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2005年4月

2005/04/25

( 33 ) 拓郎・小室等・坂崎幸之助「憧れた人」

拓郎: もうきょう、ずっと1時からやっててね、そいで何時頃に話したか忘れましたが、結局スターになりたかったと。(笑)
坂崎: ほう。
拓郎: じゃないかと、僕は。自分で自分をこうね、探っていくに従って。あの、今、こじつけなんですよ、ほとんど。ふと思うに、俺はスターに憧れてたんじゃないか、と。ファンレターを出したりとかリクエストをしたりとか結構まめにする少年だったんだよ。で、結局そのスターの人達に実際に会えるようになってみて、会ってみると実際に会わない方が良かったと思う人もいたし、会って良かったって人もいるんだけど、坂崎君にとっての日本のスター、あのつまりファンレターを書いてみたいとか、お世話になった女優さんとかなんか・・・
坂崎: 女性で?
拓郎: うん。 つまりもうもの凄く、この人とだったらどうなってもいい、恋焦がれた人よ。
坂崎: はい、言いづらいんですけどね、えー男は拓郎さんですよ。
拓郎: うん、で、女の人は?
坂崎: ちょっと・・拓郎さんの前で言いづらいんですけどね・・(笑)浅田美代子・・・うっふっふ。
拓郎: ・・・浅田美代子さん・・・あれ好きだったの?
坂崎: 好きです、あと木の内みどりさん・・・
拓郎: あの時代のアイドル・・・
坂崎: はい、いわゆる普通の・・・手の届かないっていうんじゃなくて手の届くっていう感じですよね。
拓郎: ふーん、はぁー、木の内みどりさんと浅田美代子さんねぇー、二人、タイプ違う・・
坂崎: 結構身近ですよ。(笑)
拓郎: よく知ってます二人とも、はい。
坂崎: うふふふふ。
拓郎: お前、お前ね、もっと違うのを・・こういう時なんだから、違う人を・・やめろよお前(笑)身も蓋もないってこういう事言うんだよ。(笑)
坂崎: すいませーん。
小室: うひゃひゃひゃ・・
拓郎: なーんだそれっていうさ。あぁそうかねぇ。でもタイプは違うねふたり。もし木の内みどりさんや浅田美代子さんに会ったら、どうしますか?いきなり歌、歌っちゃう?
坂崎: 歌っちゃいますね、僕、吉田拓郎さんよく知ってますから。(笑)♪これこそは~って。(笑)
拓郎: 木の内みどりは喜ばない。木の内みどりさんて、そういう人じゃない。わりとミーハー嫌い。軽薄は嫌いなの。こんな事、俺が詳しく言ってもしょうがない。(笑)誰かの奥さんだよね。
小室: がっはっははは。
坂崎: 竹中さんですね。
拓郎: 小室さんは?
小室: 俺、俺の頃は、ずーっと昔だよね。自分がガキだった頃に・・・月丘夢路さん、とかね。
拓郎: あれですか、やっぱりオナペットだったんですか?
小室: いやいや全然、俺が子どもの頃に、もう向こうはホントに熟女。
拓郎: 年、関係ないよ、僕だって小学校、中学校の頃に若尾文子さんとか、この人がお母さんだったらいいなと思って、夢精してましたね。(笑)
小室: あと、あの、お通さん、八千草薫さん。
拓郎: はぁ~。八千草薫さんて清楚な・・
小室: 宮本武蔵のお通さんだったんだよ。三船敏郎さんの時かな?
拓郎: 凄い話になってきましたね。(笑)芦川いずみっていう人、いなかったかなぁ。あの人が学校の先生ならいいな、と思って・・学校行くたびに、なんで俺の学校、こういう先生いないんだろうって。あの人が学校の先生、やると、裕次郎かなんかと、もう憧れまくるっていう。
小室: ♪姉さん先生~は、芦川いずみさんをイメージしてた?
拓郎: いや、これはホントに鹿児島でね、宮崎先生ってね、いたんですよ。顔、形、全部覚えてますよ。あの小学校の2年の時に担任の先生でね。僕、小学校2年の時に、すごく憧れてる女の子がいたんだけど、下駄屋の娘だったですけど。子供心に好きだったんだけど、ある日、相撲を取らされて、男子と女子で。負けるんだ俺、どの女の子とやっても。で、砂があるでしょ、あそこへ投げ飛ばされて、そのチズコちゃんて子が僕を投げ飛ばして、ポンと蹴られたんですよ。
小室: あらら、そりゃ傷ついたねぇ。
拓郎: うん、ひどく傷ついて、泣いたの。チーちゃんが僕をいじめた、とか言って。したら宮崎先生が、「よしよしよし」とか言って「吉田くん、もう大丈夫よ。きょう、先生んちへ遊びに行こうか?」って俺をおんぶしてくれて・・・「ぼく行くー」(笑)で、背中におんぶされた時に、先生のこのうなじ、首筋からなんか大人の人の匂いがして、なんかもう、このままこすりつけていたい・・・
坂崎: かっかっかっかっ。「こすりつけていたい」って。
拓郎: へばりついていたい、だ。表現が違う。(笑)間違えた。(笑)今、つい本心が出ちゃって・・このまんまずっといたい・・・
坂崎: 後ろから(笑)
拓郎: 後ろから、おいおい。(笑)おんぶはこうするもんだよお前。そいで家まで行って、「はい降りなさい」って言われても、「いやだ、僕、降りない」ってすっかりもう真っ赤になってんな俺は。(笑) その先生の事なの宮崎先生って。大好きだったの。その時に、チーちゃんから、大人の先生への恋に変わったんですよ。
坂崎: はぁ~、そん時に作ったんですか?
拓郎: バカ! 小学校2年で、できないよぅ。(笑)それ作ったら今頃俺、ビートルズだよ。入ってるよストーンズに。(笑)
・・・一部略・・・
拓郎: しかし二人には何もお聞きせずに、一人で喋ってる気もしますが。
坂崎: いいんです、拓郎さんの番組ですから。
小室: そうそうそう。
拓郎: もうあと30分ですから、冷たいビールをアキヨさん(アナ)が用意してくれてるって言うんで・・・
小室: ああいいな。
拓郎: 飲みたいなと思っておりますが、30分ですので待ってて下さい。
坂崎: 待ってるんですね。
小室: はい。
拓郎: ここで泊まろうよ。
坂崎: (笑)生がありますから。(笑)
拓郎: 小室さん坂崎さん、どうもありがとうございました。
坂崎: どうも。
小室: 失礼しました。
 
「落陽」
 
続く
 
 
 

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2005/04/24

( 32 ) 拓郎・小室・坂崎 「子どもの頃聴いたラジオ」

拓郎: 歌が好きだ、音楽が大好きなんだけど、その音楽みたいなのを最初に耳にしてね、例えば学校で音楽を習うじゃないですか。
僕の通ってた高校の音楽の先生ってのは、ピアノを使わない、っていうユニークな先生で「俺はピアノで教えたくないんだ」って言うわけ。で、アコーディオンで教えるわけです。
坂崎: それ横森良三さんみたいですね。(笑)
拓郎: 「お前達は小中学校でピアノで音楽を学んだが、それやめろ」って言うわけ。それから学校の教科書使わずに、自分で歌集を自分の好きな歌、北帰行とかあるじゃん、それ歌わせるわけ。
小室: 歌声広場みたいな、ともしび、みたいだね。(笑)
拓郎: そう、すぐクビになったけど、教育委員会から。(笑)だけどそういうユニークな教育してもらったおかげでさ、高校時代にはすっかりもう歌謡曲、歌ってたの。
坂崎: ほぇー。
小室: すごいすごい、それは。
拓郎: 坂崎少し年代が違うんだけど、僕とか小室さんはゲルマニウムラジオなんて時代があったわけ。
小室: そう、自分たちで作ってねぇ。
坂崎: ありましたよ、ちっちゃい時。こういう所に着けると電波が入るんですよね。
拓郎: ああいう時代でしょ。だいたいラジオでしょ。するとさ・・
小室: 尋ね人、なんてやってたもんね。ラジオで。延々と、どこそこ出身の誰々さんとか・・・
拓郎: あー、そりゃ何年頃のあれなの?「君の名は」の頃だよ。
拓郎: し、知らないよ。(笑)
小室: うそー。(笑)
拓郎: 俺は戦後のドサクサは知らないよ。
小室: だってアンタ俺と2つしか違わないじゃん。
拓郎: 2つ違うと大きいんじゃない?そのへんが。
小室: ふぇー、尋ね人、知らないの?
拓郎: うん知らない。
小室: 坂崎知らない?
坂崎: 俺は全然知らないです。(笑)小室さんと10年違うんですから
小室: あらごめん、いずれにしてもラジオの世界だったね。
拓郎: なんの話だっけ? えーと、そう、ラジオでかかる番組ってさ、おばあちゃんが聴いてる番組とかさ、親が聴いてる番組でしょ。おばあちゃんは浪花節を聴いてるわけですよ。俺はおもしろくないなぁ、と思ってるわけ。
小室: そこが違うわ。俺は浪花節がおもしろいとラジオで聴いた世代だもん。
坂崎: はぁー。
小室: もうみんなラジオのスピーカーに向かって耳をそばだてて、渋茶を飲みながら・・・
拓郎: 子どもが渋茶を飲むわけ?
小室: いやいや、渋茶をのんでる大人の隣で、なんか、落花生みたいなのを・・
坂崎: ぶはっ、落花生。(笑)
拓郎: 唐突に落花生が。(笑)あのねぇ、また話が。(笑)小室さんが話すと話がわかんなくなっちゃうんだよ(笑)
小室: あららごめん。(笑)
坂崎: 音楽が流れてたと、ラジオで。(笑)
拓郎: 姉貴が聴いてるのが歌番組なわけ。島倉千代子とかね、歌謡曲を聴いてるわけですよ。結構、そういう所から歌謡曲を聴き始めて、流行り歌を聴き始めてさ。
小室: S盤アワーなんてやってたよね。
拓郎: それはもう相当あとでしょ。僕の子どもの頃の話。
小室: あぁそうだ、俺は言わない方がいいね、よけいな話。(笑)
拓郎: それで、一番最初に聴いてた曲、歌謡曲って覚えてる?
坂崎: 最初ですか? 覚えてないなー。
拓郎: 小室さん覚えてます?
小室: 覚えてるよ。例えば、♪イヨマンテ燃えろかがり火
拓郎: 俺も覚えてるって事は、同年代かぃ?(笑)
小室: ほらみろ!(笑)
拓郎: イヨマンテ(熊祭り)の夜。
小室: そうそうそう。
坂崎: 守屋浩さんとか。
拓郎: ♪僕は泣いちっち
坂崎: あと、大学数え歌でしょ。
拓郎: あ、大学数え歌、それは結構もうポップだよ。
小室: あれは? ♪野球小僧にあったかい
拓郎: 灰田勝彦。
小室: 同世代なんだよー。(笑)はははー。
坂崎: 確認しないでくださいー。(笑)
拓郎: そいで映画もあったの。
坂崎: それは知らないなぁ。
拓郎: それはそうだよねぇ、小室さんその頃東京だったんでしょ。
小室: 東京でした。
拓郎: 俺は鹿児島にいても、やっぱり電波の力って凄いですね。灰田勝彦を同時に知ってるという。なに話してるかほとんどわかんなくなったけどそういうのを聴いてたわけですよ。(笑)さ・・・(笑)
小室: うわはは・・オチは無いの?
拓郎: ない。(笑)ただそんだけのこと。(笑)
坂崎: それだけの事だったんですよね、大事な事ですよ。(笑)
拓郎: それを思い出して・・・どうする?(笑)
小室: えっへへへ。つまり、ラジオで音楽を聴いた時代である。
拓郎: そういうこと。(笑)例えばさ、歌謡曲を聴きながら、ビートルズを聴きながら、ホブ・ディランもやりながら、片方で、三波春夫の♪おーい船方さん・・も好きだったりするこの現実。(笑)
小室: ♪おーい船方さん、は三波春夫じゃないだろ。
拓郎: 三波春夫ですよ。
坂崎: ♪おーい中村くん
小室: 三波春夫かぁ。(笑)えぇー、そう。(笑)
坂崎: いろんな音楽、まとめて聴きますよね。
拓郎: 雑多にね、いろんなの聴いてるわけ。で、好きな歌っていうのはやっぱり流行歌だったんだよね。坂崎はどう?
坂崎: いざこうやってギターを持って歌うとね、日本のフォークが出てくるんですよ。24、5の連中でも、それこそ拓郎さんの曲とかね。俺らが子どもの頃の歌っていうと、やっぱりフォークなんですよ。だからフォークが♪おーい船方さん、なんですよ。
拓郎: あぁ、そういう事か。
小室: だっはっはっはは。
拓郎: なーんだそうか。俺は船方さんなの?
小室: 俺たちの前には吉田拓郎は、いなかった。(笑)
坂崎: そう。(笑)
拓郎: 俺は、きょうから船方さん。♪俺は船方さん。(笑)きょうから僕の事、船方さんと呼んでください。(笑)

ハガキ、読みますか?
・・84年、後楽園のジョイントコンサートが大雨だったという内容を
 受けて・・
拓郎: はは、あったねぇ。俺なんか何もしないで帰って来たよ、あの日。(笑)いきなり打ち上げだったよ。
小室: ははー、ウソだぁー。

「流星」

続く

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( 31 ) 吉田拓郎「元気です」「拓郎、小室等」を語る

拓郎: それからですね、小室さんちに行くと、奥さんと小室さんが、よく呼んでくれてね、食えない頃ですから。お酒もおごってもらったり食事も食わしてもらったりしました。ま、ご飯をご馳走になって、「飲んでいく?」とか訊かれて、「頂きます」とか言って飲み始めると、だいたいまぁよく、議論になって、小室さんが理論的に間違ってるわけです。小室さんがですよ。僕が正しいわけです。(笑)
で、その時、「お前バカ野郎、お前、なんだかんだ言ってもなぁ戦争っていうのは何で起こるか、わかるか?」訊かれるたびに俺は絶句して、「参った」と。答えられないから。それを10年ぐらいずっと続けてて。(笑)ずーっと長い付き合いなんだけど、やっぱ立派なのは、俺じゃないか? 小室等っていうのは、何か雰囲気と、生まれた時から仙人だったんじゃないかっていう雰囲気とか、先輩だとか、PPMやる時のギターが上手いとか、そんな事でみんなが錯覚してるだけで、本当は、とんでもないヤツだっていう事件が札幌であった。
坂崎: なんですか?(笑)
拓郎: 小室さんの部屋に、女のファンが訪ねて来た。俺はやめようと思ったんだけど、「小室さん、ファンが来ましたよ」っつったら、「そうか」って・・・ファンの子が入って来ました、部屋へ。小室さんはその時スーツを着てました。新六文銭の頃ですけど。
坂崎: あ、♪12階建てのバスがバスがやってくる(笑)
拓郎: ♪パーパパッパ、何言ってるんだよ。(笑)その時代なんだが、そいで柳田ヒロってヤツと、後藤次利とかといっしょに、「小室さん、ファンの子が来てますよ」って言って。そしたら小室さん、「10分ぐらいしたら呼びに来てくれ」って。その時、スーツ着てましたよ。でもなかなか出てこない、女性が・・・「おかしいなぁ」と思って、コンコン、「小室さん時間ですから、帰しましょ」って。
「ああそうだな」、「じゃ、さよなら」ってドアを閉めてから、僕と柳田ヒロは、「小室さん・・なんか・ファッションが違ってない?」なんかステージ衣装を既に着てて・・(笑)ステージ衣装のジャケット着て・・・っていうのありましたよね、小室さん。(笑)小室さん、小室さん、とんでもないですよね。本当は金沢で捕まるのはキミだった。(笑)
坂崎: あははー、ちょっと危ないなぁ。(笑)
小室: その事の真偽はともかくとしてね、あのー恐ろしいのはね、そういう拓郎と言い合っていた時に、ホントに恐ろしい事に、俺が正しいと思ってたんだよ、その時ね。だけど、今、すべての事を思い返してみると、俺が間違ってたなぁ、全部。(笑)
拓郎: お、ちょうどいい機会だよ、キミが全部間違ってたって事を、ちゃんと言っとこうよ。(笑)
小室: 本当に恐ろしい事だと思う。僕はね、たくさんの人に議論を吹っかけてね、その都度自分が正しいと思ってたけど、全部僕が間違ってたね。
拓郎: それは、キミが正しいと思ってたもんだから、しょうがないから俺らが間違ってると思ってたわけよ。(笑)
坂崎: よくボヤいてましたもんね、拓郎さん。
拓郎: おう、俺と井上陽水はホントにね、「いっつも俺たち怒られてんなぁ」っていう、「何だろう」って言うんだけど、やっぱ小室さんが偉いんだろうな、って事で納得してたわけ。本人が「俺が違ってた」って言うんならさぁ、こりゃぁ井上もきょうから心が晴れて、もう心もよう、みたいな歌作らない。(笑)傘がない、なんて歌にしない。(笑)
小室: がははははっ。
拓郎: 他人の歌をボロクソ言う集団ですが、曲いきますか。小室さんに是非、こうあって欲しかった。(笑)

