  そういうヤツがまた多いんだよ。そう いうヤツに限って曲なんて簡単に作れるもの って思っているんだな、また…。
岡本  話は変わるけど、久しぶりにこの間会った時感じたんだけど、相変わらず闘争心旺 盛だね。それから多少権力志向も出てきたような気がした。
拓郎  そうかねえ…。権力志向が出てきたなんて言われたら、もう返す言葉もないんだけ ど…。
岡本  いや、言葉ではどこがどうゆうふうにって説明できないんだけど、僕みたいに現場 からずっと離れていた人間と、時には殺ばつとした現場にずっといて、闘ってきた人間の 違いがね、そう感じさせたのかもしれないんだけどね。
拓郎  まあ生意気な言い方をすればさ、常に俺がやんなきゃいかん。俺がやんなきゃ誰に できるかっていう自負心とか義務感が、俺には人一倍あるわけ。義務感とか正義感だけで 仕事しちゃいかんと思うけどね。でも、ここは一発、俺が踏んばらなきゃいかんという気持ちがいつもあって、寝る前に必ず毎日、その日一日にあったことや話したことなんかを考えるんだけど、結論としてはいつも「よ し、もうちょっと頑張らなきゃいかんな」っ てことになるんだよね。その辺は以前とまったく変わってないわけよ。エレックにいた時 も、CBSソニーにいた時も、フォーライフであってもね。 CBSソニーには大賀さんという社長がいたわけだけど、俺にとってはや っぱり俺のソニー“だったし、たとえ今フ オーライフの社長でなくても、フォーライフ にいたら、"俺のフォーライフ“になるんだよ。 音楽そのものにしても、音楽あってのさじ ゃなくて”オレの音楽、オレの音楽情況“な んだよ。つまり,まず俺が先頭に立ってやっ ていかなきゃいかん、というところは一貫し て変わってないと思うんだ。それはもう、性格としかいえないのかもしれないけれど…。
岡本  だから僕が感じたものはさ、そこに1つの肩書きがついた、その分だけ違うんじゃないかって思ったせいかもしれない。こっちは非常に気楽な風来坊でいたし…。でもさ、社長になって、雑用がふえて、その分だけマイナスになっちゃダメだと思うんだけどね。
拓郎  まあ、雑用も今はよしとしているわけよ、やらにゃならんという気もしているし。それはまあ、さっきいった棟方志功ですよ(笑)。 雑用もちゃんとやれないようだったら、なんかゴチャゴチャえらそうなこと言う資格もないって気がするんだな。ただ雑用をいっぱいやっていると、半分は敵で、半分は味方って ことになってしまうのは相変わらずで、人間 関係で迷わされることが多いね。非常にコミュニケーションがむずかしい。でも、それは仕方ないとして、そういう中で頑張ってやっていくしかない。それが俺の性格、俺の生き方だからね……。
岡本  でも、来年はアーチストとしても、いろいろやるんでしょ?
拓郎  やるよ!
岡本  そりゃいいな。もう一度”つま恋“ク ラスのコンサートやるんだってね。必ずまた見に行くよ。
拓郎  場所はどこになるかまだわからないけど、あの規模のもので、あれ以上にね、お客 さんが燃え上がれるような情況をつくってみせるから、期待していてください。
  (終)

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2005/08/06

HIROSHIMA MON AMOUR

aaaashiano    

        FM特番「元気です!」より

      ( 17 )  ~拓郎と母・広島~ (語り・小室等)

