77年大いなる人・拓郎×岡本おさみ対談② 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』
【 打ち合わせなし・・・ 自由な作業の勝利『襟裳岬』 】
岡本 やっぱりね、僕にとっては『旅の宿』 ができたってことはエポックだった。とにかくものすごくうれしいことだったし、素晴ら しい出来事だった。なんていうのかな、拓郎であろうが誰であろうが、曲を作る人と話しがあって意気投合したといっても、それほ 感動しないし、2~3日もたてばまた喧嘩するみたいなことになるのが普通のことなんです作品を生み出す上ではね…。そういう「昨日は友人、今日ケンカ」みたいなことは日常的なこととしてあったから、あまり信用でき ないわけだけど、作品というのはまぎれもな く作品であって、それまでの人間関係なんて関係ないわけですよ。 やっぱりいい作品ができるとうれしいし、 ものすごく興奮するわけです。だからこそ逆 に、人間的にはずいぶん違っていたのに、よ くもまあ拓郎も何も言わずに我慢して付きあ ってくれたものだと、僕としても感じているところはあるんだけどね。 それはともかく、もうひとつ僕が拓郎に詩を送りつづけてきたのはね、ハッキリ言って、 僕の言葉はわりとベタッとしているんですよ。 なにかコツコツコツコツ歩いているような感じの言葉だと思うんです。そんな言葉に彼が曲をつけると、言葉が急に踊ったり、笑っ たり、泣いたり躍動しはじめる、それがものすごく面白いわけなんです。
拓郎 とにかく二人で相談して作るなんてこ とは一度もなかったね。
岡本 拓郎が曲をつける時に、「字数が少し足らないんじゃないか」とか、自分では気づか なかった部分、つまり詩の内容的におかしなところやミスをおかしている部分に対して、 彼が攻撃してきたり、そのミスをフォローしてくれたみたいなところはあったわけだけれど、それがなんのかんのってベタベタした相談じゃなくて、電話でね「ここのところ、ちょっとおかしいんじゃない」とかいったカラッとしたものだったから、その辺のトラブルはまったくなかったわけですよ。そういう形のコンビネーションが、結果的にみればすごくよかったんじゃないかと思うんです。
拓郎 そういう意味でも、やっぱり電話の勝利だと言えるよね。
岡本 電話ではクール過ぎるんじゃないかという評もあるけれど、作品づくりって、ものすごくクールなものだと思うんだ。
拓郎 とにかく会わないんだよね。絶対といっていいほど会って話したりしないわけ。例えば『襟裳岬』を作った時でも、会って詩のツメをしようとか、歌作りのイメージ統一をしようとか、そういうミーティングなんてまったくやらないわけよ。ましてレコード会社のディレクターを交えて打ち合わせなんて考えもしない。電話一本ですべてが済んじゃう。 それもたまに電話で「岡本ちゃん、ここのと ころ、こんなメロディになったよ」なんて電話を通してテープを聞かせたり、「テレビはア ホらしい、というフレーズはちょっときつすぎるんじゃない。俺が歌うのならともかく、 テレビに年中出演している森進一が歌うものに、そういう言葉はおかしいのじゃないか」 とか、そんな感じでやってきた。そういうやり方って、ハタから見るとすごく軽薄にみえるかもしれないけれど、二人にはそれしかな かったよね。
岡本 そうだ。確かに作る前に打ち合わせだなんだってやらなくちゃいけない仲だったら、 とても一緒の仕事はできなかったろうね。
拓郎 つまり今のレコード業界ってのはさ、 一つの歌を作る場合、まず作詩家と作曲家に ディレクター、宣伝マンなどが一堂に会して 「こんな詩にしませんか」とか「こういった メロディがほしいんですが」なんて、みんなでいろんなアイデアを出しあってから作業に かかるというのが普通のやり方でしょ。でも 我々の場合は、そういうことは一切なし。森 進一の『襟裳岬』の時だって現場のディレク ターなど、まったく介在させなかった。
岡本 それからお互いに相手の領分を絶対おかさなかったと思うんです。例えば僕の方に 先に依頼があって一緒に作ろうという時は、 詩を書き上げるまではこちらに自由に作業さ せて欲しい、それでいい詩だと思ったらやってくれ、悪いと思ったらやめてもいいと、そんなふうに僕は言ってきたし、拓郎の方から歌作りの話が来る時も、ディレクターはこんな注文をしてきたんだけどみたいな話はまったくなかった。お互いに第三者を介入させずに、お互いの領域をおかすことなく、自由に自分の仕事に最善を尽くしてきたから、またうまくいったのじゃないだろうか。
拓郎 逆に言うとね、例えば俺のところに依頼があっても、詩は岡本おさみじゃなけりゃやらないよ、なんてあの頃は本当にそうだったんだよ。二人で作った曲をうたう歌手は誰かなんてことは、極端にいうと誰でもよかっ た。二人が納得して作れればいいというか、 要するにNGを覚悟の上でやるという感じだったわけ。ただあの頃は、没になるような仕事は俺たちのところには絶対依頼してこなかったね。とにかくどんな歌でもいいから二人にお願いしたい、口出しはしません。おまかせします、って感じだった…。
岡本 だけどさ、『襟裳岬』のときだけは初めて拓郎からテープをもらって聞いたとき、本 当にびっくりしたね。拓郎のアレンジしてきたリズムは『結婚しようよ』と同じような軽快なリズムだったんですよ。それで言葉の方は一見重たいような感じのものでしょう。ある音楽雑誌の人にその拓郎が歌っているテー プを聞かせたら「これは絶対ダメだ、売れな い」って言われてすごく不安だったのを今で もよく覚えている。あの曲はアレンジの勝利 だったのかね(笑)。
拓郎 ただアレンジが変わってよくなったと いうのは、俺としては非常に不愉快なわけよ (笑)。俺が自宅でデモテープを録音したときのアレンジってのはキャロル·キング風で、ア レンジャーに渡すときも”キャロル·キング 風にやってほしい“って注文書きを付けたく らいでね。森進一がそんなふうに、ビートのある歌い方をするのもいいんじゃないって思ってね。でも、やっぱり出来上がりは森進一ふうになっていた。まあ、それよりも『襟裳 岬』に関しては、岡本おさみに負けたと思ったし、今でもそう思ってるね
岡本 でも、あれはやっぱり森進一も良かったと思う。あの歌の言葉の中には”暮らしの 匂い“なんてあんまりないわけですよ。比較 的きれいな言葉でね。そんな詩があの人の声 にかかると、パアーッと人間の暮らしが浮き あがって見えてきた。あの辺はすごいですよ ね、やっぱり…。
拓郎 それで俺は自分のLP『今はまだ人生 を語らず』の中で、ささやかな抵抗をした(笑) 。俺のアレンジは最初ああいう感じだったんだってね(笑)。でも、やっぱり小室(等)さんなんかも、森進一のものの方が数段にいいって言うもんね。
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