「素直になれば」

続く

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2005/04/23

( 30 ) 拓郎「フォークジャンボリー」を語る

拓郎: その今そのー、生ギターっていうかアコースティックギターの響きに酔いしれてしまいましたが、ギブソンのJ45とマーチンの35ですかそれ
坂崎: 28です。
拓郎: 28、名器が2台。もう素晴らしい、ギターってねぇ名器と不名器いや無残な物とあるんですよ。いいのに当たると何十年もすればするほど、どんどん音が良くなるんですが、このギターは結構名器?
坂崎: えぇ。 ・・・ 「ある雨の日の情景」のイントロを弾き始める・・・
拓郎: そういうの弾くなよ。(笑)お前。(笑)止まっちゃうんだよ、俺、「おっ」って。いちいち「何だっけ」って思っちゃうんだ。そういうギターを僕らが弾いてる頃に、小室さんは六文銭ていうグループがあってですね、この話をぜひきょうはしたいと・・・
あの中津川フォークジャンボリーって、さっき「人間なんて」っつぅの、かけてたでしょ。で僕はそこでマスコミ的に言うと、スターになった、っていうふうな話なんですが、現実は俺しか知らない、という悲劇があった。それはですね、確か、あそこは寝る所もなかったんですよね、小室さん。(笑)
小室: えーっへへ。
拓郎: 俺は「東京って所はひどい所だ」って思ったんですが、僕は全然東京に来たばっかりで、まだ六文銭の後ろをついてまわるって感じで・・・
小室さんなんかはフォークジャンボリー、詳しいんですよね。それで、ステージはいいんだ、どうでも。問題は、夜どうやって寝るかで、ところが、朝までコンサートやるから、山を降りてですね、山の上の方でやってたから、寝る所は下の方しかなかったんです。
小室: あのね、僕も中津川フォークジャンボリーに関しては全然歓迎されてなかったの。で、拓郎とか僕らとか東京から行った人間は、わりと押しやられてる、というか関西の人達はちゃんと宿舎とかちゃーんと泊まる所とかあったんですけど、僕らは、その、湖畔の傍のバンガローに寝なさい、って事になってたんだよね。それは、寝たい時にそこへ行けば寝られるって事になってたんだけど、もう、ドサクサになってるから、そこは人がみんな入ってるわけよ。そいで拓郎も俺らも、六文銭もなかったの、宿舎が。そして「山を降りればどっかで寝られる」って事になったわけ。
拓郎: そうでしたね。(笑)
小室: それで白々と夜が明ける頃に・・
拓郎: 降りても降りても、着かないんだ、ふもとに。そいでね、下のふもとに着いたのが、だいたいそうですね夜が白んできて、真夏だったんですよ。で、やっとロッジみたいなの見つかったんですよ。で「みんな寝よう」と。で、ふと気がついたの。寝にくい。なぜかっつうとね、夏でしょ、山でしょ、セミが凄い鳴いてるわけ。(笑)ミーン、ミーン!
小室: ちょうど夜が明けてきてね。
拓郎: 「とても寝られない!」っと思ってたんですよ。「寝にくいなぁ、ステージも疲れたし」とか思ってたら・・・
大先輩である小室さんがですね、「恒平と拓郎、ちょっと来い」とか言って。先輩ですから彼は。「はい」って言ったら、「お前達ねぇ、あのセミ静かにさせて!」って。(笑)
坂崎: あはははっ小室さんがですか?
拓郎: そいで・・
小室: 「キミ達には二つの仕事がある!」
拓郎: そう、「二つの仕事がある」
小室: 一つはねぇ・・
拓郎: 行方不明になったヤツを探せ。
小室: 行方不明になったメンバーが二人ほどいるから、どこにいるかという事を確認せよ。どこかで合流できるようにせよ、これが、1つ。
拓郎: もう1つは、「セミがうるさいから静かにさせろ」(笑)で、その、一個のテーマは、見つかったんでよかったんですが、セミが静かになってくれないの。で、もう、僕たち後輩は、及川恒平と僕はですね、「どうやったらこのセミを静かにできて、小室さんをゆっくり眠らせてあげられるだろうか」と。
しかたがないから、そこらじゅうにある石をいっぱい集めてですね、セミめがけて石を投げる。(笑)1時間ぐらい、「こらーセミー、静かにしろー」。したらさすがに静かになりましたよ。(笑)いなくなったから。(笑)
それぐらい石を投げた、ほいで小室さん所へ行くと、すっかりお休みで・・(笑)俺たちは寝れないよねー、朝から力仕事でさ、セミ追っかけてるんですから。(笑)俺、そんときに、この音楽仲間の先輩、後輩っていうのは凄いなぁと、つまりいっしょにステージで歌ったりして、やってても「うるさいからセミを静かにさせろ」っていうのは、ほとんど応援団だな、と。(笑)あんときですよ、東京のヤツは良くないヤツが多いなと思ったのは。(笑) 

続く

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( 29 ) 拓郎、小室、坂崎三人で

拓郎: これやりましょうか。コード覚えてます?
坂崎: チューニングはどうですかねぇ。小室さんカポありますよ。
拓郎: 小室さんカポなくても上手いでしょ。
小室: いやいや~。
坂崎: チューニングが・・・
小室: フォークってのは、似てればいいんだよ。(笑)
坂崎: あ、近ければいいですね。(笑)
拓郎: これチューニングっていう曲ですって言ってたよね。(笑)
坂崎: 昔ありましたね。
拓郎: 小室さんなんか十二弦ギターチューニングするの20分ぐらいかかるからね。(笑)
小室: あれ、弾けないや。
坂崎: 「全然弾けない」って、小室さーん。(笑)僕らは小室さんをコピーしたんですから。そういう立場の人間を目の前にして。(笑)
拓郎: ショックだよなぁ。
坂崎: ショックですよ。(笑)
小室、ギターをぎこちなく弾き始める
一同: ははははっ。
拓郎: アマチュアみたいだね。(笑)も一回やってみ。
小室: あれ?
坂崎: ♪キングサーモン・・・
小室: あぁ、そういうのあったね。
小室、坂崎のギターで「花嫁になる君に」
拓郎: 坂崎詳しいんだ。(笑)うまいねぇー、うまいねぇー。パチパチパチ・・・小室さん、リズム悪いねぇ。(笑)
小室: ついていけないんだもん、指が。(笑)
拓郎: なんか二人でやってよ。スリーフィンガー。
坂崎: スリーフィンガーですか? パフ?
拓郎: 何でもいい。坂崎がパっと弾けば、小室さんは「ああそれ」ってやってくれるから。
坂崎: かえって難しいですね。 六文銭やれとか・・
拓郎: 六文銭やって。あれは? 「夏・二人で」、できる?
坂崎: あ、できます。
拓郎: うぇーー、凄い。これ、いい歌なんだ。
拓郎: 小室さん、「夏・二人で」が弾ける奴いないよ。
「夏・二人で」(拓郎、坂崎二人で歌う)
拓郎: 懐かしいねー。
坂崎: ありましたね。六文銭ですよね。僕ね、あれも弾けるんですよ、小室さん。なんだっけな、♪ある朝ぼくは汽車に乗った 切符も買わずに・・・(五年目のギター)
拓郎: 小室さんの曲?
坂崎: 小室さんと石川鷹彦さんの曲ですよね。
小室: 小林と・・・
坂崎: むかーしの曲ですよね。
拓郎: 何でさ、坂崎の方が知ってるわけ、そんなに。
坂崎: ♪それから激しさは
小室: はぁーーー!
拓郎: 小室さん!はぁーーーじゃないんだよ。(笑)
小室: これ、岩沢幸矢が作ったんだ。
拓郎: あぁぁ、さっちん!(ブレバタ)
小室: おぉー、責任感の欠如を感じるね。(笑)えへへー。
坂崎: そういうのを聴いて育ってましたからね。(笑)
拓郎: 責任感のかけらも無い。(笑)フォーライフの社長の頃から。 坂崎、キミ全部知ってる?
坂崎: 大体グループごとにいけば。チューリップやってくれって言えばやりますし、かぐや姫もいけますよ。あの拓郎さんがプロデュースしたっていう、♪雪が降るよ~
拓郎: 似てるー!似てるー!似てるなーお前。
坂崎: あとは、♪僕は何をやっても~
拓郎: あはははっ。 その声!似てるなぁー。だってこれ、こうせつだって思っちゃうよね。
小室: 思っちゃうよ。本人だってこうは歌えないよ。(笑)
拓郎: それうちでこうやって練習したりするわけ?
坂崎: いやー、聴いてたですね、よくね。結構、だからユイ関係の人達のとか。でも若い人から見ると、僕らデビューして16年なんですよね。小室さんの所にお世話になってから20年近くになりますんで・・・拓郎さんがデビューして20年でしょ。だから若い人から見れば、アルフィーも拓郎さんも、古い人達だっていう(笑)
小室: それにしても、あの頃のものを、まだ弾けるってのは凄いね-。しかも他人のものをだよ。
坂崎: いや、でも拓郎さんとか六文銭とかは覚えてますよ。
小室: 僕は六文銭のものはほとんど歌えないね。
坂崎: ♪雨が空から降れば~
拓郎: じゃあ小室さんそれ歌ってこのコーナーを閉めましょうか。小室さんの「雨が空から降れば」、生で聴くのも久しぶりですね。
「雨が空から降れば」
 
拓郎: うまい!!パチパチパチ・・・「 雨が空から降れば」、小室等でした。
続く
 

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2005/04/22

( 28 ) 吉田拓郎「元気です」ゲスト 坂崎幸之助Ⅲ

アナ: この時間はアルフィーの坂崎さんをお迎えしてお送りしていますが、「吉田拓郎ヒストリー」ということで、どんなモノが飛び出すでしょう。
坂崎: うーん!ヒストリー!
拓郎: これあれですね、こういうのってFMじゃなくてAMではよくある光景でしょ。なんか・・・
坂崎: 拓郎さんの深夜放送って、多かったですよね。僕、自分で経験できるってのはね、ちょっと学生の頃の自分からは想像つかなかったですね。
拓郎: よく来たじゃない、アルフィーで。
坂崎: いやー、やっぱ違いますよ・・この感じは。(笑)
拓郎: よく、よく、よく言うよ。マリコの部屋から何からいっぱい歌って。(笑)あんだけ歌っといてさぁ。あんだけ人を笑かしといてさ。(笑)
坂崎: でもホントね、こうせつさんが乱入したりとかね、よく深夜放送でありましたよ。小室さんといっしょに何かやったり。僕はね、いろいろ拓郎フリークと、言われてますけど。レコードになってない曲も結構知ってるんですよ。(笑)
拓郎: ゲッ。どういうの?
坂崎: 例えば、♪まっすぐ入ってごらんよ 道が二つに分かれてる途中に小さな穴があり そこから覗くとほらごらん広い世界がキミの前、とか。(笑)
拓郎: まるっきりあれですね、今でいう。いるじゃないですか。ギター持って歌う人、誰だっけ?ねぇねぇねぇ。
坂崎: 嘉門達夫さん!
拓郎: あはははっ・・ほとんど嘉門達夫だね。(笑)
坂崎: あとね、♪春でもないのに夏がきて 夏なのに秋が来る・・・って拓郎さん、やってたんですよ。
拓郎: いい歌だねぇ。(笑)本田路津子!俺、嘉門達夫より先輩だねぇ。(笑)
坂崎: 凄いのありましたよね、替え歌って結構ありましたね。♪あなたのおうちが水洗トイレなら そしてそれが
洋式トイレなら・・・どうも。どうも、までいかなきゃいけませんよ。(笑)
拓郎: 俺さぁ、あの、帰りたい。(笑)なんかもう・・・
坂崎: こういうのどうですか?♪どんなに悲しいことがあったって わたしのペラペラの心は泣けはしないと思っていたけれど・・・ども。拓郎さんやってたんですよ、これ。(笑)
拓郎: 「どうも」(笑)、つかんでるねぇ。(笑)げっラクなステージだったなぁ。(笑)それだったら俺、年に100本できるな。
坂崎: うん、これをね10曲ぐらいヤングタウン東京でやってたんですから。
拓郎: あっそうだっけ?私? 帰りたいですね。(笑)なんか結構、自分でさ、さっきの小室さんの言ってくれた事とか聴いてると、結構栄光だなぁ俺って自分で思ってたんだけど、大きな間違いだね。(笑)
坂崎: 見てますからね、やっぱり見る人は。で、こうしてプロになってる人間もいるんですから。怖いですよ影響力は。嘉門さんにももしかしたら影響を与えたかもしんない。
拓郎: 嘉門てこの間、うちへ来ましたよ、しょうもない詞をいっぱい「読んでくれ」とか言って。(笑)バカヤロー、しようもないよ、とか言ってましたが、全然変わらないって事が今、はっきり・・小室さーん!もうここでキミが入ってくれば、ほとんどパーフェクト!
坂崎: ご無沙汰してまーす!
拓郎: 小室さん、あれらしいですねぇ、あの、コンフィデンスの曲を作曲して、そいでコンフィデンスが歌っていたって。
小室: そうそう映画音楽の・・・えー・・・
坂崎: 「愛よこんにちは」(笑)
拓郎: 「愛よこんにちは」??? それ、さっき言わなかっただろ!
小室: ははははっ。
拓郎: この野郎(笑)ほいで、せこい、これがフォーライフ第一弾だったんでしょ、さっき言わないの(笑)で結構自分では軽い事、言うわけよ、「まぁ売れを狙ったんじゃないか?」とか。(笑)
小室: うはははっ。FMを聴きながらさ、軽いタッチでそれを子守唄にしてウトウト~としてる時って気持ちいいじゃない。でもうるさいなぁ、この番組は。(笑)
拓郎: やっぱり。
小室: 俺ね、下のソファーの所で寝ながら聴いてたの。そいでウトウト~としてたら突然、なんかやかましいー、もう寝てらんない。
拓郎: あと2時間、我慢しろ、バカヤロー。(笑)
坂崎: あははははっ。
拓郎: もうしっかり深夜放送の・・・♪セイヤング!(笑)
坂崎: (笑)まだ8時半ですよ。(笑)
拓郎: あ、まだ8時半? ♪オールナーイトニッポン!(笑)
坂崎: ♪パックインミュージック!(笑)
拓郎: すごいですねぇ。(笑)
 