小室: 僕は、この「人間なんて」というのを拓郎が絶叫して

   いるのに何回も付き合って、そしてバックコーラスで、

   「ラ・ラ・ラ・ラララ~」をいっしょに六文銭で何度

   もやりましたけれども、当時僕はそのー、「広島、

   広島!」っていうふうに言ってるその拓郎の、本心み

   たいな事っていうのがどこにあるのか、きっとわかっ

   てなかったって思うんですね。で、今も勿論、わか

   ってないと思うんだけど、今年ね、ちょうど「原爆記

   念日」の時に広島に、原爆記念日の前後、数日間、広島

   に居続けたんです。そいで、その原爆の記念日のセレモ

   ニーやなんかがどんなふうに行われるのかっていうのを、

   見て歩いたんです。で、その時にいろんな人に出会った

   んですけど、ある人が、こう、僕に声をかけてきてくれ

   てね、あのぅ、「拓郎さんのお姉さんと実は私は友達だ

   ったんですけれども、えー、拓郎さんのお母さんが通っ

   ていた教会にも、私もずっと行っていて、お母さんと随分

   教会でごいっしょしました。」という話を聞いたんですね。

   で、「吉田拓郎さんが来てくれて、教会でボブ・ディラン

   の歌を唄ってくれたこともありました。」っていうのを聞

   いたんです。

   「あぁ、そうかっ」って僕、その時に思ったことがあるん

   です。と、いうのはその、ま、母親にせがまれて、きっと

   教会で唄ったんでしょ断りきれずに。でも僕の知ってる拓郎

   っていうのは、そういうのをわりとかたくなに拒むタイプの

   人間なんですね。あのー、結構、義理に厚いところもあるの

   で、どこかで答えてくれるんだけれども、嫌な事は「嫌だ」

   っていうような事も言う男で、ましてや教会でもってボブ・

   ディランの歌を唄う拓郎なんてのは、僕は想像もできない事

   だったんだけれども、お母さんの通っている、お母さんは熱

   心なクリスチャンでしたから・・・で、教会でディランの歌

   を唄ったっていう時にね、あのぅ広島に対しての、拓郎の愛

   憎っていうのかな、僕らの想像を超えるものがある・・・

   あのー、フォークソングを始めた広島、それから自分が育っ

   た広島っていうだけじゃなくって、お母さんのいる広島でも

   あり、そいでしかもそこで原爆が落ちた広島、そういう状況

   の中で、青春を右往左往していた時の彼の人間としての生き

   方の中に、いろんなものを、こう、インプットされて、そし

   て自分がこう、背負ってしまうには背負いきれないものって

   のがやっぱり、広島である事によって、背負わされるものが

   ある・・・だけどそんなもの背負いきれやしない、とか、

   あるいはお袋のそういう思い・・・

   それから、これもホントは言っていいかどうか、拓郎が今、

   メシ食いに行って、いないから言っちゃいますけど、拓郎は

   こんな事言われると嫌がるかもしんないけれども、お母さんが

   その教会で、拓郎が、あの金沢での事件があった時に、「自分

   の子どもはそんな人間じゃないっ!」っていう事でもって、

   なんか署名を集めてまわったって事もあるらしいです。

   で、きっと拓郎はそんなふうな事をお袋がするって事を、多分

   嫌がったって思うんだけど、しかし、自分の息子を信じきって

   くれるお袋がいるってことは、うっとおしい事と同時に、僕は

   それはすっごく子どもにとって「誰が信じてくれなくても自分

   のお袋だけは信じてくれている」っていう思いっていうのは、

   すごく強いと思うんですね。

   あのー、今の親なんていうのは、自分の子が受験なんかやる

   ときに塾だなんだって言って、偏差値でこう輪切りにされる

   ような受験戦争なんか、いいと思ってないにもかかわらず、

   自分の子どもをそういった所にほっぽり出してしまうような

   状況っていうのがありますよね。そんな親がいっぱい多いと

   思うんだけど、拓郎のお袋さんてのは、そういう人じゃなか

   ったし、そういう母親に対する、うっとおしさと愛、それから

   原爆の落ちた広島、みたいな事を、抱えきれないものを、

   「広島~!」っていう事でもって、なんか絶叫してたのか

   なぁ・・・っていうふうに、僕は今年になって、思うわけ

   です。

   ちょっと話が長くなって申しわけありませんでした。

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77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑥ 歌謡大賞のこと フォーライフの新人のこと

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【 歌謡大賞のこと フォーライフの新人のこと 】

拓郎  ところで話は変わるけれどさ、さる高名な役者が、あの『襟裳岬』は『マイ·ウエイ』 よりいい。日本には『マイ·ウェイ』のような歌がなかったけれど、『襟裳岬』はそれをはるかに凌ぐ傑作だって言ってるのを聞いたんだよ。非常にあの時はうれしかったね。 でも、岡本ちゃんの詩って批判されたことってあまりないでしょ…。

岡本  うん,そうかもしれないけど、『襟裳岬』 というとね、こういうことがあった。イラストレーターの和田誠さんの本に「日曜日は歌謡曲」っていうすごく面白い本があるのよ。 その本を読んでいたら『襟裳岬』という歌は二つあるが、島倉千代子さんのものは古いパターンの歌謡曲である。その点森進一の方は 大変新鮮であるかわりに、詩がなんのことかわからない。一体誰が”悩んで“誰が”老い ぽれた“のかわからないって書いてあったわけ。そりゃ、その歌の言葉を吐いた作詞家の僕に決まってるじゃないかってね、今度出した『旅に唄あり』って本にチクリと書いたんだけど…。

吉田  ここに呼んで来い、岡本おさみにかわって俺が教えてやる(笑)"それから『襟裳岬』 というと、岡本ちゃん、歌謡大賞のときテレビに出たじゃない。あれどうして出たんだ っけ?

岡本  あの時の事情とか理由は、『旅に唄あり』 に書いてあるじゃない。おまえ、本読んでく れてないな(笑)。

拓郎   いや、読んだよ。で、本音かね?

岡本  本音だよ。

拓郎  もう一回行かない?賞とってさ。

岡本  なんかもうレコード大賞とか、歌謡大賞ってのはおもしろくないよ。

拓郎   いや、おもしろいって。つまりさ、一 回じゃおもしろくないけど、二回とってもういらないよっていうのはいい。二回も俺たちに賞をくれやがって、バカじゃないと言ってやめるのが一番いいね(笑)" 一回はまぐれってこともあるけど、二回となると評価とか賞としての信憑性もずっと出てくると思うよ。

岡本  じゃぁ、もらうか(笑)それはそうと、 拓郎が今すごく好きな流行歌の歌手っている。

拓郎  歌い手ではいないな。俺はさ、いま棟方志功さんって言われるくらい裏方志向だか らね。だから発想が非常に裏方的になってい るわけよ。「この歌い手はいいなあ、手がけてみたいなあ」とはならなくて、「この人、ダメになったなあ」と思うと、その歌い手をなんとかしてあげたいなあって気になるのね、良く言うと。悪く言うと、そいつでひと山あてようっていう…(笑)。

岡本  フォーライフには、新人でいい歌い手はいないみたいだね?

拓郎  いるじゃない。小出正則とか小林倫博、それに原田真二。いや、この秋の新人三人はいずれも素晴らしいよ。

岡本  小出君だけはステージも見たけど、それほどでもなかったよ。

拓郎  それはね、岡本ちゃん、今のこの世界の情況だけを基準にして考えちゃいかんのよ。 俺だって最初はひどかったし、関西フォーク の雄、岡林信康とかいってたけどさ、俺も彼もギターもあまりうまくなかったし、音程は悪いし、歌もヘタだったしね。それに比べれば最近の連中は平均してギターも歌もうまい。 ただ何が足りないかといったら、やっぱり説得力とかバイタリティ-が足りない。その辺がおしなべてドングリの背比べなのは確かだけど、個性はわりとあるよ。その個性を説得力になかなか結びつけられないだけでね。

岡本  僕はね、音楽性とかいう以前に、ステ ージに出ただけでさ、例えば立ち姿がいいと か、なにかこう、どこから出てきたヤツだろ うとハッとさせられるような歌い手に、そろそろまた出会いたい。

拓郎  そりゃあ、もうあなたが歌うしかない。 オレ、岡本おさみのLPだったら出すよ。売れなくても、それくらいの器量はあるよ。

岡本  じゃあ1年がかりでやるか。でも、そうすると他の詩が書けなくなっちゃう…。   

 

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2005/08/05

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑤ 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』

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【 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』  】

拓郎  それはともかく、俺たちには少くとも感情的なトラブルは何ひとつなかったもんね。 あの野郎、許せないとかいったさ。もちろん、 さっき言ったように岡本ちゃんとは今は仕事やりたくないよとか、今の岡本おさみの詩は俺は買えないよとか、そういうことはあったけどね。

岡本  そういうのは、トラブルでも何でもな いからね。例えば拓郎のその時その時の環境 とか心境とかが変わったり、僕と違ってしまったら、僕の詩を全部放棄されたとしても、 それはそれで仕方ないし、かまわないってこ となんですよ。もともと僕らは、そういう約束事というか前提のもとに仕事を始めていた し、そういうめぐり逢いをしていたのだから。 例えば最近一緒に作った『もうすぐ帰るよ』 にしても、もう3年くらい前に書いたものだ し。

