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2005/08/05

77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談⑤ 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』

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【 吉田拓郎の闘争と挑戦だった 『今はまだ人生を語らず』  】

拓郎  それはともかく、俺たちには少くとも感情的なトラブルは何ひとつなかったもんね。 あの野郎、許せないとかいったさ。もちろん、 さっき言ったように岡本ちゃんとは今は仕事やりたくないよとか、今の岡本おさみの詩は俺は買えないよとか、そういうことはあったけどね。

岡本  そういうのは、トラブルでも何でもな いからね。例えば拓郎のその時その時の環境 とか心境とかが変わったり、僕と違ってしまったら、僕の詩を全部放棄されたとしても、 それはそれで仕方ないし、かまわないってこ となんですよ。もともと僕らは、そういう約束事というか前提のもとに仕事を始めていた し、そういうめぐり逢いをしていたのだから。 例えば最近一緒に作った『もうすぐ帰るよ』 にしても、もう3年くらい前に書いたものだ し。

拓郎  まあ思い起こすにさ、岡本ちゃんとは 面白いめぐり逢いだったと思うよ。あの番組の30秒間のCMタイムにね、すべての発端があったような気がする。あの頃二人とも新婚だったし共通の話題もあって「オレ、こう思 うだけど、どう思う」なんて話もしていたん だと思う。その間で十分意志の疎通もできて いたんじゃないかな。だから、例えばr話してはいけない』なんて詩も、そういうところから生まれて俺もすごく納得したんじゃないかな。俺もああいう詩が書きたかった。だ けど、あの頃の俺はメロディ作りとステージの仕事に翻弄させられていて、詩を書けないでいるうちに、書きたいと思っていたテーマをみんな岡本ちゃんが先に書いてきてしまう。 そんな感じだったもん。書きたかったものは全部同じ。それをとりあえず岡本おさみがすべて先にやるわけよ。だからあの頃いつも俺は不愉快だった(笑)。だからまたね、俺としては自分で作った詩のような錯覚にもおちいれたし、『旅の宿』にしても『ライブ'73』に収録されている歌にしても、詩も俺が書いたも のと思っているやつがまだいっぱいいるわけ。 で、ある時期その辺のくやしさというか、いつも先を越されるみたいなところから脱皮するためには:岡本ばなれをしなくちゃいけ ないって真剣に考えはじめたわけ。『今はまだ人生を語らず』を作ろうとした時は、俺も本当にそろそろ自分で詩を書かなきゃいかん、 そうでないと、いつまでたっても岡本おさみにしてやられる(笑)って思った。そろそろ書 かないと印税は持っていかれるし(笑)。

岡本  オレ、拓郎との歌作りがなかったら、 暮らせなかったよ(笑)。

拓郎  こちらとしてはとりあえず岡本ちゃんの力を借りないで『--人生を語らず』は作ろうと思ったわけ。何とか岡本ばなれをしようと...。岡本おさみに影響されたとかいうん じゃなく、先に詩を持ってこられる作業をね 一度断ち切りたかった。それが一番つらいこ とだったし…。

岡本  まあ、影響ってのはないだろうけど、 その辺は拓郎の闘争心だから、すごくいいこ とだったんじゃないかなあ~。

拓郎  そう、負けてなるものかってわけだ。 それで,ある時期になると「そろそろ次のLP作ろうか」って話がレコード会社からくるわけ。で、じゃあやるかということになると,今度は自分で詩を書くか、それとも岡本おさみに頼むかってことを必ずディレクター がきいてくるわけよ。俺は「自分で書くよ」 って一応いつも言ってたんだけど、書こうと身構えて考えてみると、でも、このテーマは岡本ちゃんが既に書いているしな、なんて問題にぶちあたる。表現の仕方は違っても、テ ーマというかルーツが同じだというものを先へ先へと書かれてしまっている。そうするともうダメ、書けなくなっちゃう。そういうこ とが『元気です』『伽草子」「ライブ'73』とず っと続いてきたともいえるね。いつも俺の書きたかったテーマを半歩先きに書かれてしまっていたという感じだ。

岡本  その闘争心ということで言えばね、こ っちは字数のことなんか考えないで書いて それを拓郎がどんどん曲にしちゃったみたいなところがあったでしょう。つまり、そうするとぼくの言葉が拓郎のメロディの中にポコ ッと呑み込まれちゃったみたいになってね、 その辺がとにかく面白かったのだけど、逆にそれが僕の言葉の中での闘争心にもなってい ったわけですよ。じゃあ、どんな言葉を書いたら拓郎がうまく呑み込めるかとか、彼の考 えや趣味嗜好が読めたとかいうのじゃなくて、 恐らく拓郎がさっきから何度か言ってるように、LFで毎週会っていたから、その時チラッチラッと話していた言葉のはしばしから、何かをつかみとっていたんだと思う。

拓郎  本当にそう思うよ、俺も…

岡本  それからね、例えば『祭りのあと』という歌に関して言えばね。僕はちょうどその頃 オフクロを亡くし、彼はオヤジを亡くして, お互いに「つらいな」ってまいっていた時にね、生まれた歌だったんですよ。でも、それがそのまま"悲しいね"というような言葉の歌になったら、多分彼としては曲にしてなか ったと思うんだ。そういう拓郎自身の心情は、 ちゃんと自分で「オヤジの唄』という詩に書 いているし。それが僕の言葉で『祭りのあと』 みたいに、ちょっと違った方向にもっていか れたでしょう。だから「オヤジの唄』はやは り歌っていて、彼も滅入っちゃうこともあっ たろうけど、『祭りのあと』なら、音楽としてものすごく快感を覚えながら、歌えたんじゃ ないかって気がするな。

拓郎   そういう感じで、きっと岡本おさみに俺は読まれていたんだろうね…。で、話はま た戻るけど、『伽草子』というLPもほとんど岡本おさみかあるいは他人の詩なんだけど、 あの中に一つだけ『新しい明日』という、俺の書いたものがあるのね、それであのLPを 聞いた人がみんな言うんだよ。『新しい明日』 の詩だけぐっとレベルが落ちるなって…。こ れがものすごく苦痛だったね。

岡本  そりゃ、腹も立つよな。

拓郎  でも、しょうがないんだよ、大多数のヤツがそう言うのだから。それだけ俺は負けてるんだなと納得するしかなかった。で俺は、LPの中に一つか二つ自分の詩を入れても、やっぱり負けるだろうなと思ってさ。『ライブ '73」の時はもう「書かないぞ」って言ってね、 全部まかせてしまった(笑)。それで次の『今はまだ人生を語らず』では、岡本ちゃんの『襟裳岬』と『世捨人唄』の2曲以外はすべて自分で詩を書いたわけ。そうやって作ってみて、 やっと俺は岡本おさみに勝ったとか、負けたというのじゃなく、違う方向にむかっているなって気がしたんだよ。

岡本  僕もそう思った。あのLPみたいな感 じの詩は、僕にはちょっと書けないなって感 じたもんね。

拓郎  『三軒目の店ごと』っていう歌はどう思った?

岡本  あれは、いいねぇ~。

拓郎  実は岡本おさみには、あんな詩は書けないだろうという自負とてらいがあった(笑)。

岡本  あれはもう酒飲みとさ、酒を飲めない男のさ、どうしようもない違いだよ。でも、あれはとにかくいい。

 

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