続く
 

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2005/04/21

( 27 ) 吉田拓郎「元気です」ゲスト 坂崎幸之助Ⅱ

拓郎: 坂崎、ダンサブルやめた方がいいって。(笑)違うんだよ。あとでホントの事を話してやるよ、キミ達の生きる道。
坂崎: なんでですか。(笑)
拓郎: アルフィーのファンの子達、アル中と呼ばれてる。その子達は元気ですか?(笑)
坂崎: はい。
拓郎: あんた達はマメだよねぇ、なんつうんだろう、例えばさぁ六本木の中華料理屋にみんなを集めて会を開いて、俺よく見かけるんだけど。(笑)
坂崎: もうやってないです。(笑)ルーテンでしょ。(笑)ずいぶん前ですよ、それ拓郎さん。(笑)
拓郎: やってないの?(笑)なーんて言う、不思議なアーティストだなぁって思ってて。(笑)
坂崎: スキーツアーやったりするんですよ。ハイキングにね、バス3台で、メンバー1人ずつ乗って、相模湖行ったりとか。
拓郎: うん、いいよね。(笑)いわゆるニューミュージックっていう中には見当たらない売り方っていうかキャラクター。
坂崎: やっぱり演歌に近いですね。
拓郎: 近いというよりモロじゃないか?(笑)俺、あのルーテンで・・随分前か、あれは。
坂崎: もう7、8年前ですよ。(笑)
拓郎: 悪いけど吹き出したもん。(笑)坂崎、気ぃつけろよお前っていう。そいでねぇ、六本気と言えば!アルフィーの3人とはいろいろ思い出がありまして、ディスコへ行ったんですね、ある日。(笑)そいでねぇ、まぁディスコですから踊る所なんですが、飲み屋と間違えてんです僕達は。(笑)だから水割りを二十杯ぐらいバーッと飲むんですが、なんか結構飲み足らない。おもしろい所へ行きたい。
・・・・・・一部略・・・・
拓郎: だれも気付かなかったね。(笑)なんだろこれ。「坂崎!」って叫んでも誰も見てくれない。(笑)
坂崎: (笑)大声で呼んで。
拓郎: 「アルフィーの坂崎じゃないか!」って叫んでも。(笑)
坂崎: いや、あれ気がついてんだけど六本気あたりだと、ほら、ね、知ってる人が歩いてる、とか言っても、そういうのを見たり指差したりするのが恥ずかしいんじゃないですか?あいつらプライドがあるから。(笑)
拓郎: うん、関心がない?
坂崎: 関心がない。(笑)
拓郎: それからですね、横浜に住んでた頃に、オールナイトニッポンが終わった後に、「これから飲もう!」とか言って。
坂崎: 3時ですよ、夜中の3時!(笑)
拓郎: で、飲み始めて・・次の日の、もう日が照ってきて・・(笑)
坂崎: 日が照ってますよ!カンカン照りですよ。いや、それまで拓郎さんの家へ着いて、飲んで、手料理を元奥様の手料理を頂いてほいで「スタジオ行こう!」って、拓郎さんの自分ちに自宅のスタジオあるんですよね。そいでそこへ入ったのはいいんですけど。(笑)「録音しよう!」って事になったんですけど、拓郎さんやり方わかんなかったんですよ、自分ちのミキサーの。(笑)それでユイの一番偉いエンジニアの人を電話で、朝6時ぐらいですよ、叩き起こしてね、呼んで、ほいで録音したりね。秀樹に贈った曲を。(笑)アルフィーの曲を録音してその間奏で拓郎さん、「この間奏には笛を入れよう!」(笑)「笛を入れよう!」とか言って、たて笛ですよ、なんか民族楽器みたいなやつ。(笑)俺、合わないな~、と思ってたんですけど拓郎さん、かなり酔っ払ってますらね、「笛が合うよ!」ってんで♪ピ~ヒャララ、ピ~ヒャララ~て。(笑)
拓郎: 合ってないよね~。(笑)
坂崎: 合ってない。ひどかった。(笑)ほいで笛が入って、「あーよくできた」とか言って満足しちゃったら、表出たらカンカン照りなんですよ。ほいで拓郎さん、「庭掃除だ、庭掃除だ」とか言って、ホース持ってね、庭を掃除したのはいいんですけど、暑くて。(笑)そいで寝ちゃったんですよ、拓郎さん。(笑)
拓郎: 俺、なんか庭で寝ちゃったんだね。
坂崎: 寝ちゃったの、カンカン照りの庭で。で、パっと気がついたらね、俺ら庭掃除してたんだけど、拓郎さんを見たら、もう汗びっしょり真っ赤になって。(笑)ほいで、「拓郎さんヤバいよ!起きなきゃ日射病になる!」って言って。(笑)死ぬ寸前だったんですから。(笑)僕らの事、あれ以降「恩人」と呼んでくださいよ。(笑)
拓郎: ね、俺、あれ死んでたかも知れないよね。(笑)
坂崎: 死んでたかもしんない。ほいで部屋ん中へ入れて、で、お蕎麦屋さんで出前取ってもらって、そいで食べたんです。(笑)で、俺ら仕事がその日あったんですよ、夕方。で、田園都市線で帰ったんです、そうめん食って。(笑)
拓郎: 若かったね。あの頃ってさ、アルフィーって、そんな人気なかった?
坂崎: うーん、出たころ。人気、だいぶ出てきた頃。
拓郎: 自分で言うからいいよなお前ってなぁ。(笑)「人気出てきた頃です」とかさぁ。なかなか自分じゃ言わないんだけどさ。わかりやすいけどー。(笑)だから、ダンサブルとか、方向が違ってるんだって。(笑)高見沢なんか違ってるって、あのスマした感じは。王子じゃないって。(笑)自分で思ってるんだろ。
坂崎: いや、自分は思ってないですよ。(笑)誤解されやすいんですよね。
拓郎: 一度アル中を集めてみ。俺、話してみるから。(笑)
坂崎: いやよく知ってる人はわかってるんですよ。拓郎さんとかファンの子は、高見沢がああいう人だって事は。
拓郎: 確かに、黙っていれば、王子は言い過ぎだけど、財津さんみたいな人かなぁー?とか思うかも。
坂崎: 財津一郎さんですか? 「キビシィーッ!」(笑)
拓郎: 違うだろー。(笑) 曲、いきますか? あ、8時だから・・
坂崎: 「全員集合」じゃないでしょうね。(笑)
拓郎: 違う、違う、違う。(笑)
・・リスナーの「最近また盛り上がってきましたね。」を受けて・・
拓郎: 確かに最近また盛り上がってきてんだよね。(笑)最後のあがき、だったりして。(笑)
坂崎: 的確ですね。
拓郎: 的確なご意見で、か。この野郎。(笑)
坂崎: 最後のあがきがいっぱいあるっていうのもいいですね。
拓郎: ONE LAST NIGHT IN つま恋。
坂崎: 完全に周りは騙されてましたね。僕は絶対終わらないってわかってました。(笑)
拓郎: きっとね、南こうせつも止めないと思う。
坂崎: 止めないですよ。
拓郎: またやると思うんだ。俺、この間見て、こいつまたやるな、と思ったもん。だって別れ際にさ、「拓ちゃん、こんなに入るんならもう一回やる」って。(笑)とんでもないやつばっかりですね。曲いきましょう。
 
「サマータイムブルースが聴こえる」
 
続く
 
 

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( 26 ) 吉田拓郎「元気です」ゲスト坂崎幸之助

コーナーゲスト・坂崎幸之助
拓郎: ということで、坂崎さん!あなたは、地元ですよね。
坂崎: あ、二人は地元です。
拓郎: あ、キミは違うんですか。
坂崎: 高見沢は、もうホントに地元です。僕は墨田区です。
拓郎: 僕ねぇ、だからこの番組が決まった時に、
坂崎・・あ、初めまして!(笑)
坂崎: どうも!(笑)
拓郎: 坂崎さん!(笑)
坂崎: 坂崎です。(笑)ども。
拓郎: 遠路はるばる。 坂崎: いえいえとんでもないです、2時間かかりました。(笑)
拓郎: ホントに、ねぇ泊まっていけ。
坂崎: だってきょう、生放送あるんですもん。
拓郎: いいから、ここからやればいいから。
坂崎: 半蔵門で。(笑)
拓郎: 半蔵門で、いいよね。そのー、ここ出身だと思ってたもんだから・・・
坂崎: 高見沢はここなんですよ。
拓郎: 高見沢に頼めばよかったなぁ。探訪っていうの、デンスケ持ってまわってくれっていうの。(笑)
坂崎: 桜井だったら秩父の方ですからね。すごいですよ、ヘルメットかぶって栗拾いやりますから。(笑)
拓郎: そっちの方の栗を育ててるおじいちゃんとかにインタビューして欲しかったんだよね。(笑)マネージャーから、「忙しい」って断られちゃった。
坂崎: 関口さん? 忙しいんですよ。今朝もね、朝6時までプロモーションビデオ撮ってたんですよ。
拓郎: 最近、アルフィー、レコード出さないの?
坂崎: えーと今月の17日に。ニューアルバムですよ。
拓郎: 長い間出してない?
坂崎: 19か月ぶりです。
拓郎: ふーん、アルフィーとしては、長い?
坂崎: Bの方ではちょっと・・・出しましたけども。(笑)
拓郎: あ~あ~、あれどうしたん?
坂崎: Bの方もちょっと。
拓郎: B、一時NHKで踊ってたじゃん。(笑)お前ら死ぬんじゃないかと思って。(笑)
坂崎: 拓郎さんどうしたんですか?そう言えばNHKの司会の方は?
拓郎: 降りた、降りた。(笑)俺、あのては無理だよ。(笑)「愉快にオンステージ」ってタイトルからして俺には合わないの!(笑)最初からずっとプロデューサーに、「俺には合わない」って言ってんだけど、「大丈夫、そのうち慣れる」って慣れないんだよ。(笑)
坂崎: シャイですもんね、拓郎さんて。
拓郎: だめよ石川さゆりとか来たら。なんか俺、もうだめ。
坂崎: なんかずっと見ててもね、拓郎さん司会やんないなぁと思ってたんですよ、最近。
拓郎: あー、降りちゃったんですよ、中村雅俊に代わっちゃったんじゃないの?知らないけどさ。(笑)できないよ、ああいう事は。それで話は違いますが、その、アルフィーが、そのアルフィーになる前、コンフィデンスっていうグループだったっていうのがあります。
坂崎: あ、アルフィーの前ですね、ビートルズの頃。(笑)さっき聴きながら来たんでね、頭の中がどうも・・・(笑)
拓郎: お前ねぇ、昔、ビートルズだったの?時々、勝手なこと言うからさ。俺、坂崎と話すとわっかんなくなるのよ。
坂崎: でも3人いるよりいいでしょ。(笑)
拓郎: 3人いたら、わけわかんない。(笑)
拓郎: 深夜放送なんかに来てもらったら、大変な事だから。(笑)
坂崎: お正月の番組すごかったですよね。
拓郎: お正月、♪マリコの部屋で~マリコと交尾~って変な歌、歌って(笑)
坂崎: 拓郎さん笑って終わっちゃったという。
拓郎: わけのわかんない英語しゃべるグループ。
坂崎: MANなんて。(笑)人間なんて、ですよね。(笑)
拓郎: そう、そういうね、たいした、なんつうの、知的な水準はないのに、知的であろうとする、この3人。Bの方のグループも、NHKで見た時に、俺はもうホント、みんな死ぬんじゃないかと、心配したんだから。はぁはぁ言いながら。(笑)
坂崎: やりましたねぇ。(笑)
拓郎: 結局誰のアイデアだったの?ああやって踊ってみよう、というのは。
坂崎: 踊ってみようっていうかね、ダンサブルなバンドになろうと。(笑)
拓郎: だからさ、唐突なんだよアイデアが。(笑)
坂崎: いや最初はフォークグループだったんですよ。
拓郎さんの、モノマネで入ったんですから。
拓郎: かまやつさんのバックもやった事、あるんでしょ。
坂崎: アルフィーでやったことあります。だからそのコンフィデンスっていうのが、大学1年までだったんです。 小室さん所にいたの、あの六文銭ファクトリーに。及川恒平さんなんかと。♪春は日傘の、の及川恒平さんですよ。
拓郎: あの人、今、何してるか知ってる?さっきびっくりした、テニスのインストラクターだって。
坂崎: 似合わないですねぇ。
拓郎: あの人がテニスのインストラクターだよ。
坂崎: いまですか?
拓郎: うーん。想像なんかできない。
坂崎: 俺もね、最近出たんですよね、その「キングサーモンのいる島」のアルバム。六文銭の、CDが。で、聴き直してて、そういや及川恒平さん、なにやってっかなぁって思ってたとこなんですよ。
拓郎: 帰り、逢いに行く?この辺に住んでるんだってよ。
坂崎: いや生放送なんですよ。で、コンフィデンスが、大学1年までで、デビューする時に、大学2年の時に、まぁ新たにね、名前を変えて、大手、田辺エージェンシー、日音、ビクターと3社、大手企業が集まって我々を売り出そうと。もう今のバンドブームといっしょですよ。 こいつらをガロの弟分として売り出そう、と。(笑)
拓郎 ガロねぇ~。(笑)
坂崎: 田辺エージェンシーですから。(笑)
拓郎: ガロを上回ろうと。(笑)
坂崎: 一人多いし!(笑)で、デビューしたんですよ。で、銀座ナウとかよく出てて。
拓郎: その頃はアルフィーは、もう結構長いんだよね、キャリアとしては。
坂崎: 16年ですねアルフィーになってから。だからその前のコンフィデンス入れると・・
拓郎: もしかしてオフコースよっか長い?
坂崎: オフコースの方が古い。
拓郎: 古い?あの二人でやってた。
坂崎: 二人の前からありますもん、オフコース。 4人とか3人とか。
拓郎: 知らなーい。
坂崎: だって、高見沢、シングル盤持ってますもん。
拓郎: オフコースの?ファンだったの?(笑)
坂崎: ファンだったみたいですよ。(笑)
拓郎: もうきょうは話が入り乱れてるね。(笑)
坂崎: 僕は拓郎さんの、まだ言った事ないですけどファンだったんですよ。(笑)
拓郎: 俺は言っとくけど、財津に会ったことないから。(笑)なんの話か、もうわっけわかんない。(笑)
とにかく曲聴きましょうか?
 
坂崎: Bの方ですね。(笑) BE∀T BOYS「ショック!! TAKURO 23」
 
続く
 
 
 

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2005/04/20

( 25 ) 拓郎の映画話

アナ: 先程、武田鉄矢さんがお昼の時間に遊びに来て頂いた時にお話に出ました、映画の。
拓郎: 映画!あのですねぇ、84年の頃だったんですが、えっとつま恋と言う所で、ワンラストナイトっていう、最後にしたいな、こういうイベントっていう感じで、ま、1回、つま恋っていう所は思い出もあるし、将来僕はあそこに住もうかと思っているぐらいですから。そこで最後のコンサートやっちゃおうっていうんで、やったんです。なんでそれやったかって言うと、ま、飽きてたの。コンサートツアーっていうのに。今はやんなきゃって思ってますよ。でも僕は飽きやすい人間だから、飽きるんです、コンサートツアーって。例えば、きょうここに来て歌って、東京へ帰るってコース決まってるでしょ。で、日帰りだとか。 いっつもやってる道を通るっていうのが好きじゃないんですよ。なんか横道行きたいの、性格が。それをずっと日本中ドメスティックに周ってると、飽きるんですよ、さすがに。若い頃はね、札幌のキンキが食いたい、とか、ホッケが美味い、とか言いながらなんか理由づけてね、行ってましたけども、年に2回ぐらい行くっていうパターンをね、20年やってるとさすがに、もういいじゃないっていう・・・なんかそれから自分の曲にも飽きてくる、とかね。いろんな飽きがきて、「なーんか違う事したいな」って思ってると、鉄矢が、その前から「刑事物語」っていうシリーズ作ってて、主題歌を書いてくれって言うんで、広島弁でやってみようか、とか言っておもしろかったんですが、その頃から、映画の事をよく彼は、熱弁振るうタイプですから、「ダンナ、3億儲かるよ」とか。(笑)そんなんばっかりですが、「映画やんないか」って言われて、84年に、あの「RONIN」っていう映画を鉄矢が作って・・さんざんの悪評でしたけど、悪評なんですよ、だいたいああいう連中が作ると。あの、桑田が作った「稲村ジェーン」もお客さんはたくさん来てるんだけども、評論家に言わせるとボロクソでね。
アナ: いいこと言いませんものね。
拓郎: そんなもんでいいんですよ、作ってみろっていう事ですから。鉄矢も、僕は映画を作ってるって事はすごい偉いと思うんですが、現場のね、あの凄さを見るとね、映画を作る事がどんなに大変で、見る事が簡単で、評論を言う事がどんなに簡単か、ということが。ホントにね、これを生き地獄って言うんです、映画のロケ現場。
アナ: ずっと、あの、いらっしゃったんですってね。
拓郎: 何ヶ月間か離れ小島に、閉じ込められて、そこでロケをやるんですがね、朝4時頃からですよ起きるの。そいで、夜はまあ日が蔭るとないから6時頃終わるんですが。ずーーーーっとワンシーンを、だから映画館行って見ると、たった30秒ぐらいの事を1日がかりで、朝4時から起きてやってるんです、大の大人がいっぱい集まって。あーでもない、こーでもないって。見てる方は楽だなって思うんだけど、やってる方は、僕なんかね高杉晋作の役ですが、「あ、きょうは雨だな」って言うだけで、二日間。で僕はね、ずっと「あ、きょうは雨だな」って言ってるだけなんですよ。俺はいいと思ってんだけど監督はダメって言うわけ。ダメもなにもねぇ、これしかないのセリフは。何がいけないんだろう、「あっ」がいけないのか「きょうは」がいけないのか、「雨だな」がいけないのか、何かが気にいらないんですよ監督の。で、その監督が「今日は撮りたくない」って言うと、撮れないんですよ。(笑)わがままが始まったりすると。だからもう地獄、そこへもってきてほら共演、浅野温子さんて、きれいに女優さんで、浅野さんが子どもができた頃で、ちっちゃい子どもを連れて来るんですよ。なんか母親なんですよね。で、浅野さんを犯さなきゃいけないんです僕は。犯せないの、子ども抱いてるからずっと、本番前まで子ども抱いてる人のね、上に乗っかっちゃいけないっていう気がするんですよ。でもね、監督はね、その前いろんな洋画を見せるわけ。それで「こういう風に犯してくれ」とか、僕に言うんですよ、監督さんて。女優さんじゃなくて男優さんの方に、「拓郎さんね、こうやって犯してくれると結構色っぽいんだよ」で、「監督、犯すシーン止めましょうよ」って言うと「犯しちゃっていいから」。凄い、他人事だと思ってね、言うんですが、浅野さんて方も、ご存知のように性格のきつい方ですから、なかなか犯させてくれない。
で僕は、ある日、事前にね、浅野さんの承諾を得ておこうと思って、よしゃあいいのに、「温子さん、ちょっとお酒飲もう」とか言って。で、飲みながら、「あの~、乱暴しちゃうシーンがあるんですけど、いいですか?」っつったら、「いいけど」(笑)、それだけ。(笑)女優さんの図太さ、力強さ、そん時ね、あ、女優さんて平気で胸を出したりとか、犯されたりする事は、「いいけど」っていう感じなんだなっていう。そこへいくと男の俳優っていうのは武田鉄矢を筆頭に・・・(笑) 武田鉄矢が、ある日ですね、ミスマッチで出てる僕にですね、「拓郎さん、ちょっと僕の部屋に来ませんか?」「おもしろい物ありますよ」。てっきり僕は、アダルトだと思って、てっきり。もうだって男所帯ですからね、何十人ていう。 きょうぐらいはめ外そう、という気分で鉄矢が、「僕の部屋来ませんか?」。で、行ったら、なんと坂本龍馬の本を延々見せるんですよ。見たくないと思いません?(笑)ずっと坂本龍馬をやってるわけですから。で、目の前に鉄矢がずっといるわけ朝から晩まで。(笑)もう龍馬飽きてるわけ。飽きてる上に「いい物がありますから」っつって、龍馬の写真見たくねぇだろっていう。(笑)そういう現場ですよ。 女優さんなんて凄いと思うのは、離れ小島で、仮説トイレですよ。もうウダルような暑さの所で、大から小からこなすわけですよ、みんなが。ま、男はまだいいけど、女の子は大変でしょう。そういうね、映画を作るっていうのは、見てるほど楽じゃない、というがありますから。桑田がやった稲村ジェーンが、音楽作るのの365倍疲れたって言うのもよくわかる気がして。それくらい疲れますよね。そう思って映画も見るとね、結構感動的です。 そういう事を武田鉄矢はいろいろ僕に教えてくれましたね。その「刑事物語」の主題歌ですが、これいきましょうか。これねぇ、刑事物語ってワンシーンだけ、僕出てるんですけどね。高知の方でロケやっててね、鉄矢達。ほんで「出ません?」「遊びに来ません?」とか言って。セリフが「おっ」。「おっ」って言うだけなんですが。(笑)ラーメン屋で。それだって一応、共演ですから。(笑)そうですRONINなんてね、原田美恵子共演ってなってるけどね、逢ったことないんですから。(笑)
 