拓郎  まあ思い起こすにさ、岡本ちゃんとは 面白いめぐり逢いだったと思うよ。あの番組の30秒間のCMタイムにね、すべての発端があったような気がする。あの頃二人とも新婚だったし共通の話題もあって「オレ、こう思 うだけど、どう思う」なんて話もしていたん だと思う。その間で十分意志の疎通もできて いたんじゃないかな。だから、例えばr話してはいけない』なんて詩も、そういうところから生まれて俺もすごく納得したんじゃないかな。俺もああいう詩が書きたかった。だ けど、あの頃の俺はメロディ作りとステージの仕事に翻弄させられていて、詩を書けないでいるうちに、書きたいと思っていたテーマをみんな岡本ちゃんが先に書いてきてしまう。 そんな感じだったもん。書きたかったものは全部同じ。それをとりあえず岡本おさみがすべて先にやるわけよ。だからあの頃いつも俺は不愉快だった(笑)。だからまたね、俺としては自分で作った詩のような錯覚にもおちいれたし、『旅の宿』にしても『ライブ'73』に収録されている歌にしても、詩も俺が書いたも のと思っているやつがまだいっぱいいるわけ。 で、ある時期その辺のくやしさというか、いつも先を越されるみたいなところから脱皮するためには:岡本ばなれをしなくちゃいけ ないって真剣に考えはじめたわけ。『今はまだ人生を語らず』を作ろうとした時は、俺も本当にそろそろ自分で詩を書かなきゃいかん、 そうでないと、いつまでたっても岡本おさみにしてやられる(笑)って思った。そろそろ書 かないと印税は持っていかれるし(笑)。

岡本  オレ、拓郎との歌作りがなかったら、 暮らせなかったよ(笑)。

拓郎  こちらとしてはとりあえず岡本ちゃんの力を借りないで『--人生を語らず』は作ろうと思ったわけ。何とか岡本ばなれをしようと...。岡本おさみに影響されたとかいうん じゃなく、先に詩を持ってこられる作業をね 一度断ち切りたかった。それが一番つらいこ とだったし…。

岡本  まあ、影響ってのはないだろうけど、 その辺は拓郎の闘争心だから、すごくいいこ とだったんじゃないかなあ~。

拓郎  そう、負けてなるものかってわけだ。 それで,ある時期になると「そろそろ次のLP作ろうか」って話がレコード会社からくるわけ。で、じゃあやるかということになると,今度は自分で詩を書くか、それとも岡本おさみに頼むかってことを必ずディレクター がきいてくるわけよ。俺は「自分で書くよ」 って一応いつも言ってたんだけど、書こうと身構えて考えてみると、でも、このテーマは岡本ちゃんが既に書いているしな、なんて問題にぶちあたる。表現の仕方は違っても、テ ーマというかルーツが同じだというものを先へ先へと書かれてしまっている。そうするともうダメ、書けなくなっちゃう。そういうこ とが『元気です』『伽草子」「ライブ'73』とず っと続いてきたともいえるね。いつも俺の書きたかったテーマを半歩先きに書かれてしまっていたという感じだ。

岡本  その闘争心ということで言えばね、こ っちは字数のことなんか考えないで書いて それを拓郎がどんどん曲にしちゃったみたいなところがあったでしょう。つまり、そうするとぼくの言葉が拓郎のメロディの中にポコ ッと呑み込まれちゃったみたいになってね、 その辺がとにかく面白かったのだけど、逆にそれが僕の言葉の中での闘争心にもなってい ったわけですよ。じゃあ、どんな言葉を書いたら拓郎がうまく呑み込めるかとか、彼の考 えや趣味嗜好が読めたとかいうのじゃなくて、 恐らく拓郎がさっきから何度か言ってるように、LFで毎週会っていたから、その時チラッチラッと話していた言葉のはしばしから、何かをつかみとっていたんだと思う。

拓郎  本当にそう思うよ、俺も…

岡本  それからね、例えば『祭りのあと』という歌に関して言えばね。僕はちょうどその頃 オフクロを亡くし、彼はオヤジを亡くして, お互いに「つらいな」ってまいっていた時にね、生まれた歌だったんですよ。でも、それがそのまま"悲しいね"というような言葉の歌になったら、多分彼としては曲にしてなか ったと思うんだ。そういう拓郎自身の心情は、 ちゃんと自分で「オヤジの唄』という詩に書 いているし。それが僕の言葉で『祭りのあと』 みたいに、ちょっと違った方向にもっていか れたでしょう。だから「オヤジの唄』はやは り歌っていて、彼も滅入っちゃうこともあっ たろうけど、『祭りのあと』なら、音楽としてものすごく快感を覚えながら、歌えたんじゃ ないかって気がするな。

拓郎   そういう感じで、きっと岡本おさみに俺は読まれていたんだろうね…。で、話はま た戻るけど、『伽草子』というLPもほとんど岡本おさみかあるいは他人の詩なんだけど、 あの中に一つだけ『新しい明日』という、俺の書いたものがあるのね、それであのLPを 聞いた人がみんな言うんだよ。『新しい明日』 の詩だけぐっとレベルが落ちるなって…。こ れがものすごく苦痛だったね。

岡本  そりゃ、腹も立つよな。

拓郎  でも、しょうがないんだよ、大多数のヤツがそう言うのだから。それだけ俺は負けてるんだなと納得するしかなかった。で俺は、LPの中に一つか二つ自分の詩を入れても、やっぱり負けるだろうなと思ってさ。『ライブ '73」の時はもう「書かないぞ」って言ってね、 全部まかせてしまった(笑)。それで次の『今はまだ人生を語らず』では、岡本ちゃんの『襟裳岬』と『世捨人唄』の2曲以外はすべて自分で詩を書いたわけ。そうやって作ってみて、 やっと俺は岡本おさみに勝ったとか、負けたというのじゃなく、違う方向にむかっているなって気がしたんだよ。

岡本  僕もそう思った。あのLPみたいな感 じの詩は、僕にはちょっと書けないなって感 じたもんね。

拓郎  『三軒目の店ごと』っていう歌はどう思った?