「唇をかみしめて」
 
続く
 
 
 

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2005/04/19

( 24 ) 拓郎「コンサート」を語る

拓郎: 不思議なもんで、逢わない方がいい人ってありますね。あの、思い出だけで終わらせたいって。思い出だけ。(笑)思い入れね。僕にとっての中尾ミエとか。逢っちゃうと、いけない、逢わないで、こうこんな人って決めていた方がね、幸せっていうのはありますね。松尾さんなんかもそんなタイプに近いんじゃないかって、そんな事言っちゃいけませんね。(笑)
アナ: という事で1時から10時まで、拓郎さんがDJをずっと続けている、この時間は午後7時をまわった所ではございますが、ねぇ日もすっかり暮れました。
拓郎: 8時になったら、あの、ビールが飲みたい!
アナ: ビールの時間?
拓郎: 9時になったら、焼酎の水割りでいいよ!
アナ: あぁ。(笑)
拓郎: 10時になったら、水割りの濃いのくれ!っていう。(笑)
アナ: えー10時で一応、終わる予定ですけど、水割りが入ればもうちょっと喋れます?
拓郎: そしたらもう夜中までやっちゃう。(笑)
アナ: あ、次の番組まで押しますか?
拓郎: もう次のスタジオ行って、「俺、俺、俺」って。そういうタイプなんですよ俺って結構。(笑)ホントに。
アナ: いいなぁ。(笑)あたし、ね、こうやって目の前でお話うかがってますよね。で耳にイヤホン入れてますけど、拓郎さんの声って凄いいい声ですよ。
拓郎: あ、声がいいですか?
アナ: はい、すごく、なんと言ったらいいんでしょうね、お腹の中からスーッとこう、喉をユルユルユルッと出てくる・・・
拓郎: なんか、うどんが出て来たみたいな言い方だね。(笑)きれいじゃないね、ちっとも。(笑)お腹の中からニュルニュルニュルって。
アナ: ニュルニュル~じゃなくてユルユルユルっていう。(笑)お腹の中からドワァーって出てくる声じゃなくてこう、揺らめきながら出てくる声っていう。
拓郎: そうですか、あとでゆっくりとまた。(笑)       
 「元気です」
アナ: まだ元気ですか?
拓郎: 元気ですよ、はいはいはい。
アナ: はい、が多過ぎますよ。(笑)
拓郎: よくおじいさんでいるじゃないですか、はいは1回でいいんだ、という。(笑)
 
「あいつの部屋には男がいる」
 
10代のリスナーのFAX「若い人だけでなく30代40代の人のメッセージ、リクエストも多くて感動している」という内容を受けて・・・
拓郎: これどういう意味なんだろうね。
アナ: 普通は感覚的に言うと、30、40代の方が凄く一所懸命FAXや電話していて、こういうのに出すのは、きっと子ども達だけだろうな、と思って感動したんでしょうね。
拓郎: あーなるほどね。いやホントにね、まぁその、お客さんとかコンサートのね、どんな人が来たっていいと思うんですよ。で、僕だって40過ぎて、やっぱりマイケルジャクソン見に行ってキャーキャー言ったりプリンス見に行ってギャーギャー言ってるわけですから・・・いいんですよ逆に。ただ、ある程度の年齢になってしまうと、日本人は特にそうかもしんないけど、なかなか行きにくいんですよ、コンサートって。例えば子どもを連れて行けるコンサートの雰囲気とかね、少ないですからね。 僕が子どもの頃、思ったのはやっぱり年とったら演歌を聴きにいくのかな?と。結局だから僕は、つまりうちの姉貴とか、亡くなった親父達は、そういう歌が好きでしたから。俺もやっぱり姉さんみたいな年になるとやっぱり、三波春夫さんのステージを観に行くのかな?という感じはあったんですよ、子どもごころに。 ただほら、やってきた音楽がちょっと違ってきたもんだから、なんかそれをね、申しわけないけども、僕は演歌がダメとか全然言う気はないですが、なんかみっともよくない、と自分で思ってたんですよ。だからね、そういう意味では日本のコンサートってね、あんまり大人が行きにくい。 ところが、吉田君のコンサートは凄いです。もうこの間、驚きました、日立。日立市という所で茨城県ですか。あの十何年振りに行ったんですが、ご近所のおばさんがツッカケのまんまで一番前の席にですね3、4人パンを食いながら大股開きだったですよ。(笑)それ見た瞬間に、止めよう、と思いました。(笑)大人が来たっていい、ね、いろんな人が来ていいって言いながら、来る時は多少考えてくれっていうのがねやっぱりあります。正直言ってステージへバーンと出て行って、うわぁーって言ってるのはいいんだけど、やっぱり目が合うんですよ。目が合って知ってる奴が居たりすると、なんできょうも来たんだ、とか、ね、それからあの、追っかけのおばさんがいるんですよ、おばさんで追っかけ。すると、ここまで来なくていいのよ、とかいう感じとか、それからそのファッションが近所からツッカケで、久しぶりで拓郎来るから、みたいな感じでツッカケでアンパン食いながらボーッと口開けて大股開きで見てると、歌ってる歌が死んでしまう、っていう気がしてね、帰ろう、っていう気になるんですよね。ぜひ前の方のお客さんは、なるべく僕を喜ばせるような、盛り上げる、みんなが盛り上げながらいかないと、長生きできませんから。(笑)はい、環境作りはですね、みんなでしたいと思います。 アナ: 最近、大人も楽しめるコンサートっていうのが、みなさん頑張ってるっていう気がします。 拓郎: 結局、だから、僕達が年をとってきたっていう事ですよ。そういう前例がないんですよ日本には。例えば44歳で全国ツアーやってる奴っていないですからね。いないんですよ、例えばね、かまやつひろしっていう人はツアーやってるかって言ったらやってませんから。やってないからいけない、とは言いませんけどやってる人はいない、と。 そうなると前例がないから、僕、ずっとやってなくちゃいけないんですよ、これは、ツアーは。50になっても全国ツアーができるかどうかっていう問題は、こっちへ置いといて、いける所まではツアーっていうのは、止めない、と。そこに居てやろう、っていう感じはありますけどね。お願いだから前の方に来る人は・・お願いしますよ。すごいロマンチックな歌、歌ってるのに。(笑)
続く
 
 
 
 
 

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( 23 ) 吉田拓郎「元気です」ゲスト 鎌田清・裕美子夫妻

ゲスト 鎌田清・裕美子夫妻
拓郎:  鎌田君達夫婦は、いつまで夫婦でいるんですか?(笑)関係ないですか?
清  :  えー、あの。(笑)
拓郎:  この近所に住んでるんですよね。近所だから遊びに来たんでしょ。何分ぐらい?ここから。
清  :  車で30分弱ですね。
拓郎:  ホントに家から来たっていう感じ?二人で。
清  :  そう、だって始めは着てたんですもん、寝巻きのまんま。ほいでラジオ二人で・・・
拓郎:  二人で寝巻きを着てたの?(笑)俺、始めたの1時頃だよ。お昼の1時だよ、お前。
裕美子: えへへへー。
清  :  それぐらいのもんですよ。
拓郎:  えー?それぐらいのもん、て何を?
清  :  だから寝巻き、着て、ラジオ聴いてたんですよ、二人で。ほんで、じゃあちょっと差し入れでも行ってみるべか、みたいな。
拓郎:  この辺、みるべか、って言うの ?
裕美子: えへ。(笑)
清  :  言わないですけどね。まぁそんな感じで。
拓郎:  ここの街っていいよね。素敵な所だよね。今夜終わったら行こう。コーラたらふく飲ませるから。(笑)待っててください。さっきからもうショック受けてんの。チューリップの話からオフコースの話から。(笑)じゃぁ松尾君の新曲、これを聴いて、お別れしましょうか。  
 
松尾一彦ソロアルバム「Breath」より「There's No Shoulder」(ジェファーソン・エアプレインのマーティ・ベィリンに書いた曲)
 
鎌田清・裕美子(終)
 
 
 

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2005/04/18

暁の終列車

高田渡さんの事を考えないように一日過ごした。でもネット上で彼への愛情溢れる文面に接して、ディスプレイが曇って見えなくなった。甲斐バンド「暁の終列車」が頭の中で響き渡る。

別離の黄昏おまえはこの世で一番悲しい声で泣いた・・・

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2005/04/17

( 22 ) 吉田拓郎「元気です」ゲスト 松尾一彦

コーナーゲスト・松尾一彦
拓郎: ビートルズ、あの頃のリバプール全部好きなんですけども、そりゃまぁ、何が凄いかって、ビートルズは天才とかもの凄いですけどね、ビートルズの中でも僕なんかはジョン・レノンの、流れに迎合できないっていうね、ポール・マッカートニーの営業の上手さと違って、ポールファンには申しわけないけども。ポール・マッカートニー好きな人ってわりと普通の人、多いんだよね。で、ジョン・レノン好きな人、変わってる。なんか浮いちゃってる奴が多いんです。 ジョン・レノンをね、軽井沢で見た時とか、ジョン・レノンが亡くなってから、ニューヨークのダコダハウスっていう、ジョン・レノンが住んでたっていう目の前、井上陽水と小室さんとこう歩いてたら、オノヨーコが向こうから歩いてきて、亡くなった後ですよ、そこでよしゃあいいのに俺達はね、ポールの歌を歌ってたの、そこで。失敗した、一生の後悔ですよ。ジョン・レノンを歌っときゃ・・・ポールの歌、歌ってて陽水と、小室さんと、「まずいよー」っていうのもありましたが。 自分の子どもの頃っていうか、俺が中学の時、松尾はいくつの頃?
松尾: えーとね、小学校。
拓郎: 小学校・・・俺、お前といくつ違うの?
松尾: 10歳・・8歳ですか。
拓郎: 俺、お前と10歳も違ったっけ?お前、それにしちゃあステージでなんか生意気な奴だね。(笑)俺のこと、なんかその鋭い目で睨んでない?(笑)
松尾: 睨んでないですよ。(笑)
拓郎: この人誰かに似てない?この人。なんとなく、入れられそうな気がすんのよ、怖くて。(笑)ステージいっしょで目が合うんですよ。目が合うとね、まずいと思っちゃうんですよ。(笑)
拓郎: その頃やっぱり、松尾はバンドとかやってないわけでしょ。
松尾: 僕はやってますよ。
拓郎: やってんの?小学校で?
松尾: 小学校・・・6年の後半くらいにちょっと・・
拓郎: 松尾ってさぁ、その秋田の田舎でスターになりたかった人なの?
松尾: いや。
拓郎: 桜田淳子みたく。
松尾: いやー、長嶋みたいにはなりたかったけど・・・
拓郎: 長嶋茂男って?(笑)お前、誰を、(笑)わけのわかんない事言うな、急に。(笑)全然違うじゃん、タイプが。
松尾: なりたかったですけど、でも音楽も好きで、うん。
拓郎: ギターとか弾いちゃお、ていうのもあったの?
松尾: あのーだからウクレレ最初やってたんですよ。ウクレレでベンチャーズとか、ビートルズ。
拓郎: あのー、みんな田舎にいた頃、いろんな人の真似するじゃない。俺だったらジョン・レノン。あの、ちょっとガニ股で、ギターをちょっと高い所に吊るして、っていうのあるじゃない。あれカッコいいな、とか。誰だった最初は?
松尾: あのねぇ小学生の頃だからよくわかんないのね、ジャケットを見ても。で、中学校くらいになると、やっぱりジョン・レノン。男はやっぱりジョン・レノンに行っちゃうんだなぁ。
拓郎: うん、女の子ポール好きな人、多いよね。オフコースとビートルズって、なんか関連・・・なんかないっすね。
松尾: うん、みんな好きだったけど、あまりないかもしんないですね。
拓郎: ビートルズが好きだった事って、オフコースでなんか役にたった事ってある?
松尾: それは、あったけど・・・
拓郎: 松尾さんですよね、小田さんの事が大好きだったっていうのは。(笑)
松尾: な、なにを・・・(笑)
拓郎: 清水(仁)さんじゃないよね~。(笑)たしか清水さんてさぁ、小田さんが大嫌いだったよねぇ。(笑)ま、あの、どこかの海で、小田を殺そうと思った、っていうのは清水だっていう話じゃん。(笑)本人がいないと、もうとんでもない話をしてますけどもね。
松尾: 仁さんがまぁ助けに行ったんですけどね。(笑)
拓郎: お前は?
松尾: 僕は、あの知らないから、ちょっとこう、見殺しにしちゃったんです。(笑)
拓郎: そん時でしょ、解散だな、と思ったのは。(笑) 松尾: いやいや~、それは~。(笑) 拓郎: もう危なくて、俺も危ない。(笑)       
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
拓郎: ビートルズなんかに憧れたり、かっこいいと思ったりすると、松尾なんかもさぁ、4人編成のバンドみたいなの作りたい、と松尾なんか思わなかった?
松尾: あのねぇ、やっぱり僕は、すごい好きだったから、なんか好きな人達はちょっととっておきたいっていう気があって・・・
拓郎: ふーん、アンタのって、子どもが卵焼きは最後に食いたいみたいなのと同じだね。(笑)田舎の・・・僕もよくあったけど。
松尾: で、僕は最初3人でやったの。
拓郎: それはどういう編成なの?
松尾: ギター、ベース、ドラム。
拓郎: へぇー、クリームみたいじゃん。
松尾: あ、クリームよりもだから、先。
拓郎: 先に3人編成のバンド、秋田で?
松尾: そうなんです。
拓郎: そりゃ注目浴びたでしょ。
松尾: あのー、壊れたガットギターと、ガットギターの低音でベースやって、アンプもないし。
拓郎: 3人編成のバンド?で、4人の方がかっこいいと思わなかった?
松尾: まぁ、あのーかっこいいとは思ったんですけど、うーん・・・仲良しが3人しかいなかったのかなぁ?
拓郎: (笑)それは、大きな問題点よ。(笑)つまり、松尾の事、わかってくれる友達が、あと2人しかいなかった。若しくは近所に若者が3人しかいなかったとか(笑)結構、重要な問題だよね。(笑)
松尾: (笑)3人でいいじゃないかって、電気ギターでやってなかったから、最初は。ギター2つと、なんかその辺の小太鼓があると、結構いけるなーって。
拓郎: その3人で、秋田から出よう、なんて思わなかった?
松尾: いや、そう思ってたのは僕だけなんですよ。
拓郎: なんか実社会に出るとね。         
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
拓郎: 僕、今、44なんですけど、50くらいまでこの格好でいたい、と思うんですけど、みんな気にしているようになんかちょっと体重が増えぎみで。(笑)1キロも食ってないって思ってるんだけど、1キロ重くなってるんだよね。さっき小室さんから、そりゃ掛け算だ、っていうね、新説が。(笑)これ、詳しいでしょ、キミ。
松尾: 詳しいです僕。僕はあんまり、深く考えた事はないけど、たしかに、水を飲んでも太るっていうね。(笑)
拓郎: 食った分だけしか太らないんだったら10キロくらい食えるよね。食えるけど、10キロ食ったら100キロくらい太ってるっていう。(笑)なんの話をしてるか、わけわかんない事になってしまいました。(笑)
拓郎: さて松尾さん、松尾さん、本読んでないで。あのー、結局オフコース解散後、ソロとしてみんなやってるという事で、小田もすごいコンサートをやってて頑張ってますが、松尾一彦は今後、どうやっていこうという?今、ちょっと後ろでギター弾いてもらってるけど、こんなもんでキミが終わるわけない、というかこんなもんをキミが続けるわけない、て事で来年あたりひとつ・・・最近、なんか、CDも出した事だし。海外ミックスダウン、音程は少し良くなったかな、みたいなのもあるし。(笑)
松尾: 向こう行くと直るんです。(笑)
拓郎: 今後の、例えばこんなバンドをやってみたいとか、こんなソリストになりたいとか。長嶋茂男になりたいっつうのだけはやめてもらいたいけど。(笑)
松尾: あーそうですね。(笑)ソロでは、やりたいと思った事を、まわりがやらせてくれたら、やりたいと。
拓郎: どんな事がやりたいの?
松尾: あのーわかんないです。その都度。今は、ブルース、っていうアルバムを9月25日に出したんですけども、これあの聴いてもらうとわかるんですけど、その感じでもうちょっと作ってみたいなと。
拓郎: それはさ、宣伝のアレとしては、栄養のある、っていうのなの?アダルトオリエンタルロックンロール?(笑)
松尾: よくわかんないけど聴いた人の感じがそうだった、っていう事じゃないですかねぇ。自分では簡単にギター とピアノかなんかで・・・
拓郎: いいねぇ(笑)いいねぇ(笑)そのピアノかなんかで。(笑)アハハピアノかなんか、がテーマなんだ。(笑)
松尾: ピアノかなんかと、その辺にある物で・・・
拓郎: ねえ、ガラクタバンドみたいだねぇ。(笑)
松尾: バンドみたいなのもやりたいですね。
拓郎: そんないっぱいできるの?
松尾: ひとりじゃ・・・
拓郎: えぇ?
松尾: ひとりじゃ我慢できないというか・・・
拓郎: なにがひとりじゃ我慢できないの?(笑)松尾さん、電話し過ぎですよ、はっきり言うけど。合宿でね二週間で10万も電話代いく奴いないよ。(笑)
松尾: うそうそうそ、10万は、いってない。(笑)
拓郎: そういう、ソロではそんな所で、バンドもやりたいと。
松尾: どんなふうに、できるかわかんないけど。
 
コーナーゲスト・松尾一彦(終)
 
 
 

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2005/04/16

高田渡さん

なんてこと・・・
思い出書かない。
こんな日に限ってビールも焼酎もない。
奇しくも今日は、なぎら健壱氏の誕生日。

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2005/04/11

( 21 ) 拓郎・小室等「ビートルズ」話

拓郎: さて、ここはですね、ビートルズ なんでビートルズかって言うと、ジョンレノンが、お生まれになって50年。
小室: そうそうそう。
拓郎: 生誕50年という、きのう。
小室: 生きていれば・・・
拓郎: 生きていれば50歳です。まだまだ素晴らしい歌をいっぱい聴かせてくれたと思います。あ、小室さん、思い出しました!
TBSでしたか?生放送を二人でやっている時に、ジョンレノンのニュースを聞いて、ふたりでジョンレノンの曲を聴いてて、不覚にも二人で泣いてしまいました。生番組で二人で、珍しいでしょ。男二人がね、生番組の中で、「うわぁ~」って泣いちゃうっていう変な番組やってましたねぇ、私達。あの番組とっても変でしたねぇ、途中でアクビしてたり・・・(笑)
小室: 泣く予定じゃなかったんですけど、まぁ泣くのは予定には無いわなぁ~。(笑)
拓郎: 泣くのを予定に入れる、そんな人はいません。(笑)構成が、そんな馬鹿な「ここで泣く」って書いてあったらどうすんの?(笑)でも、あの時はね、何の詞でしたかねぇ詞は? 子どもの事を歌っている詞を読んでてですね、朗読してて・・・なんか小室さんがオエツを・・・僕、それ見てて「いっちゃいけない」って言ってる生番組なのにって思ってると、小室さん止まんなくなってグシュングシュンって、僕もそれ見ててなんかもらい泣きでウェーンみたいな感じで・・・変な番組でしたが。
聴いてる人は「何だ??」、男が二人で泣いてるっていう。
小室: はははっ。
拓郎: なんか異様に暗い・・・ま、すぐ終わってしまいました、番組は。(笑)何故かねぇ小室さんといっしょにやる番組は短命(笑)、すぐ終わるんですよねぇ、俺達。(笑)で、やってる時はすごく好評でしょ。
小室: そう、「おもしろい、おもしろい」って。(笑)
拓郎: 今もねぇ、「おもしろい」って言ってますからきょう限りですよね、やっぱり。(笑)
小室: これまたやるつもりですか?
拓郎: これは、結構疲れるからぁ、俺、あした群馬なんだ。うん結構「関東甲信越小さな旅」を。(笑)
えー、ビートルズの特集をですね、ビートルズって言うと、みんな思い入れがそれぞれでね、選曲なんていうのは難しいんですが、局が選んだ選曲です。
小室: お、自分じゃなくて?(笑)
拓郎: 局が選んだ曲を押し付けてみたいと思いますが・・・(笑)
小室: 責任逃れ。(笑)
拓郎: 1曲だけ、僕の曲を、お願いします。あ、1曲め、かけてくれますか?「ビートルズが教えてくれた」
・・・ 略 ・・・ 
      
小室等休憩へ         
 
続く
 
 
 

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日曜日のそれ4/10

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( 20 ) 拓郎・小室等「新幹線」話

拓郎:  あの~あれですねぇ、今あの食事をしながら小室さんの番組を聴かせてもらったんですけど、「いいなぁー」っていう感じで、スタッフに「もうあと代わろう」って話したら、「こらっ」って言われましたけども(笑)、なんかFM向きの声っていうのがあるみたいね。武田鉄矢が「俺達はAM向きですね」って言ってましたけど、やっぱりねぇ、いっくら人気がある武田鉄矢でも「FMから仕事の話は来ないんだ」って。(笑)
小室: いや僕もここに来る間ずっと、聴きながら来たんですけど、ちょうど拓郎さんが出てる時でしたけれど、確かに武田さんと吉田さんの波長っていうの合ってるんですけど、斉藤さん(女性アナ)との波長は合ってないですもんね。斉藤さんの喋りはどっちかって言うとやっぱりFMなのかなぁ?(笑)
 
       ・・・ 一部略 ・・・
 
拓郎: この間ね、博多でコンサート終わって、でその後みんな飛行機で帰ったんですけど、僕は飲み過ぎて、「飛行機に乗るの気持ち悪い」ってんで新幹線で帰ったんです博多から。6時間、6時間の新幹線っていうのも結構疲れるけど、生まれて初めて「個室ってやつを探検しよう」っていうんで、あのマネージメントやってくれてる篠原君っていう若い子といっしょに個室に入って、あのーJRですか?申しわけないけど、最低。(笑)
小室: えっ!?
拓郎: 良くないんだなもうちょっと考えるべきだよねぇ、あのね、アナグラみたいなの。そいでグリーン車よりか高いんですよ。で二階席の下が個室になってるんですけど、湿気もあるんですよ下の方だから・・・僕ね上の方のグリーンも覗いてみたら「こっちの方が全然いいねぇ」って、そいで料金聞いたら個室の方が高いんですよ。
小室: ジメジメしてんの?
拓郎: ちょっとね上のエアコンの効き具合いと下の方と違う。でね、なんちゅうんですかシートなんかもリクライニングにならなかったりとかね、あんまり僕、薦められないですね。
小室: だってあれはお仕事する人のためのものじゃないの?
拓郎: あぁそうなの!?そうか、6時間も乗るためのものじゃないの?(笑)
小室: うん、むしろあそこで原稿書いたりとかさ。
拓郎: うんそれはわかる。それはわかるね、だって、そらほら、そらほら!?(笑)二階建ての下ですから景色がないんですよ。で、新幹線てさ線路の両サイド、防音壁っていうの?ずっとほら、住居に迷惑かけないようにっていうんで、だから、景色がないのよ。
小室: ガードフェンスしか見えない。
拓郎: フェンスしか見えない。これつまらないんだよねぇ。だからやっぱり景色を楽しむんじゃなくて、仕事する・・・?
小室: 仕事する所よ。
拓郎: 6時間も男どうしで乗る所じゃないと・・・(笑)
小室: そりゃそうだよ。(笑)
拓郎: ずーっとトランプやって・・・
小室: そりゃJRが悪いんじゃないよ。(笑)キミが悪い。
拓郎: 俺が悪い・・・(笑)申しわけないです。(笑)
     
続く
 
 
 

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2005/04/10

( 19 )ライブヒストリー~王様達のハイキング~語り 小室等

小室: そういう事で突っ走ってきた拓郎さんが1982年には、「王様達のハイキング」というね、コンサートツアーをずっとするわけですけれども、僕は、このあたりの拓郎っていうのは、僕、個人的に思うと、すごく、なんていうのかな、照準、ターゲットが自分のそのー生き方の想いが定まっていないというかいろいろに揺れ動いていた時代、しかも自分がこう生きてきた事を清算しきれない、なんかこう結論づけられない、しかも自分がどこに行くのかって事も定まりきらないそういう、こう定まりきらないものを僕は感じていた。

で、王様達のハイキングの時のツアー、コンサートを見た方は思い出すと思うけど、ちょっと女性コーラスも肌もあらわにした女性コーラス、かなりこうグラマラスな女性達を配して、コスチュームも凝ってというかアラビアンナイトのようなコスチュームをみんな着て、やった。
僕、あれは拓郎が自分の想いが定まりきらないものを脇からとにかく固めるしかない、というかな、見え方、とかいう事で固めて、とにかくコンサートやって探ってみようというふうな時期だったんじゃないかって、僕は思っているんですが、さあそういうふうに思っていたものを、曲としてもう一回ライブを聴いてみたらどういうふうに聞えるか、僕もちょっと自分でその辺、確かめようと思いながら聴いてみようと思います。

1982年、「王様達のハイキング」からですね、「爪」

広島がですね、8月の初旬に広島の旅行を数日していると、もしかしたら拓郎の、もう一つの姿を知ることができるかも知れません。そんな旅行もみなさんしてみてください。
そんなわけで、この1時間弱、吉田拓郎さんが食事に行っている間、僕、小室等がピンチヒッターで「吉田拓郎ライブヒストリー」という感じでやってみました。えー、なんか聴きながら、やっぱり幸せな男だなぁ、と嫉妬心を感じながら、えーこれからまだまだ吉田拓郎さん、戻って来られて、えー長い闘いを続けます。

僕も、もうちょっとお付き合いさせて頂いて、闘いに参加したいと思います。
もうすぐ拓郎さん現れます。
ありがとうございました。

続く

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( 18 ) ライブヒストリー~79年武道館・篠島~語り 小室等

小室:  この時間はですね、吉田拓郎に餌を与えなければいけないという事でもって、えー餌場の方に吉田拓郎さん行ってますので、私、小室等が代わって、1時間弱を「吉田拓郎ライブヒストリー」という事でこのコーナーやっております。
さて、1979年あたりに行きますけれども、えー1979年には「篠島」がありました。愛知県知多半島の突端から船で海の中に出て行った島の中でコンサートをやるという事で、まあ、ご承知のようにライブコンサート、篠島はあれどのくらい集まったの?4万人とか?ま、それくらい集まった、3万人とかね集まったわけでしょ。
それだけの人間に聴かせるという事は当然の事ながら、大音響を出さなきゃいけない、というような事で、えー、「海の上だからいいだろう」というわけにはいかないんですねやっぱり。水面を渡って音が行くんでしょうかね、あの日もリハーサルからだいぶ苦情が出てたようですね。近所の島から或いは陸地から・・・住んでる人達が「音がウルサイ!」とかって事で、とにかくスタッフっていうのは何をしてまわってるかっていうと、本番よりもその苦情に対して謝ってまわっているというのがああいうライブコンサートじゃないかって思うんですけれども。

篠島の時には僕も行って、ちょっとゲストで歌わせてもらったんですが、いやーみなさん、経験ありますか?3万人4万人の人を前にしてステージの上に立つとですね、こーんな孤独なものはないですね。
「あーこれだけの人が聴いてくれてるのか、張り切っちゃおう」っていうふうにできる人達がやっぱりスターの資格があるんだろうと思います。
普通はですね、怖くってホントにすぐ帰りたいって、僕は思いました。無理、こんな大勢の人の前で自分の歌があのー届いちゃうなんて、もう恐怖しかないです。そこをとにかく「夜明けまでやるぞー!」というふうに頑張るのは、あの、尋常な神経では無理ですね。ですから僕はやっぱり拓郎は、異常、と呼びます。それを一度ならず何度もやってるわけでしょ。僕はまた後で拓郎が戻ってきたら、そういうその、それができる、その秘密ってのは何なのかっていうのを問い正してみたいっていう感じがありますけどもね。本当に怖いです。あの人の波を前にして「怖い」と思わなかった人間は普通の人間じゃないですね。ですから普通の人間じゃないわけです、彼は。
武道館でさえ、怖かったですもの。1万人の人の前に出た時僕は足がガタガタ震えましたけれども・・・
それをやってなおかつ、武道館の何倍もの人達を前にして、やろうっていうわけでしょ。それはね、そんなに長くは続きません。だからちょっとその後、彼は少し、人前で演奏できなくなってくるでしょ、そりゃできませんよ篠島なんかやったら・・・
そのあたりを聞いてみたいと思います。
まず、79年のこれは「武道館」からですね。「落陽」・・・これはいい、これ大好きな曲。そして、79年の「篠島」から、「冷たい雨が降っている」、2曲続けて聴いてください。

「落陽」そして「冷たい雨が降っている」の2曲を聴いたんですけど、思うんですけど、その「落陽」でも、客席が全員いっしょになって歌っている・・・のを聴くと、あのーホントにあのー、僕も歌い手の端っこにいる人間としては、ほんとうにうらやましい・・・な。
あの、客席全体が自分の歌をいっしょに歌ってくれるなんて、すごく嬉しい事だし、えーしかもいわゆるそのーアイドルとしてのヒット曲を歌うって事じゃなくして、今の曲を聴きながらもここに居合わせているアナウンサーそして構成家の人達とも話してたんだけれども、あのー自分の想いが拓郎の唄にこう重ね合わせて・・・歌える。きっと落陽をみんなが歌っている時にも、あそこに、武道館に1万人いたら、1万人が1万人様のそれぞれの落陽を歌っていたんだと思う、その吉田拓郎の落陽は、うーん、吉田拓郎が歌っただけの落陽ではなくって、その人にとっての、拓郎の落陽っていうかな。1万曲の落陽が歌われたんだろうっていう、そういうことを、これはもう拓郎の才能っていう事よりは拓郎の存在そのものが時代にあの、ぴたっと合ってた、これはもう僕は偶然だろうと思うんですね。
それは勿論、拓郎だったりディランだったりビートルズだったりする人達が、その人達の才能を抜きにしてそんな事は語れないわけだけれども、しかし、才能だけではなくってその人達がその時代の中で、その時代に生きた人間の想いを、こうオーバーラップさせられる事も、全く偶然なんじゃないかっていう、宝くじで何千万当てるような事だろうと・・・思うんですけれども。