岡本  あれは、いいねぇ~。

拓郎  実は岡本おさみには、あんな詩は書けないだろうという自負とてらいがあった(笑)。

岡本  あれはもう酒飲みとさ、酒を飲めない男のさ、どうしようもない違いだよ。でも、あれはとにかくいい。

 

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自分の事は棚に上げて ⑩

natuumi1 

今頃?と言わないでくださいね。

昨日書けなかったので一応書いておきます。

いつものように日刊スポーツ買ってペラペラ~。

ありました!高岡早紀の黒い下着写真の右下っちょに発見。

血液型のせいにするな!!という内容でしたね。

几帳面なんだなぁ、拓郎は。

こちらは大雑把で楽天的な~型なんです。

深刻な事があっても明日になれば解決してるような気がしてたり・・・

● 

   第56回NHK紅白歌合戦~紅白みんなでアンケート

       「結婚しようよ」よしだたくろう(昭和47年・1972)
       

               「旅の宿」よしだたくろう(昭和47年・1972)
       

               「我が良き友よ」かまやつひろし(昭和50年・1975)

       みんなで投票しましょう!!

                http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/

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2005/08/04

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談④ 惰性や栄光を断ち切った コンピ空白期のこと…

【 惰性や栄光を断ち切った コンピ空白期のこと・・・  】
それはそうと、ここ数年、まったく二人のコンビの歌が聞けない時期が続きましたが、 何か理由でもあったのですか?
岡本  それはね、特別のはっきりした原因があったわけじゃないと思う。例えば、ボクサーとトレーナーがいてある時期は二人のコ ンビでものすごく燃焼して、チャンピオンにもなったけれど、その結びつきが惰性になったり、同じ作業の繰り返しになったら、とてもつまらないと思うんですよ。つまり栄光が日常になっちゃったら、やはりつまらないで しょう。だから離れる時には離れることも必要だと思うんです。再び新鮮な出会いの可能 性を残しておくためにも…。
拓郎  まあ、あの頃の俺の心境を正直にいう と、岡本ちゃんは旅ばかりしていたじゃない。 それも使命感で旅をしているみたいに俺にはみえたわけで、俺は、旅っていうのは使命感でするものじゃないって思っていたから、 もし本当にそうなっているのだったら、岡本おさみと俺とは随分遠い違った所へお互いに行っちゃったんだなって感じた。どっちがいい悪いじゃなくてね。とりあえず『ライブ'73』を一緒に作った頃の接点は、歌の世界にもないだろうし、話してみても仕方ない。会って話せば喧嘩になるだけだろうって発想がすごくあったんだよ。まあいい、それなら岡本おさみは岡本おさみでやりなさい、俺は俺でやるからって気になってね。それが男の心情というものじゃないの。
岡本  それはそうだったろうね。でも、僕があの頃年中旅をしていたのは、それはそれなりの下世話な理由もあったわけですよ。例えば『襟裳岬』のあと、家の電話が1日に50回 も鳴るみたいな状態になってね、大部分が仕事の依頼なんだけど、中には、ある流行歌の作曲家なんだけど「ぼくが曲を書いてあげる ということは、あなたにとって素晴らしいことなんだ」みたいなことを平然と電話で言ってきたりね。もう、そういうセリフを聞くとものすごく腹が立つわけ。もう一つは喧嘩に疲れたっていうところもあった。つまり仕事の依頼を断わるっていうのは喧嘩ですからね。 そうやってほとんど断っていたのだけれど、 例えば僕が以前ものすごく世話になった人の紹介とかで、仕事を頼まれたりすると、やはりちょっと断われないな、みたいなことも多 多あってさ。もう、そういうしがらみが面倒 臭くなって、そこから逃れるために旅に出たってところもあった…。
 
拓郎  確かにあの時期の岡本おさみは、大変な売れっ子の作家だったろうから、依頼の量もすごかったと思う。でも俺には、旅をしながらじゃなくちゃ詩は書かん、というのが岡本おさみの姿勢みたいにみえたわけよ。もち ろん、それはそれで男の生き方、生きざまだからさ、そのことはとやかく言えないと思ったけど、ただ自分とはサイクルが合わなくなってしまった、とそう感じた。岡本ちゃんがどこへ旅をしようと、俺は東京で根をはやし て、東京でやりつづけるんだって考えていたから。
岡本  でも、あの頃旅の途中、1か月に1度 は必ず帰ってきていたでしょう。そういう時に必ず拓郎の新しいレコードを聞いたりして いたのね。『今はまだ人生を語らず』とか『明日に向って走れ』とかさ。そうして聞いてみると、彼はもう自分で自分の言葉を吐いている。あのLPにしろ、もう自分の言葉だけで、 キチッと自分のトータルな世界を作りあげていると思ったのね。だからそれはもう詩集と同じもので、そこに余分なものが入るということは、全体の調和を乱すこと以外の何物でもない。そこにはもう絶対に関与できないし、 しちゃいけないと思った。だから、もし僕の方があの頃詩を書いて持っていったとしても、 拓郎は受けつけなかったんじゃないかな。 それからかまやつひろしが歌った『我が良 き友よ』 あの歌は特にすごいと思ったな。 『旅の宿』と同じくらい良かった(笑)。
拓郎  そういえばあの歌をね、旧制高校の時代のことを何も知らないで、よくあんなパン カラふうの詩を書けるもんだ。あれはまったく実感じゃないはずだから、要するに"作られた歌"であるみたいな批評をしている評論家がいたよ。
岡本  それはつまらない批評だね。僕はね、あの歌は「旅の宿』の延長線上にある、拓郎 の本質の一面が表現として出てきたものだと思うんですよ。彼にはものすごく日本的な部 分、日本酒的な部分があるし、かつて大学の応援部にいたというようなバンカラな一面も あると思うからね。それに詩人というか、詩を書いているような連中はみんな風来坊でし よ。じゃあ風来坊には、働いている人の歌を書けないかというと、そうは言えない。まあ そういうことはとても小さなことなんですよ。 要するに作品がいいか悪いかだけのことのはずなんです。

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2005/08/03

コンサート イン つま恋1975

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DVD観ました。

買って良かったです。

画像はちょうど良い色褪せ具合という感じです。

以前発売されたビデオよりやはり良いです。

音質も割と良いです。ステレオ部分とモノラル部分があるようです。

30年前のフィルムを元に製作したDVDだという事を考えると

個人的には大満足です。

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予告通り「写真集」がついていました。

ぷくぷく、くりくりした目のかっこいい拓郎がいっぱい。

そして真剣な眼差しの拓郎も。

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DVDと写真集を囲む帯。

「朝までやるよ!」の文字に手が震えました。

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自分は当時高校生でした。

8月2日は部活の夏合宿(学校で)をしていました。

75年のつま恋に参加できませんでした。

いやいや、もっと情熱があれば親を説得してでも参加していたでしょう。

ところが、その4年前、中学時代に家出未遂を起こしています。

当時毎月読んでいたMUSIC LIFE誌の記事で、

「フェイセズのベーシスト、テツ山内、実家の大阪へ里帰り」

という記事を読んだのです。

銭湯へ行くふりをして、そのままフェリー乗り場へ向かいました。

大阪のどこに居るのかもわからないテツ山内氏に

会うつもりだったのです。

それ以来、親は音楽に対して全く理解を示しませんでした。

両親を説得してつま恋へ・・・到底無理な話です。

もう2年早く生まれていれば・・・は何度も考えた事。

大学生になっていればきっと、なんてね。

結局、高校の文化祭でフィルムコンサートが開かれ、

初めてつま恋を観たわけです。

75年のつま恋コンサートを経験された先輩達に

敬意を表しながらDVDを観ました。

75年のつま恋を体験したファンの言葉には

説得力も迫力もあり過ぎます。

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77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談③言葉とメロディの真剣勝負 二人の頂点『ライブ'73』