続く

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( 17 ) ライブヒストリー~拓郎と母・広島~語り 小室等

小室:  僕は、この「人間なんて」というのを拓郎が絶叫しているのに何回も付き合って、そしてバックコーラスで、「ラ・ラ・ラ・ラララ~」をいっしょに六文銭で何度もやりましたけれども、当時僕はそのー、「広島、広島!」っていうふうに言ってるその拓郎の、本心みたいな事っていうのがどこにあるのか、きっとわかってなかったって思うんですね。
で、今もモチロンわかってないと思うんだけど、今年ね、ちょうど「原爆記念日」の時に広島に、原爆記念日の前後、数日間、広島に居続けたんです。そいで、その原爆の記念日のセレモニーやなんかがどんなふうに行われるのかっていうのを、見て歩いたんです。で、その時にいろんな人に出会ったんですけど、ある人が、こう、僕に声をかけてきてくれてね、「あのう、拓郎さんのお姉さんと実は私は友達だったんですけれども、えー、拓郎さんのお母さんが通っていた教会にも、私もずっと行っていて、お母さんと随分、教会でごいっしょしました。」という話を聞いたんですね。 で、「吉田拓郎さんが来てくれて、教会でボブ・ディランの歌を唄ってくれたこともありました。」っていうのを聞いたんです。
「あぁ、そうかっ」って僕、その時に思ったことがあるんです。と、いうのはその、ま、母親にせがまれて、きっと教会で唄ったんでしょ、断りきれずに。でも僕の知ってる拓郎っていうのは、そういうのをわりとかたくなに拒むタイプの人間なんですね。あのー、結構、義理に厚いところもあるので、どこかで答えてくれるんだけれども、嫌な事は「嫌だ」っていうような事も言う男で、ましてや教会でもってボブ・ディランの歌を唄う拓郎なんてのは、僕は想像もできない事だったんだけれども、お母さんの通っている、お母さんは熱心なクリスチャンでしたから・・・で、教会でディランの歌を唄ったっていう時にね、あの、広島に対しての、拓郎の愛憎っていうのかな、僕らの想像を超えるものがある・・・ フォークソングを始めた広島、それから自分が育った広島っていうだけじゃなくって、お母さんのいる広島でもあり、そいでしかもそこで原爆が落ちた広島、そういう状況の中で、青春を右往左往していた時の彼の人間としての生き方の中に、いろんなものを、こう、インプットされて、そして自分がこう、背負ってしまうには背負いきれないものってのがやっぱり、広島である事によって、背負わされるものがある・・・だけどそんなもの背負いきれやしない、とか、あるいはお袋のそういう思い・・・
それから、これもホントは言っていいかどうか、拓郎が今、メシ食いに行って、いないから言っちゃいますけど、拓郎はこんな事言われると嫌がるかもしんないけれども、お母さんがその教会で、拓郎が、あの金沢での事件があった時に、「自分の子どもはそんな人間じゃないっ!」っていう事でもって、なんか署名を集めてまわったって事もあるらしいです。で、きっと拓郎はそんなふうな事をお袋がするって事を、多分嫌がったって思うんだけど、しかし、自分の息子を信じきってくれるお袋がいるってことは、うっとおしい事と同時に、僕はそれはすっごく子どもにとって「誰が信じてくれなくても自分のお袋だけは信じてくれている」っていう思いっていうのは、すごく強いと思うんですね。
今の親なんていうのは、自分の子が受験なんかやるときに塾だなんだって言って、偏差値でこう輪切りにされるような受験戦争なんか、いいと思ってないにもかかわらず、自分の子どもをそういった所にほっぽり出してしまうような状況っていうのがありますよね。そんな親がいっぱい多いと思うんだけど、拓郎のお袋さんてのは、そういう人じゃなかったし、そういう人に対する、うっとおしさと愛、それから原爆の落ちた広島、みたいな事を、抱えきれないものを、「広島~!」っていう事でもって、なんか絶叫してたのかなぁ・・・っていうふうに、僕は今年になって、思うわけです。 ちょっと話が長くなって申しわけありませんでした。
えー次の曲、いきましょう。
「LIVE'73 」より、「君が好き」
続く
 

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( 16 ) ライブヒストリー~中津川フォークジャンボリー~語り 小室等

小室:

中津川のフォークジャンボリーでも、えーとまぁ有名な話なんですが、フォークジャンボリーというのは3回か4回続いたんですけども、関西のフォークの人達が中心になって、高石

ともやさん、岡林信康さんえー、それから、フォーク・クルセダーズ、そういうところがメインになって、ホントに日本のフォークシンガーが全部出演したというようなビッグイベントでした。
   
えー、アメリカにウッドストックがあったように日本でウッドストックのようなという例を挙げるとすれば、この中津川フォークジャンボリーだったんじゃないかと思うんですが、ところがその、いわゆる学生運動とか、そういう事、あるいは西口フォークゲリラとか、いうような事とオーバーラップして、フォークの中にも、売れてる奴と売れてない奴との差が出てきて、実際問題、その、高石ともやさん、フォーククルセダ-ズ、岡林信康さんというのは、売れてきたわけなんですね。

売れてくると妬みみたいなのも出てきて、売れるという事は、その、「商業主義に身を売ったー」などというような議論が、出たり入ったりするような時代で、その中津川フォークジャンボリー、これが71年か、あ、71年の時にあの事件が起きたの?
うわっ、そう、それでもってそのー、何年だったか覚えてないんですけれども、えーっと、ね、メインステージとサブステージってのが作られたんですよ。
   
岐阜の中津川という所の椛の湖という人造湖がありまして、人工湖か、その人工湖の湖畔にステージが設けられていて、参加者もみんなバンガローやテントを持って来て、キャンプをして、3日間くらい過ごしてコンサートを楽しむ、というものだったんですが、メインステージとサブステージという所があって、で、メインステージは売れている路線の人達がだいたい占拠しておりまして、あまり売れてなかったりするような、あるいは関西系でなかったりすると、どっかにちょっと区別があって、サブステージというのがあって、そっちのサブステージの方で、えー、吉田拓郎、六文銭なんかのステージがあったんですね。
   
それでもって、そうそうそう、スピーカーが壊れたんですね、多分。
スピーカーが壊れて、「もうやる事ねぇよー」って言ってたら誰かが、「人間なんてやれ!!」とかって言ったら、拓郎も僕らも辟易してたんですけど、「やるしかない」で、一升瓶持って来て、「飲め!」っていうヤツはいるし「ま、やるしかないか」とかって言って、「人間なんて」の大合唱が始まって、高田渡とかなんかいろんな連中もそこにいましたね。
   
で、みんなで一升瓶をラッパ飲みしながら、えー、「うわぁー」っていう 大合唱が起こりまして、その大合唱の後に、ある事件が起きましたが、この曲を聴き終わったあとに、やりますか。

イントロ長いからまだやりますか?
大丈夫ですね。
えーと、これはねー、まだ拓郎バンドがバックにいたのかなぁ・・・
多分、田辺なんかが、田辺がこのギター弾いてるの。
田辺君と言ってね、今はね、獣医になりましたけれどもね、えー、それが畜産大学に通いながらね、バックバンドで、えー、「拓郎ミニバンド」と言ってて、ミニバンドったってチンケなテスコか、チンケって言っちゃあいけません、テスコかなんかのアンプにね、エレキギターをギューンと弾いて、そしてバックバンドって言ったって後ろでコンガをポコポコ叩いて、という、聞こえてるでしょうか?
   
で、僕の十二弦ギターとかがいっしょになって、ワーワーワーワーやって、これは、はっきり言って、みなさんラジオ聴いているみなさんはこれから鑑賞するかも知れませんがあそこに参加していた人間は、誰一人、曲などは聴いておりませんでした!
   
次の曲は、ただ酒を飲みながらいっしょに踊り狂っていたという、

中津川フォークジャンボリーの吉田拓郎、「人間なんて」です

     続く
 

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( 15 ) ライブヒストリー~及川恒平・渋谷ジャンジャン語り 小室等

~ 拓郎、食事中のため小室等ひとり喋り ~
小室: えーと、「面影橋」、1971年ですね。えー「ともだち」というアルバムに入っているわけですけど、いや~名曲ですね。これは勿論拓郎さんが作った歌ではなくて、「六文銭」の及川恒平が作った曲であります。
この「面影橋」を作った及川恒平はですね、今なにをしてると思いますか?ちょっとこの~、「拓郎のヒストリー」をやってるのに、他人のヒストリーをやってもしょうがないと思うんですけど、これはおもしろい話題なので、及川恒平というのはホントに六文銭の中でも渋~い味を出して、だいたいソロをとっておりまして、人気もあったんです。なんかこう、性別も判明しないような、あ~、男なんですけどね。で、彼が今、やっているのがですね、テニスのインストラクターであります。
神奈川県の方で、テニスをおばさんお嬢さんに教えているという・・・これがすごい話です、ホントにあのラジオ聴いてらっしゃるみなさん、あの世代の方もいらっしゃるかもしれですけど、もしも及川恒平を覚えていらっしゃる方がいたとば、「あの及川恒平がテニスをやる!?」っていうイメージなんですよ。それがテニスのインストラクターをやってるっていうのをついこの間、僕も知ってですね、びっくりしました。
えー、吉田拓郎さんの、他人の曲を唄っている数少ないもののひとつで、そう言えば最近、えーと、サマーピクニック、えーと南こうせつさんの、福岡でやってるサマーピクニックのライブに出てきてですね、えーと、あれは「神田川」、「神田川」をライブでやっておりましたが、えー、たまーに他人のものをやりますから・・・それのはしりのような曲でありました。
それでですね、これが凄いです!
「中津川フォークジャンボリー」よりですね、例の曲が聴けるわけです。これはホントにこのー、ま、タイトルを先に言いますとですね、「人間なんて」というものでしたが、この「人間なんて」というのはですね、狂気の沙汰も金次第、なんていう言葉はありませんが・・・
ホントにあのー、この歌を唄う時、演奏する時はどこの会場でも狂気乱舞しました。中津川の話をする前に僕はあのー、これと前後して、渋谷にあるジャンジャンという地下の小劇場が今でもモチロンありますが、そこで、吉田拓郎と六文銭とのジョイントだったかな、あるいは、えーと吉田拓郎のゲストに六文銭が出たのかわかりませんでしたが、えーと、あの狭いジャンジャンのフロアが総立ち、今でこそ、コンサートで総立ちになるというような事は当たり前になるという時代ですが、座っている人は誰もいず、えー椅子が全部脇の方によけられて全員総立ちで、「人間なんて」を延々、あのコンサート、最初から最後まで「人間なんて」をやってたんじゃないか、と思うほどグジャグジャになりました。で、酒もみんな飲んでまして、その上が教会だなんて事は誰も気にせずに、酒を飲みながら「人間なんて」を・・・で、「ヒロシマへー」、とかってわめいておりましたけど、そんな事が、あったんですけど・・ね。  
続く 

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2005/04/09

( 14 ) ライブ・ヒストリー序章 語り 小室等

小室: あのぉ~、つまりあれだよ。 腹が減ってくるとね、野獣っていうのは、ほらライオンだってねぇ、腹がくちくなって
いる時は目の前を小動物が通ったって襲わないからネ。(笑)ところが腹が減ってくると、ガーッといくわけさ。つまり、満腹にしとかないと・・危険な者は・・
拓郎: ほぉ~(笑)なんだよ。(笑)
小室: メシだよ、メシ。
拓郎: お、メシに行けって事? 後は俺がやるからと・・・(笑)
小室: そう、ま、1時間もあれば、食えるでしょ。その間に僕が「吉田拓郎ライブヒストリー」というのをやっとこう。
拓郎: 俺、すごく不安なの、それ。(笑)キミ、僕がいない時に何言うかわかんない。
小室: そりゃ僕もわかんない。そりゃ他人の歴史なんかわからないよー(笑)そんな事、俺にわかるわけないよー。(笑)
拓郎: そりゃぁそうだ。(笑)俺も、言わせてもらえるならば、俺、こんな番組やらないっ。(笑)ハハハッ他人の歴史を語り
に来るくらいだったら家で一人で本、読んでるよねぇ。
小室: そうだろう、知らないもの。
拓郎: 知らないもんね。でもきょう、なんか10時まで闘うっていう気持ちがさぁ・・ なんか俺、嫌なの。闘うような気持ちじゃなくて、なんかこう、優しい・・・
小室: そうそう、だからそのためには、メシを食ってもらってさ、優しい気持ちになって・・・お、すると俺はどこで食うわけ!?(笑)
拓郎: 知らないっ(笑)アハハハッ今、ふっと考えたけど、キミ、食べる物ないじゃない。(笑)
小室: あぁ!? えー!!(笑)
拓郎: リアクションがおかしい。(笑)じゃ行かせてください。
小室: メシに行ってもらって、その間、1時間弱ね、キミのライブを中心にあることないこと・・・
拓郎: あることないこと言うな。(笑)
小室: それではね、他人のものを唄ってるって事もあるんだよ。
拓郎: うん。
小室: これ、もう、曲出ししてしまおうか?それではね、この曲からいってみよう!これが何年かっていうのは、曲を聴いているうちに調べてみます。(笑)えー「ともだち」、よりですね、「面影橋」。
拓郎: 六文銭の曲ですね。
小室: そうです。はい。
続く

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( 13 ) 吉田拓郎・小室等「フォーライフ第一弾シングル発売」

拓郎: そいで、それはいいとして、最初の頃重役会議ってのがよくありました、取締役会議。僕達は、あの、取締役プロデューサーっていう役職についたんですよ。重役兼アーティストっていう、わけのわかんない肩書きでしょ、重役だったんですから。(笑)で、重役会議があるんですが、あれ小室さん、あれ何をやってたんですか?あのプロデューサー会議とか・・・(笑)
小室: いや、俺に振らないでよ。(笑)
拓郎: 社長のいつも一声で、「えーきょうはこういうテーマでやろう」なんて・・・
小室: 俺の一言なんて一回もないよ。(笑)
拓郎: 一回はあるって。(笑)
小室: あははは、あるかな。(笑)
拓郎: あるって。それでなんだったの、あれ。結局、泉谷の意見とか、陽水の意見てのは、なんだったの? いつも言ってたのは、あ、陽水が言ってたのは俺、思い出した!いっつも「あんたら早くレコード作れ」と、「俺は後で出すから」と。   
陽水さんてうまいんですよ、みんなのレコード出させといて、売れ行きとか調べといて自分でこういう曲を選ぼうという。(笑)作戦うまいからね。泉谷とか僕って、いっちゃう方だから・・・    小室さんも結構早めに作りましたよねレコードは。
小室: だから結局、その~、それでもって、泉谷さんは少なくとも今はどうか別だけどね、そんなにめちゃくちゃ売れてたっていうところじゃないですよね。むしろキャラクターとしての泉谷がいるって事はとっても素敵なことだっていう事でお誘いしたわけで、それであと井上さんと吉田さんの場合は、これはレコード出してコケたら大変だっていう、つまり売れなきゃイカンっていう思いがあったわけですよ。アーティスト全員にもスタッフにもあった。そうするとレコード出して売れなくても、たいした傷にはならないだろうっていうと俺しかなかったんだよ。(笑)そうなんだよ、それで結局俺がだすしかなかったんだよ。(笑)それで俺も、「あ、そうかなぁ」みたいなさ、そうだよ(笑)それで勘違いして「愛よこんにちは」とかっていって、俺、誰が歌ってんだろうって思ったもん今、聞いてて(笑)
拓郎: ポップだよねぇ。(笑)
小室: おおぅ。
拓郎: ま、売れせんを狙ったという。(笑)
小室: だからぁ~、一応やっぱりスタッフはさぁ、万が一売れるかもしんないっていう思いはどっかにあったんだよ。(笑)で、うん、「できるだけポップにしてみようよ」みたいなさ、馬子にも衣装でさ、ポップ着せりゃ~うっかり売れるかもしんないみたいな(笑)だから、浅いよね考えが・・・
拓郎: 浅いねぇ~(笑)甘いなぁ~(笑)俺が甘いって言っちぁいけないかもしんないけど
小室: そう、読みきりっていうか・・・読んでもいないっていう・・・
拓郎: 小室さんは、読んでたの?
小室: いやいや、俺の場合は、結局俺がどうするかっていうよりも、これは井上さん吉田さんには今は押し付けられないなという思いはあるわけでしょ。で、泉谷さんはあの通り、勝手気ままに振舞ってたわけだから・・泉谷さんに言わせれば「そうじゃなかった」みたいですけど。だから俺は俺で非常に従順に、風の向くままに作った・・・
拓郎: 作った曲だった(笑)? 相当でも力はいってるよね、今の「愛よこんにちは」。
小室: そりゃ責任感はあるよ。なんかそういう勘違いを身に着けてみよう、みたいなね。
拓郎: 大人になろうって。(笑)ま、あの、これからいっぱい聴きたいことあるんですよ。ホントの事をお話しください、きょうは。
小室: 俺だってあるんだよ、きょうは闘い抜くよ!(笑)
拓郎: あ~10時まで?(笑) 闘い抜かれちゃかなわないですが(笑)、曲、いってみましょうか。  

「たえこ MY LOVE」

続く

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2005/04/08

( 12 ) 吉田拓郎・小室等「社長就任劇」

拓郎:小室等さん「愛よこんにちは」でした。これが76年ですか。

小室:そうですか。

拓郎:え、75年なんですが、つまり75年頃ですか小室さん、あんたのきっかけで。

小室:75年ですか、へぇー。(笑)

拓郎:他人事だね完全に、今や。(笑)そのフォーライフレコード作ってねやっぱり会社ですから、株式会社。社長を決めなきゃいけないんですよね。これがね、古臭い話なんですがね、ま、もう一度言いますとですね。もう一度ちゃんと確認のために思い出してみたいと、小室さん。株主が7人いるんですよね。

小室:ふぁ~、針のムシロだね。(笑)

拓郎:そうそうそう、しょうがないの。7人いるんですよ、で7人が誰を社長にしようかっていうことで、ここは一応俺たちアーティストと残り3人はまぁアーティストの傍にいるマネージャーだったりするんですが、誰もやっぱし「帯に短しタスキに長し」、一長一短だなぁ・・と。

小室:そうそう。

拓郎:誰でもいいんだけども、そうかっつってコイツも違うっていう感じがあって決まらないの。で、これはもう無記名で、あのぅ何かするしかないと、でそんときにアーティスト4人の中では、一応小室さんが首謀者、「こないか」っていう「三億あるぜ」って言った話は消えちゃったけども、きみが言わなきゃ始まってない話なんだ。

小室:そういう自覚がなかったね、でもね、首謀者っていう。

拓郎:自分ではね。

小室:そう自分ではね。

拓郎:でも俺達は思ってたよ、彼がはめたと。(笑)

小室:うーんだからさ何でそういうふうに(笑)

拓郎:ま、だからさとにかく小室さんについてってみようと・・・という意識もあったんで。先輩でもあるし年上でもあるから、ま、年功序列なんて嫌いだけど小室さんを一応挙げたい。でまぁスタッフサイドの方では3人がいたんですが、小室さんでもいいかもしんないっていう意見もあって、どうだろう、じゃ7人の株主で無記名ですよ小室等で良い人は○、嫌な人は×をつけようってんで無記名で7人が紙を配られてみんなこう見えないように○か×をつけたんですね。で、全部集票して、一票ずつめくっていくんです。一枚目○、二枚目○、三枚目○、四枚目、五枚目、六枚目、七枚目も○だったんですよ。
これはどういうことですか?(笑)ご本人は?○!ですよね、こんなバカなという。(笑)ご本人くらい謙虚に「俺は社長の器じゃない」と×をなさると思ってたのに、全○!(笑)その時の一同のシラケぶり。(笑)なんだ社長がやりたかったんじゃないかこいつっていう結論で第一代社長が決まったっていう。(笑)そうですよね小室さん、○をしたんですよね。(笑)つまり自分で○をしたというのは、あの状況では、自分しかいないという自負心が・・・

小室:いやいや、だからね俺、真面目に言い訳するとシャレた話にはならないけど、今までこの話をするたびに無条件で、「そうだった」と言ってきましたけど、きょうは言う!(笑)

拓郎:あえてやってみよう!(笑)ホントのこと言ってみて。

小室:あの時に僕は徹底的にね、僕らじゃダメだって言ってきたんだ。それで企業というのは経営手腕が要るから僕らと僕らの脇にいるマネージャーサイドもどっちかっていうとアーティスト志向、自分が目立ちたいという人が多いし、後藤だって結構そうでしょ。

拓郎:うん、あれはもうスターになりたくてしょうがない。

小室:そうでしょ。だけどソロバン弾くっていうのは僕らの資質とは違うものだから、外部から絶対にエキスパートを呼んでくるっていうのが僕の意見だったんだ。僕は徹底抗戦してたんですよ、何日もそれやりましたよ。

拓郎:ホント?(笑)それは俺、覚えてない。(笑)

小室:嘘だよ(笑)きたねぇなぁー(笑)

拓郎:俺はもういきなり会議だったと思ってる。(笑)いきなり全体会議で○だったなっていう・・・

小室:それで、そうして会議しているうちに、「それはもう小室でやるしかないよ」っていう風に意見が決まってたんだよ。でも俺は「嫌だ嫌だ」って言ってたんだよ。で、「じゃ、投票し
よう」っていうんで、これはもうね、俺に言わせりゃこれで誰かが×つけたら今まで「俺にしようって言ってた」やつが本心は違うんじゃないかっていう思いはあったよ。

拓郎:うんうん、×が多かったりしたら・・・

小室:だからそれを額面通りに受け取ったら、全員が「俺がいい」って言ってるんだから、俺が一人でね×つけたってしょうがないこれはもうシャレにもならないっていうんで○つけたんだよ。(笑)

拓郎:でもその行為そのものは考え方によってはやっぱりおかしいよ。(笑)やっぱり×だよキミ自分では。

小室:そうかなぁ。(笑)

拓郎:そうだよ、話聞いてると、なるほどいろいろな事情があったのはわかったよ。

小室:いや違うよ、そういうレベルの高いシャレにみんながついてこれなかったんだよ。(笑)

拓郎:持っていってるねぇー、きょうは。(笑)やる気だねぇ。(笑)

小室:やる気だよ。(笑)徹底抗戦するぞ!きょうは俺、10時まで戦い抜くぞ!(笑)

拓郎:アハハハ・・・

続く

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( 11 ) 吉田拓郎・小室等「フォーライフ誕生」話

コーナーゲスト・小室等

拓郎: えー、青森から駆けつけてくれた僕の恩師・・・恩師と言うか腐れ縁の古い友達 と言うか、二人で居て新 しい事が何もできない、こんだけ長い間つきあっているんだから何か新しい事をするだろう、という期待も誰もしなくなってしまったという、とにかく長~い間お付き合いさせてもらっている、将棋を指してですね「三億円あるから来ないか」っていう「寺の坊さんが持ってんだ」っていう、訳のわかんない事言ってたんですよ。おかげで人生狂ってしまったっていうですね(笑)小室 等さんです、どうも!

小室: あの三億はどこいってしまったの、エヘェ。

拓郎: きみだけが着服したっていう噂の~(笑)

小室: いや~、俺もそれだったらいいと思うんだけどね。

拓郎: あの話どこ行ったんでしょうね、あのまま進んでればフォーライフ良かったんですよ。 あれをなんつうんだろ、何か男気出してさぁ、その三億はいらない、俺達が出し合おう!なんて 無い金出しちゃってさぁみんなで。資本金、三億で始まる会社が資本金何千万で始まって・・・

小室: 何千万もありました?(笑)

拓郎: なかったみんな、何百万しか出さなかった(笑)そんな事するから、塩化ビニールがどうしたとか、変な方向行っちゃって。最初から寺の坊さんの言う通り三億でやってれば。

小室: そうそう(笑) 

拓郎: そういう話を小室さんがですね、ある日、持ってきたんですよ。あれはでもレコード会社やんねぇかっていうのはレコード会社作るっていう発想だったの最初っから? レーベルだけを作ろうとかそういうんじゃなくて、みんな辞めろって言ってたわけかな、ホントに小室さんは。

小室: なんか蒸し返してる?(笑)なんだったんだろうなぁ。そういう事がわかっていればもっとうまくいってたでしょう。

拓郎: って事は、あんたはなんもわからんで人を呼んで・・・ 

小室: そうそうそう、とにかくなんか金があるやつが居るから「レコード会社作ろう」って言ってるよって俺は伝えただけだよ別に(笑)

拓郎:  誰? 俺に?

小室:  そんなこと言ってるやつがいるよ、拓ちゃんっていう、俺は単なるメッセンジャー だ(笑)

拓郎:  俺なに? じゃ、勘違い?

小室:  だから、こんな事言ってるけど・・・どうなのかなぁ、みたいなさ。

拓郎:  そうなの? っていう事は、井上、泉谷っていうのはホントに迷惑したっていう・・・

小室:  いやそりゃ随分迷惑かけたんじゃないかなぁ。

拓郎:  あんたが?(笑)

小室:  だからさ、そういう特定の人間に的を絞ってアハハハ・・・

拓郎:  的を絞らざるを得ないでしょうが、(笑)あんたがその話さえ持って来なきゃ今ごろCBSソニーの大賀さんに可愛いがってもらって。(笑)

小室:  生きてるうちには色んな事、あるよね。 でも、その事があったのと無かったのとではどっちが人生として おもしろかったかっていう風に考えてごらん。

拓郎:  おもしろかったかどうかっていう事だったら、勿論あなたの電話以来、楽しい波乱万丈の人生が始まった事は事実です。(笑)ただ良かったかどうか、人生にとって。おもしろいと良いとは違うからね、あなたはどうでした?

小室: 魔が差したよね、レコード会社なんて、無理だったんだもんね。だからきみが社長になってホントに良かったと思って。

拓郎: ま、その話はこれからゆっくりきょうは、社長交代劇も含めてですねやってみたいと。(笑)まず、小室さんのですね、自信を持ってフォーライフから送り出した第一弾!最初のシングル!突発事故としか言いようがない!(笑)この曲を。

小室等さん「愛よこんにちは」。

続く

 

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2005/04/07

( 10 ) FROM TAKURO (3)

拓郎: 今、嵐のように武田さんが去って行って・・・あの、いろんな事 思い出しましたよ。(笑)例えば、松田聖子っていう人がいてですね、で、彼女の詞をよく書いてる松本隆っていう作詞家の、仲いいんですけども。松田聖子が結婚するんだっていう話があって、いろんな、すったもんだする前なんですが、そいで「拓郎、最後の曲作ってくんない?」とか言って。そん時に松本隆が僕に、「しかしアンタが曲作る女の子って、みんな引退しちゃうね」っていう話をされて、ふっと考えてみるとね、確かにね、やめちゃって結婚するとか解散するとかね、多いんですよ。それからかなぁ、女の子の依頼が来なくなったの。(笑)この間、のりぴーっていうのをですね、曲の依頼があったんですが結局僕は曲を作んないで、松田聖子用に作った曲がそっちへ行っちゃったっていう。(笑)そういえば男の人は関係ないもんだからどんどん来るんですけど、女の子は来なくなったなぁー。それやっぱり業界に広まっちゃったのかなぁ、あいつが曲作るとみんな、なんか恋愛して解散とか引退しちゃうっていう。   
困ったもんですけどねぇ。(笑)
昔、昔っていうのも変なんですけど大先輩のレコーディングっていうのは結構おかしいんですよ。井上順さんな
んかはね、凄く音程がフラットするとか問題が起こってきて、もう夜遅かったんですけどね、かまやつさんもひどいんですよ、歌へただし。すごい時間かかるんだけど、井上順さん、もっとかかるんです。で二昼夜やったの1曲をずーっと。二昼夜歌いっぱなし。24時間以上。もう声も出ないんだけど、どうしても今日中に上げなきゃ、締め切り迫ってる。僕、ブースの方から怒るんですよ。   
「順ちゃん、全然フラットしてるからだめだ」とか言ったら、「わかった、やってみせる。俺も男だ」とか言って、思いっ切り顔だけのけぞって「アーッ」って。「どう?上がった」って、上がったのは顔だけで(笑)音程はずっと下がってる。(笑)
そういう人とかですね。中村雅俊なんか、ちょうど奥さんの五十嵐淳子さんと恋愛中でね、俺達の勲章っつうドラマやってたんですが、レコーディングに来てもね、全然もう上の空なわけ。なんか違う事考えてて、ずーっと。で、なんかたまたま、その日が共演の日でね、今、亡くなりました松田優作さんと争ったらしいんですよ。それでね、勝ったみたい。(笑)その日。それは嬉しくてしょうがない、あの男、そういう男だから。もう、はしゃぎまくっててレコーディングに身が入らないわけ。みんなで雅俊を殴り飛ばしたっていうね。(笑)
そんな話もありましたが、そういうヤツとかですね、それから梓みちよなんかは、歌が上手すぎて「へたに歌え」って言ったら僕が殴られたっていう。(笑)この人のレコーディングには行きませんでした。今度1回行ってみたい、また次の曲を今、やってるんですが。これ聴いてみましょうか。
アナ: はい、それでは由紀さおりさんの・・
拓郎: あ、由紀さおりさんの曲ですか? そっちですか。この人、もうお付き合いありません。(笑)
アナ: はい、じゃあ気を取り直しまして、由紀さおりさん、
   「ルームライト」
アナ: フロム拓郎コーナー、猫、「雪」
拓郎: ちょうどねぇ、あの、73年か4年頃かなぁ、吉田拓郎っていう名前をみんなが知らない、一部の人が知ってるくらいの頃に岩手放送っていう所へですね、毎年、年末に呼ばれて行って、そこの女性のディレクター、凄い素敵な人だったんですけど、その人が僕の事好きだったのかなぁ(笑)、勝手に、森山良子じゃないんだから(笑)、ホントにね「おいで」とか言ってくれて毎年。4時間ぐらいの生番組を大晦日にやるんですよ、深夜にね、そいで、その後打ち上げとか言ってお酒飲みに行って。雪ってね、その人の事なんですよ。ホントに岩手ででしょ、雪降っててね、僕から見たらお姉さんていう感じの人で。すごい素敵な人でね、「拓郎君、きょうも飲みにいくわよ」とか言われると、なんかゾクっとするっていうか「ついて行こー」って感じになって。結構ね、僕は信越放送の誰それさんとか、放送局の人とお付き合いがあるんですよ。
広島RCCっていう所も、今あの、レポーターやってますけどねテレビのね、結構ありますね言えませんけどね、アナウンサーだった頃にね。   
放送局の人とすぐなんか変になる。(笑)
アナ: 変になる?(笑)
拓郎: 変になる。(笑)で、すぐ歌にするっていう。(笑)結構どの曲が誰って言えないですが、雪は公然と言ってますからいいですけど、いろんな歌があるんですよ。この歌は、あの人なんだ、とか。僕は現実にあった事を歌にしてますね。だから身の周りにいろんな事がないと困るんですよね。だから事件も起こす。(笑)つい暴れてしまう。(笑)度を越さないと、なんかいいてーまにめぐり合えないっていう気持ちがどっかにあるみたいで、自分から事件起こそうとしてる所がありますね。
モップス「たどり着いたらいつも雨降り」
近藤正彦「あぁ、グッと」
拓郎: まぁあれですね、いろんな人の曲、作ってますけど、自分の歌う曲じゃないっていう気軽さがあるからねぇ、わりと人の曲っていうのはおもしろいですね。冒険もできるし、俺だったらこんなん歌わないっていうのもできるし、昔はよくやった歌唱指導なんかしませんから。昔はもう自分の思い通りしないと気が済まなかったんだけど、今はほったらかしでね、好きなようにやってくれって感じなんですよ。だからレコードもらうとかえって新鮮だったりしてね。他人の曲作るのって全然苦労ないんですよ。自分のは全然できない。もう才能も無くなってきましたね。
アナ: とんでも無いこと、おっしゃってますけど、お送りしてまいりましたフロム拓郎のコーナーでした。
拓郎: 今、4時です。まだ3時間ですか。
アナ: まだ3時間です。
拓郎: 長いねぇ~。(笑)
「明日に向かって走れ」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
続く
 

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( 9 ) FROM TAKURO (2)