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【 言葉とメロディの真剣勝負 二人の頂点『ライブ'73』 】

拓郎  ところで、二人でいろんな曲を作ったけど『ライブ'73』(拓郎のライブアルバム)が 最大の勝利だったと思うね。メロディも詩も対等で、五分五分の勝負をしているし、とにかくあれはすべての面ですごいLPだったと思うよ。 特に『落陽』なんて最高、俺は今でも何度きいても酔いしれるね。

岡本 あれは本当に短期間で作ったよね。ものの1か月かそこいらだった。

拓郎  詩がパーッとできて、それにワーッとメロディつけてさ。そうやってものの一か月で作った曲ばかりなんだけど、俺はあのLP の中の曲ってすべて気に入っているね。ちょっとまずかったなと思うのは『望みを捨てろ』 という曲ぐらいだ。

岡本  その辺はまったく同感だね。

拓郎  それから『晩餐』なんて詩は、最初歌になるかかどうか心配だった。テーマは気に入 ったんだけど「岡山で戦車が......」なんていう詩のところは、一体メロディになるだろうかって思った(笑)。岡本ちゃんの詩だと、あの頃は何でもメロディにできたって感じ。あの時はそれに乗っていたしね…。 で、昨日俺はたまたま小林倫博(フォーライ フの新人)と一日一緒にいたのね。彼が詩を、 俺がそれに曲をつけていま太田裕美のLPを作ってるわけ。で彼の詩の中に”ニュース" という言葉があった。「小林、悪いけどこのニュースって言葉はメロディに乗らないよ。ニュースって言葉自体がもうメロディじゃないんだよ。そこ変えてくれないか」なんて言ったんだけど、考えてみると、俺は平気でニュ ースなんて言葉にもメロディをつけて歌っていたんだよね。それから”積極的“という言葉もあったわけ。今の俺にはその言葉もメロディにならないと思った。まあ、俺が歌うのならともかく、太田裕美の歌でしょ。「積極的、 積極的、積極的」って三つにするんだったら、 彼女にも歌えると思うんだけど、一つだけだったらフレーズとして、裕美にはちょっとキ ツイんじゃないかって気がして「変えてよ」 って要求したんだよ。だけど俺だったら歌っちゃっていたもんね。自分ではそういう言葉を書かなかったろうけど、やっぱり岡本ちゃんの持って来た詩なら、歌っちゃったという 時期が確かにあったよ。 で、話は戻るけど『ひらひら』なんて歌も最高の傑作だと思うし、『野の仏』もすさまじ い曲だしさ、あのLPはすごいよ。とにかくあのLPの頃の岡本ちゃんの詩は、すさまじ くいいよ。メロディともピタッと合っていると思うし、俺としても最大の自信作のひとつ だね。だから、あの辺の作品をとやかくケチ つけるやつがいたら、ブッ殺してやるみたいなところさえある(笑)。

岡本  でも、その少し前あたりの弾き語りの曲、『祭りのあと』とか『制服』なんかも僕は好きだし、いいと思うなあ~。

それから、あの頃僕が一番面白かったのは、 拓郎のステージを聞きに行って、自分の歌が初めて聞けるってこと。それが最大の楽しみ だった。例えば僕の書いた詩に、拓郎が目の前で曲をつけていったり、逆に彼のメロディ があって、僕がその前で歌詞をはめていく言葉をいじくりまわす…なんて作業をやっていたら、お互いにつまらないことになっていたと思うンだな。人間だから互いに「ああして くれ、こう変えてくれ」っていうつまらぬ話 になってトラブルも起こったろうけどね。 でも、そういうことを全部飛び越えちゃって、 とにかく歌として完成したものを初めてきく、というのはものすごく快適なことでしたよ。 ほら『七人の侍』という映画があったでしょ。 なんかよくわからないのが七人集まるんだけど、要するに野武士の盗賊を倒すという目的が同じでね。そういうことだと思うんで すよ。我々もお互いに勝手に作業を進めるけど、目的は同じだった、というような…

拓郎  うん、結局ね、岡本ちゃんといい雰囲気で仕事ができるようになったキッカケというか、結びつきは、恐らくLFのあの番組にあったと思うね。番組の合い間のCMを流している間の短い時間に、何か非常に凝縮された話をしていたんだと思うだよ。「岡本ちゃん この頃おもしろくないんだよ」とか、その辺 の一言ふた言の会話が非常に大きかったんじ ゃないかな。どんな話をしていたのかは、もうまったく記憶にないんだけれど、そうでなかったら、「岡本おさみの詩じゃなけりゃ、やんねえよ」なんて話にはならなかったと思うんだけどね。

岡本  確かに、あの番組の時以外に二人で会って、人生について語り合うなんてことはま るでなかったから、他人から見ると不思議な結びつきだったかもしれないね。

【 商品としての歌でなく 作品本位の歌作りだった 】

岡本  でも、僕の側から言うと、どんなものを書いても拓郎は曲にしてくれたからね。それがすごく楽しかった。つまり、例えば長谷 川きよしだと、知り合ってから8年くらいたつけど、出来た曲は8曲しかない。平均1年に一曲というと、もうお産と同じでしょう(笑)。 そして彼に言葉を渡すと、すぐに電話をしてきて「ここのところの意味は?」とか、もう 大変なのね。そうやっているとお互いにベターッとした付き合いになるし、それに彼の場合、字数が一番と二番とまったく同じじゃな けりゃダメなわけ。それだと従来の歌作りと同じでつまらないし、きよしと仕事となると、 すごく体中がかたくなって、縛られた感じに なるんですよ。ところが拓郎との場合は、変な言い方をすると何にも考えなくてもいいっ て感じ。ただ詩の行数くらいは責任として合わせなくちゃいけないという程度で(笑)。

拓郎  そうだね。確かに長谷川きよしのために作った岡本ちゃんの詩を見ていると、きよ しには悪いけど、曲作りの作業としてはずっ と楽だって気がするね。岡本ちゃんもものすごく気を使って作っている感じだもの。でも俺の場合はものすごく気を使ってくれていな い、その辺りでは(笑)。

岡本  それがね、こっちにとってはものすごい快感なわけなんだよ(笑)。

拓郎  それにしても、あの字余り、字足らずをどう処理しろっていうつもりだったの、あなた(笑)。でも一つ言えることは、あれで洋風なメロディに日本語を乗せるってことの難かしさを打破できたと思うんだよ。やっぱりいつまでも七五調の詩にメロをつけていたら、 たとえ曲は向こう風でも詩はいつも日本で,、いい歌はできなかったと思う。日本語をいかに西洋風のメロディに乗せるかが、俺にとっていつも大テーマだったわけだけど、岡本ち ゃんと組んでやったら、それが割と簡単にできちゃったんだよね。

岡本  とにかく評論家の先生みたいに、お互いに難しい話はせずに、自由にやれたから楽 しかったよな。

拓郎  そう、楽しかったね。それで結果的にも売れたわけだけど、例えば『旅の宿』が売れた時でも、別にどうってことないみたいなところがあったし、それはそれで偶然のことみたいなね…。我々はあの頃、商品として歌を作るなんて意識はなかったし、あくまで作品本位に作業していたと思う。

岡本  そういう意味でも、僕が一番感動したのは『おきざりにした悲しみ』の時だった。

拓郎  それは歌を商品として考えたらね、『旅の宿』の大ヒットのあとに、『おきざり」をシングル盤で出すって手はないよ。ある意味でファンの人やレコード会社を裏切ることになるしね。まして『ライブ'73』にいっちゃったら『旅の宿』のイメージなど、どこかへぶ っとんじゃって、どこにもつながってない。 レコード産業はイメージ産業だと言うけれど、 そんなこと全然関係ないって感じでやってい たじゃない。『おきざりにした悲しみ』はいい歌だから、これをシングル盤にしようじゃな いかってことだけだった。今だったら、あの重い歌詩で、あんな重いメロディの曲、まず シングルになんかしないはずだよ。『旅の宿』 のあとだから、もう少しハッピーな、それふうな曲のほうがもっといいだろうとなるのが今の発想だよね。突然「生きてゆくのは, ああ、さみしいね…」で始まる歌を出すなんて、ちょっとキツイよ。

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2005/08/02

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談② 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』

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【 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』 】 

 

岡本  やっぱりね、僕にとっては『旅の宿』 ができたってことはエポックだった。とにかくものすごくうれしいことだったし、素晴ら しい出来事だった。なんていうのかな、拓郎であろうが誰であろうが、曲を作る人と話しがあって意気投合したといっても、それほ 感動しないし、2~3日もたてばまた喧嘩するみたいなことになるのが普通のことなんです作品を生み出す上ではね…。そういう「昨日は友人、今日ケンカ」みたいなことは日常的なこととしてあったから、あまり信用でき ないわけだけど、作品というのはまぎれもな く作品であって、それまでの人間関係なんて関係ないわけですよ。 やっぱりいい作品ができるとうれしいし、 ものすごく興奮するわけです。だからこそ逆 に、人間的にはずいぶん違っていたのに、よ くもまあ拓郎も何も言わずに我慢して付きあ ってくれたものだと、僕としても感じているところはあるんだけどね。 それはともかく、もうひとつ僕が拓郎に詩を送りつづけてきたのはね、ハッキリ言って、 僕の言葉はわりとベタッとしているんですよ。 なにかコツコツコツコツ歩いているような感じの言葉だと思うんです。そんな言葉に彼が曲をつけると、言葉が急に踊ったり、笑っ たり、泣いたり躍動しはじめる、それがものすごく面白いわけなんです。

拓郎  とにかく二人で相談して作るなんてこ とは一度もなかったね。

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岡本  拓郎が曲をつける時に、「字数が少し足らないんじゃないか」とか、自分では気づか なかった部分、つまり詩の内容的におかしなところやミスをおかしている部分に対して、 彼が攻撃してきたり、そのミスをフォローしてくれたみたいなところはあったわけだけれど、それがなんのかんのってベタベタした相談じゃなくて、電話でね「ここのところ、ちょっとおかしいんじゃない」とかいったカラッとしたものだったから、その辺のトラブルはまったくなかったわけですよ。そういう形のコンビネーションが、結果的にみればすごくよかったんじゃないかと思うんです。

拓郎  そういう意味でも、やっぱり電話の勝利だと言えるよね。

岡本  電話ではクール過ぎるんじゃないかという評もあるけれど、作品づくりって、ものすごくクールなものだと思うんだ。

拓郎   とにかく会わないんだよね。絶対といっていいほど会って話したりしないわけ。例えば『襟裳岬』を作った時でも、会って詩のツメをしようとか、歌作りのイメージ統一をしようとか、そういうミーティングなんてまったくやらないわけよ。ましてレコード会社のディレクターを交えて打ち合わせなんて考えもしない。電話一本ですべてが済んじゃう。 それもたまに電話で「岡本ちゃん、ここのと ころ、こんなメロディになったよ」なんて電話を通してテープを聞かせたり、「テレビはア ホらしい、というフレーズはちょっときつすぎるんじゃない。俺が歌うのならともかく、 テレビに年中出演している森進一が歌うものに、そういう言葉はおかしいのじゃないか」 とか、そんな感じでやってきた。そういうやり方って、ハタから見るとすごく軽薄にみえるかもしれないけれど、二人にはそれしかな かったよね。

岡本  そうだ。確かに作る前に打ち合わせだなんだってやらなくちゃいけない仲だったら、 とても一緒の仕事はできなかったろうね。

拓郎   つまり今のレコード業界ってのはさ、 一つの歌を作る場合、まず作詩家と作曲家に ディレクター、宣伝マンなどが一堂に会して 「こんな詩にしませんか」とか「こういった メロディがほしいんですが」なんて、みんなでいろんなアイデアを出しあってから作業に かかるというのが普通のやり方でしょ。でも 我々の場合は、そういうことは一切なし。森 進一の『襟裳岬』の時だって現場のディレク ターなど、まったく介在させなかった。

岡本   それからお互いに相手の領分を絶対おかさなかったと思うんです。例えば僕の方に 先に依頼があって一緒に作ろうという時は、 詩を書き上げるまではこちらに自由に作業さ せて欲しい、それでいい詩だと思ったらやってくれ、悪いと思ったらやめてもいいと、そんなふうに僕は言ってきたし、拓郎の方から歌作りの話が来る時も、ディレクターはこんな注文をしてきたんだけどみたいな話はまったくなかった。お互いに第三者を介入させずに、お互いの領域をおかすことなく、自由に自分の仕事に最善を尽くしてきたから、またうまくいったのじゃないだろうか。

拓郎   逆に言うとね、例えば俺のところに依頼があっても、詩は岡本おさみじゃなけりゃやらないよ、なんてあの頃は本当にそうだったんだよ。二人で作った曲をうたう歌手は誰かなんてことは、極端にいうと誰でもよかっ た。二人が納得して作れればいいというか、 要するにNGを覚悟の上でやるという感じだったわけ。ただあの頃は、没になるような仕事は俺たちのところには絶対依頼してこなかったね。とにかくどんな歌でもいいから二人にお願いしたい、口出しはしません。おまかせします、って感じだった…。

岡本  だけどさ、『襟裳岬』のときだけは初めて拓郎からテープをもらって聞いたとき、本 当にびっくりしたね。拓郎のアレンジしてきたリズムは『結婚しようよ』と同じような軽快なリズムだったんですよ。それで言葉の方は一見重たいような感じのものでしょう。ある音楽雑誌の人にその拓郎が歌っているテー プを聞かせたら「これは絶対ダメだ、売れな い」って言われてすごく不安だったのを今で もよく覚えている。あの曲はアレンジの勝利 だったのかね(笑)。

拓郎  ただアレンジが変わってよくなったと いうのは、俺としては非常に不愉快なわけよ (笑)。俺が自宅でデモテープを録音したときのアレンジってのはキャロル·キング風で、ア レンジャーに渡すときも”キャロル·キング 風にやってほしい“って注文書きを付けたく らいでね。森進一がそんなふうに、ビートのある歌い方をするのもいいんじゃないって思ってね。でも、やっぱり出来上がりは森進一ふうになっていた。まあ、それよりも『襟裳 岬』に関しては、岡本おさみに負けたと思ったし、今でもそう思ってるね

岡本  でも、あれはやっぱり森進一も良かったと思う。あの歌の言葉の中には”暮らしの 匂い“なんてあんまりないわけですよ。比較 的きれいな言葉でね。そんな詩があの人の声 にかかると、パアーッと人間の暮らしが浮き あがって見えてきた。あの辺はすごいですよ ね、やっぱり…。

拓郎  それで俺は自分のLP『今はまだ人生 を語らず』の中で、ささやかな抵抗をした(笑) 。俺のアレンジは最初ああいう感じだったんだってね(笑)。でも、やっぱり小室(等)さんなんかも、森進一のものの方が数段にいいって言うもんね。

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8月2日

8月2日になりました。

「吉田拓郎・かぐや姫コンサート・イン・つま恋1975」のDVD発売日です。

予約されていなかった方もレコード店・・じゃなくてCDショップ行ってみましょうよ。

「やっぱ買っちゃお!」って思います、きっと。

で、家で一人で見ましょうよ、あれこれ想いを馳せて。

奥歯をついかみ締めてしまうかもしれませんし、知らぬ間に

拳を握り締めていたり・・・歌を口ずさんだり・・・

そんな気持ちに自分はなりたいです。

明日、仕事が終わったらDVDを抱えて急いで家に帰ろう。

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2005/08/01

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談① 決定的な出会いは『旅の宿』 と「フォーク·ヴィレッジ」

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二人だけで直接会って話すのは本当に久しぶりだった。いや正確にいうと10数日前二人は会っているのだが、その時は他にも大勢の人をまじえた席であった。それだけに二人の間には、ある種の懐かしさと共に、緊張感さえただよっているように思えた。話は過去の思い出ばなしからゆるやかに入っていったが、次第に現在あるいは「歌」の話になっていくと熱い炎が二人の間を飛び交いはじめ、時にはぶつかり合い、時にはすれちがい、笑いや共感の輪をつくりだした。そして、それぞれ固有の確固たる世界と信念で生きてきた二人の男の"生きざま"が、相手の世界と鏡のように反射しあいながら、"いま"に生きる男の心情を浮きぼりにしていった。

【 決定的な出会いは『旅の宿』 と「フォーク·ヴィレッジ」 】

まず初めに”歌作り“という部分での二人の出会いの話からでもしていただけますか。

拓郎  岡本おさみの詩ではじめて僕が歌を作ったのは『ハイライト』という曲でね、確かジァンジァンでコンサートをやる少し前だっ たと思う。それを高田渡ふうのブルース進行で歌っていたら、岡本ちゃんが「そんなふうにサラッと歌われたんじゃかなわない、そう いう詩ではないはずだ」って言ってさ、いろ いろ批判されたのをよく覚えている。

岡本  そうそう、ジァンジァンでコンサートをやろうということになって、僕がノートに詩を書いて、拓郎ところに持っていったんだ よね。その中から最初に曲になったのが『ハ イライト』と『花嫁になる君へ』だった。

拓郎  それで『花嫁--』のほうは岡本ちゃんも納得したんだけど、『ハイライト』のほうは気に入らなくてさ。あの歌はオレ、ステー ジで少し茶化して歌っていた。だからお客さんがゲラゲラ笑うわけ。それが当時の岡本お さみには耐えられないことだったんだよね。

岡本  そういう体質なんだよ…。

拓郎  あんなふうに笑われる歌じゃないんだ って盛んに言ってたよ。俺の詩のとらえ方が 岡本ちゃんにとってはまったく感違いにしか思えなかったんだろうけど、俺はあれでいいんだと思っていたから、それで押し通した。 だけど「おまえの解釈は違っているんだ」と 言われて、でも俺は「ちがわねえよ」ってツッぱって、結局当分一緒に歌作りはできないということになり,やらなかったんだよね。 そのあとは、もう『旅の宿』になっちゃう。

岡本  『旅の宿』の前に、それ以外に何もなかったんだっけ…。

拓郎  いや、『こっちを向いてくれ』ってのが あって、ステージではずっと歌っていたけれ ど、レコーディングしたのは『旅の宿』よりあとだった。

岡本  やっぱり「旅の宿』からかな。なんか溶け始めたなって感じになったのは…。

拓郎  そうだね。あの『旅の宿」の詩を電話でさ、いい詩があるから書きとめてくれって言われて受けとった時はね、とにかく最初の "ゆかたの君は、ススキのかんざし…"というところだけで、いや…、これはすごいんじゃないかって体にブルッときたもん。でもまあ『旅の宿』をやるまでは、本当にあんまり 二人は合わないんじゃないかって感じだったよね。ただ当時ニッポン放送の「フォークビレッジ」という番組で一緒に仕事をやってたから、縁が切れなかった。それがその後にい い方向の結果を生んだんじゃないかな。

岡本  そう、僕が構成やって、その上しゃべ らされたりもしていたから、最低限のコミュニケートが拓郎ともできた。

拓郎   一応俺がパーソナリティでしゃべって いたんだけど、その間ずっと岡本ちゃんが目 の前にドーンと座っているわけよ。それでレ コードをかけている合い間に、ああじゃ、こうじゃって、いろいろ話しながら番組を作っ ていた。結局俺と岡本ちゃんというのは、あの番組を通して知り合い、何らかのコミュニケートをしていたんだよね。

岡本  拓郎がしゃべって、僕が番組の構成をやっていたから、実際いやでもマイクをはさんで、必ず定期的に顔を合わせていた。それ があとにつながったと言えるかもね。

拓郎  俺の前にこの番組のパーソナリティをやっていたのが佐良直美で、ジミー時田の時から岡本ちゃんがやっていたというから、この番組の主みたいに当然のごとく岡本ちゃんが LFにいて俺たちも必然的に会うようにな ったわけ。そうやっているうちに『旅の宿』 ができてうまくかみ合うことができた。やっぱりこの曲が決定的な事件だったね。一番最初の『ハイライト』では決定的にやばくなっ たのに、その後うまくいくようになったのは…。

岡本  だけど『花嫁になる君に』が、『ハイラ イト』の危機を救ったようなところがあったんじゃない。

拓郎  それはあったろうね。ただあの頃は、 岡本ちゃんと話をして、歌作りの途中で詩を こう変えようとか、メロディをこう変えよう とか、そういうことはまったくなかったよね。 作られてきた詩にそのままメロディをつけて歌うとかさ、たとえば「拓郎、そこのメロディおかしんじゃないか」とか、岡本ちゃんからもそういう話は全然なかったし、「こういう メロディになったから、岡本ちゃん、ここち ょっと詩を変えてよ」なんて話もまったくな かった。あの頃は、とりあえずレコードになるとか、作品が商品になるんだみたいなこと をまるで考えてなかったからね。とにかくス テージで歌う曲ということだけで作っていた

岡本  『旅の宿』も確かそうだった。シングル盤のレコードになるなんて考えてもなかった。 拓郎がステージでやっていて、すごく反響が 多いから深夜放送かなんかで流したんだよね。 そうしたらたちまちリクエストのトップになったったという話を聞いた。そうきいたとき、僕 としてはどういう歌がみんなに受けるいい歌 なのか、何もわかっちゃいなかったから、ただへエーッって驚いていた。 その後レコーディングのとき、スタジオに 行ったんだけど、ステージでの拓郎の弾き語りばかり聞いていたものだから、どうなるのだろうかって本当に興味深々でしたよ。とい うより実は恐ろしくてね…(笑)。だってダンボール箱をもち出してきて、それを叩いてリ ズムをとっていた。ドラムの音じゃダメだといってね…。なんかわけがわからなかったけれど、それを見てて、やっぱり音楽家っての はすごいなって......(笑)。

拓郎   このレコーディングはどうなるんだって心配そうに言ってたもん。

岡本  だけど、ミュージシャンには、ドラムじゃなくてダンボールを叩くというのが、ある種の感覚的な判断なわけでしょう。最後には、こういうサウンドでまとまるんだってい う構想があったわけでしょう?

拓郎   いや、それがまるでなかった(笑)。

岡本  でも、あの時僕はすごい尊敬したんだよね、ミュージシャンと呼ばれる人たちを。

拓郎   いや、実のところは俺も一体どうなる ことかって思ってた(笑)。アレンジやってい た石川(鷹彦)だって、そう思っていたはずだよ、あの時は……。

岡本  僕はマンドリンの音が入った時に、ワーツすごいと思った。

拓郎  そう、マンドリンを入れて、ハーモニ が入った瞬間に、これはいけるって俺も思 ったよ。

岡本  僕としてはとにかくダンボールを使ったのをみて、まずミュージシャンというのは尊敬に値いする人々だと思ったわけ(笑)それで、もうこれ以上絶対に口だしはしちゃいか ん、自分の領域じゃないと思った。

拓郎   いや ダンボールの中に布切れ詰めこんで、その前にマイクを立てて叩くわけなん だけど、そうするとバスドラの音がするのよ。 でも、あれは感覚的にすすんでたというかキマッてたね。できあがりを聞いた時、これは絶対、間違いなく売れると思った。 でも、それよりも何よりも、あの歌は詩がすごかったよ。詩の勝利だよ。あんな詩はもうなかなかできないんじゃないかな…?

岡本  最近でもないもんな。結局ね、こういうことが言えると思うんですよ。当時、言ってみれば洋風な曲を作りたいっていう気持ち が僕にもすごくあったわけだけど、その辺のところは、今度僕が書いた「旅に唄あり」 という本で、やっと何年かぶりに種明かしし たのだけれど、この数年で僕が旅をしながら見た風景というのは、まさに日本以外の何ものでもなかったわけです。で、拓郎もあの頃 の歌っていうと、ブルースっぽいというか、 そういう感じの歌を多く作っていたけれど、 その中には常に妙に日本的なところのあるものが多かった。『ともだち』という歌にしてもね。で、とにかく洋風のというか、アメリカ やイギリスのレコードを聞いて、それにただかぶれてしまって歌を作るんだ、というのとは違うものが拓郎にもあるということがわかって、それで何かものすごく気軽になったみたいなところが僕にはあった。今だから言うのだけれどね…。

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8月

1975-111

8月。
つま恋1975のDVD発売は明日。
なかなか寝つけないのは蒸し暑さのせいではなく、
DVD発売直前だから。

      いつも  いつも 

      遠くから 遠くから

      見ていた  ヒロシマ

拓郎はヒロシマを遠くから見ていただけじゃない。

広島の教会でボブディランの歌を唄っている。

1975-22

文化放送でもつま恋のDVD発売に合わせて

こんなコーナーが。

http://www.joqr.co.jp/gozen/songs/index.html

8月2日午前11時17分頃から放送。

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