「歌ってよ夕陽の歌を」
アナ: この時間は、フロム拓郎という事で拓郎さんが他のアーティストに提供した曲をいくつか聴いていただいてますが・・
拓郎: これねぇ、いまこの一覧をずっと見ててねぇ、いろんな事を思い出しますね。あのー、ある事無いこと。(笑)無い事思い出してもしょうがないけど、結構悪かったなぁ、とかね。(笑)こいつとは結構飲んだな、とか。で、おしなべて全体的に言える事は、曲の依頼があったら、取りあえず最近は絶対やらないですよ、例えばマッチから曲の依頼があったりすると、昔はねぇ要するに僕、必ずね、歌おうとするアーティストに会わせろって言ってましたね。だから、アイドルの人達も嫌でも僕に会わなきゃいけない。曲を作ってもらうんだったら、っていうコーナーがあったんですよ。
武田: キャンディーズなんか、そうですね。
拓郎: キャンディーズそうですねぇ。
武田: ずいぶん絡んだそうですね。(笑)
拓郎: ちょっとちょっとちょっと・・(笑)武田くん(笑)
武田: ランちやん、ランちゃんから聞いたんです。(笑)
拓郎: ランちゃんこの辺で生まれたらしいじゃない(笑)やめてよ。
武田: えへへ、ずいぶん、あのー・・
拓郎: 違う、絡んだりしないけど・・絡んだかなぁー(笑)
武田: 怖かったって・・
拓郎: ばか、やめろって(笑)  確かにねぇ僕、思うにアイドルの人達ってさぁ、事務所がお酒飲ましたりしないわけでしょ、やっぱりイメージもあるし。そういう席にねぇ、僕はやっぱり「連れて来い」って言ってましたね、マネージャーに。で、そうじゃなきゃ僕、やらないって。だから夜遅くてもお酒の席に若い女の子が来てましたもん。
武田: そりゃぁなんですか、やっぱり本人と会わないと歌なんか作れないと。イメージとかがあるんですか?(笑)それとも単に、マネージャー脅してどうのっていう・・(笑)
拓郎: ちょっと待ってって(笑)
武田: サーカスの団長みたいな・・
拓郎: あっはっはっは。ひぃーひぃー。
武田: そういう、なんか(笑)どっちなんですか?
拓郎: まぁ、どっちでもいいけど・・
武田: 率直にお答えください。(笑)
拓郎: 結局あのー、僕は広島からスターを夢見たもんだからぁ(笑)スターに会いたい。ねぇ、会ってみたいっていう。(笑)
武田: 男のタレントさんとはずいぶん・・
拓郎: 会わなかったねぇ。(笑)
武田: 喧嘩なさったっていう話、聞きましたけど。それは無いんですか?スタジオに行ってチェックして・・
拓郎: ああ、結構ありますね。まぁ飲み屋なんかでもショーケンと喧嘩したりとか。なんだ、お前には曲やらねぇとか、要らねぇや、とか言ってもう・・・(笑)その点、その、かまやつさんとか、あのへんはホントにすがりついて来るというパターンでしたから・・(笑)
頼むよお前っていう脅し。(笑)それから森山良子さんはですね、僕が東京に一番最初に来た時に、既にプロの、日本のジョーン・バエズって呼ばれてて。フォークソングの女王だったんですよ。(笑)なんでしょうね、フォークの女王。(笑)ほんで東京で番組をもう既に持っててね、やたら俺の事、呼んでくれたの番組に。全く売れてなくて名前もなんにも無い僕をね・・・。好きだったのかなぁ、よく呼んでくれるんだよね。局は今でも覚えてます、ラジオ関東。
武田: うわぁぁぁ。あぁぁぁ。懐かしいなぁぁぁ。今で言うラジオ日本ですね。
拓郎: そう!
武田: まだ横浜に本拠地がある頃じゃないですか。
拓郎: そうだよ、山の上の方の・・
武田: 山の上の方。よく覚えております。
拓郎: よく呼んでくれて、お酒飲みに行ったりとか・・良子ちゃん、俺と結婚しようと思ってたのかなぁ。(笑)
武田: そうすっと、かまやつさんと親戚って事になりますね。(笑)
拓郎: そうなの、俺、かまやつさんの甥っ子になっちゃうんだよ。
武田: 甥っ子になっちゃうんだ。(笑)
拓郎: やだやだやだやだ。(笑)絶対に嫌だ。(笑)それからですね、そのアイドル達とは別にですね、元アイドルだったのかどうか、よく知りませんが、例えば梓みちよ、とかね、中尾ミエさんもありました。それからあのー、スパイダース崩れの井上順とか堺マチャアキとかですね。
武田: ほうー、そうそうそうそう。
拓郎: 要するに、昔、一世を風靡してですね、最近風靡できないなっていう人の、後押し。これ結構やったんですよ。
武田: それがかなりの確立で成功してませんか?
拓郎: そう、どっちかって言うと、リフォーム屋って呼ばれて(笑)
武田: あの ♪みどりのインクで~、もそうですね。
拓郎: そうです。(笑)ああいう人達ってね、でもね、欠席裁判みたいで申しわけないけど、梓みちよとか中尾ミエって凄いですよ。   
一時ほら、凄い時代とか築いてるわけでしょ、それで芸能界のドンなわけでしょ、キャリア的にもね。凄いですよ、その存在感ていうのは。梓みちよなんか、襲いかかって来ても何も抵抗できませんからね。受けるしかない!お答えします!って言うしかないっていうぐらいキスして来るっていう。
凄いですよ、「拓ちゃん!曲、作んなさい!」っていう。(笑)なんか、おふくろさんに「私が歌う歌、作れ」って言われてるような。僕はだから、梓さんとか中尾さんから逃げられない。
武田: 中尾さんへは何を・・
拓郎:  ♪かぜのなかで~、っていう、ヒットしなかったんですが。
武田: ほほ~ん。
拓郎: 僕、中尾さんにファンレター書いた事もあるっていうような経緯で、曲作りました。結構、終わりそうな人の応援・・(笑)言っちゃった・・おいおい、まずいよね。(笑)
武田: でもでも、かなり実を結んだわけでしょ、打率にすれば。
拓郎: そうよ、由紀さおりとかね。
武田: 3割以上ですよ、10本中3本以上だから。
拓郎: でもやっぱりレコーディングで一番楽しかったのはアイドルですよ、現場は。
武田: キャンデイーズとか。(笑)
拓郎: し、しつこいなぁー(笑)キャンディーズも、石野眞子とか。
武田: 石野眞子さんですねぇー、マコちゃん。
拓郎: 石野眞子なんてねぇ、ホントに可愛くなったけど、デビューする前の逸話が、俺しか知らないかなぁ、あのねぇビクターの人が、「今度デビューさせるんです」とか言って、「スター誕生で最高得点なんですよ」とか言って「拓郎さん、是非デビューを付き合   
ってくれ」とか言って・・「いいですけど写真見せてください」って、イメージ浮かべたいから。したらすんごい太ってんの。 まん丸の、凄いんだ、これ。「ウソでしょう」って思ったの俺は。この人がどうしてレコードデビューしちゃうんでしょう、こんな丸くて、と思ったの。こんなだったんだから、ホント、こんな、ぶっくぶくで。でもレコード会社の人は「拓郎さん全然見る目がない
んだから」とか言うわけ。「どうして?」っつったら、「この子が半年もするとね、見ててごらん、きれーになるんですよ。」 俺は信じなかったね、絶対に。こーんな目、垂れてたんだよ。これがね、ま、レコーディングの最中もガーガー寝るしね、もう田舎に帰った方がいい、とか思ってたんですが、デビューして2、3か月たって会った時に、もう見違えた。可愛くなって、きれいになってどうしたの?っていうぐらい。   俺はその石野眞子を見た時に、芸能界って怖いって思った。だからきれいになりたかったら芸能界っていうの、あるねぇ。
武田: ありますね。あの、旦那といっしょにやっていっしょにコケた沢口靖子さんのデビュー曲。
拓郎: 沢口もねぇー。
武田: 僕が作詞で、拓郎さんが作曲だったんですよね。ベッピンさんになりましたよね。
拓郎: だってもうあれは日本の美女なんでしょ。あの時、どうしようと 思ったね。
武田: あん時、18ぐらいですよ、沢口。
拓郎: あれをだから審査員て選ぶわけでしょ沢口さんとか石野さんを。 あれを見る目、審査員の。これは、光るっていう、僕にはあの目はない。
武田: 僕はありますよ。僕は割と女優当たりいいですよ。鈴木保奈美さんとか。
拓郎: あぁあぁあぁ。
武田: 保奈美さんも割とうずもれてた方だったんですよ。で、ベッピン さんになりましたねぇ。
拓郎: そう言えば、僕は見る目が無いの、もう1つありました。秋吉久美子! 僕は「旅の重さ」でね、審査員、パックインミュ-ジックだったんだ俺。旅の重さの一般オーディションで僕、音楽だったんで、新人をデビューさせようって言うんで。で、僕はその中に秋吉久美子がいたんですが、僕の得点言うと、最低得点。一番良くない、と。こりゃだめだ。それから、高橋洋子っていう・・
武田: はいはいはいはいはい。
拓郎: 僕、全然いいと思わなかった。関係ない子をね、「絶対一押し」っつって監督に「この子にしてよ」とか言って、で、映画観たら出てないわけその子が。それもだから秋吉久美子を見れなかった、あの段階で俺。高橋洋子に気がつかなかったっていう。僕はね、その辺がだめだね。
武田: あのやっぱスターに憧れて東京に来たもんだから、スターになった人に弱いんですね。
拓郎: ははー、既成のスターに。
武田: 磨く力が無いんですね。磨かれた物を、見るのは上手なんでしょう。
拓郎: きょう、なんかいろいろ勉強になるような・・・
武田: そうでしょう。(笑)
拓郎: どうもありがとう。(笑)
武田: 他人に肥やしをあげてるっていうね、ホントに砂漠に肥やしまく男っていう・・(笑)
拓郎: うわぁ、きたないなぁー。(笑)
武田: さぁ、それじゃあですね、次のフロム拓郎、いってみたいと思いますが、どれいきましょう。
アナ: はい、先程から話題に上がっているキャンディーズの・・
拓郎: あぁ、武田の好きなランちゃん。(笑)ショックなんでしょ、ランちゃん子ども産んで。
武田: がっくりしちゃった。
拓郎: 好きだったもんな、鉄矢。
武田: 共演したかったんだもんな、RONINで。(笑)伊藤蘭、伊藤蘭って、「浅野温子じゃないんだ」って言ってたじゃないか。(笑)
武田: はい、さぁ、かっかっかっ、それではですね、拓郎さんのえへ素晴らしい歌を、キャンディーズいってみましょうね。
拓郎: 浅野さーん。(笑)
武田: 温子さーん。(笑)
「やさしい悪魔」
アナ: フロム拓郎、途中ではございますが・・
拓郎: 武田さん、ま、あのお話はいろいろー、そのランちゃんの話とか浅野温子の問題とか・・
武田: ぼ、僕はねあの、吉田さんと話たかったのは、刑事物語の「唇をかみしめて」っていう。あの話題は触れたかったですね。(笑)
拓郎: 全然触れなかったね。(笑)
武田: はい残念です。フロム拓郎とはちょっとワクが違うんですけども吉田さんが、僕が企画した映画のために書いて下さったという。
拓郎: ええ、良かったですねぇ。
武田: あれはもう、僕は今でも名曲だと思います。
拓郎: どうですか、刑事物語に限らないですけど、そろそろ映画とかやんないんですか?
武田: やんないといけないですね。桑田さんとかビートさんに負けっぱなしだから。元祖で始めたっていうプライドはあるんですけど、続けないと映画ってのはやっぱりだめですね。
拓郎: 武田鉄矢ってさ、さっきも話したけど、なんか映画やってるイメ-ジあんのよ、もう。
武田: うんうんうん。
拓郎: だからやっぱ、歌もいいが、映画が副業じゃないって感じすんのよね。
武田: えー、またいろいろ考えて・・
拓郎: 5億、5億。(笑)
武田: 5億、ま、8億でしょうね最低でね。(笑)
拓郎: 武田さんからねぇ、3億5億の話はいっつも聞いてるんだけど、な-んにももらった事ない。1回もない。(笑)時々六本木で水割り1、2杯。(笑)
武田: いやー、これが吉田さん、結構お食べになるんですよ。(笑)細かい話ですけどねー。(笑)というわけで武田さんボチボチ退散という事で・・(笑)
拓郎: 自分で、自分で切って行くわけ?
武田: えぇ、ホントにどうもありがとうございました。どうぞブータレずに頑張ってください。
拓郎: はい、ゲストに頼って10時まで、9時までだっけ? あ、10時までほとんど俺、もうロレってない?(笑)
武田: よっかかる所がチャームな所ですよね。
拓郎: いやいや、ねぇ浅野温子と伊藤蘭と、どっちが好きだったのよ。
武田: さ、そろそろね、私退散ということで。さ、この後は交通情報ですか?
拓郎: あはっはっはっはっ。
続く
 

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2005/04/06

( 8 ) FROM TAKURO(1)

拓郎: 僕は自分自身を変わった男だと思うんですけども、ラジオ聴いてる人、同年代で知ってる人もいると思うんですけど、鉱石ラジオってあったんです、知らないでしょ。ゲルマニウムラジオっつってねぇ電池の要らないラジオで、1年中鳴ってんのずーっと。イヤホンでしか聴けないんだけど。
アナ: うちにもありましたねぇ。
拓郎: あった?相当、これは大変なもんだよ、持ってると。(笑)で、こういうのをね自分で組み立てて、聞いてたわけ。それでね東京の番組が入ってくるんです。例えば文化放送とかニッポン放送とか。それのヒットチャートの番組があって、それにね、僕、リクエストカードをよく出してたなぁ。「コニーフランシスの可愛いベイビーお願いします」とかって。広島の吉田拓郎です、とかって。で、読まれると、すっごい嬉しいわけ。だから僕ってミーハーだったんだね。ファンレター出してるでしょ、リクエストカードは読んでもらって喜んでるでしょ。凄いミーハーだったって事、今ね、これが成功のバネになってるんじゃないかって。(笑)結局、僕は、スターになりたかった。(笑)松田聖子と変わりない。(笑)
まだ2時間?もう4、5時間経ったような。よくコンサートで、「朝までやるぞ」っつってねオールナイトで2、3回やったんですよ。考えてみたら、あのパワーってなんだろう?自分でも・・
武田: あのー、急に入ってきましたけど。
拓郎: あれー?武田さん? さっき居なかったよねぇ。(笑)
武田: さっきは思い出の歌だったんで、構成全体からいって、あそこは拓郎さんの一人喋りでいった方が良いと・・
拓郎: あっそう? 決めてるねぇ、自分で。(笑)今度は居た方がいいわけ?
武田: 今度はコーナーとして「FROM TAKURO」という、吉田拓郎さんがお作りになった作品の思い出の数々を訪ねよう、という事であります。(笑)    これから話を盛り上げようという事で、やっぱりフロム拓郎と言えば、武田だと思いません? 思いませんよねぇ。(笑)
拓郎: えぇー。(笑)
武田: 篠島にしても何にしても十何時間歌うわけでしょ。
拓郎: うん、だからここで9時間やるのは楽な事だと思うんだよね。
武田: 楽ですよ。あのエネルギーは凄いですね。
拓郎: うん。さぁ、いろんな、だから僕は、日本有数のソングライターになろう、というのが僕の中にあったもんだから、有数かどうかは別にして結構いろんな人に曲を作ってきたんですが、そういうのをちょっとですね、全部は無理ですから、2、3聴いてみようと思うんですが。いろんな人やりましたけど、きょう聴く以外の人でも全然レコードの売れなかった曲も結構楽しいんですよ。あのねぇ、「食べちゃうぞ」、知らないでしょ。「原辰徳」の歌とかも作ってんのよ。
武田: えぇー? 原さんの歌ですか?
拓郎: 僕、自分でもね、「俺作った覚えない」っていう人まであるんですよ。(笑)だからねぇ、これこの一覧で懐かしいのは、「食べちゃうぞ」、やざわ
いくよさんて、僕知らないもん、この人。
武田: ほほぅ~。
拓郎: ほいで、ケイ・アンナって誰でしょう?
武田: ほぇー。あっ。
拓郎: あ、三原綱木さんの奥さん! 
武田: はいはいはいはい。
拓郎: 木の内みどり、これは思い出がある。木の内みどりって、あの素敵な娘だったよね。あのねぇスタジオでねぇ、すごい鼻声の人なんですよ。♪ふぅー
(笑)今でも忘れません。とんでもない鼻声。それからアグネスチャン。
武田: あ、アグネスチャンあるんですね、「アゲイン」。
拓郎: ありますねぇ。 太田裕美は結構思い出深いですよ。あ、五十嵐ユキさん・・あっ! 石田あゆみさん、石田あゆみの曲を作ってるのに、全然あの人
どこで会っても知らんぷりだね。僕も作った覚えがないですけどね。
武田: ほう~。
拓郎: 下條アトムって俳優さんじゃないの?
武田: そうですそうです。
拓郎: 知らないなぁ、この「俺と親父」って知らない。川村ゆう子はありますねぇ。 
武田: 「銀河系まで飛んでいけ」、梓みちよさん。
拓郎: あ、これはねキャンディーズに作った曲なんですよね。懐かしいですね、テレサ野田。いいですねぇ~。
武田: テレサ野田って、いたなぁ。(笑) えぇ、八月の濡れた砂、あぁ~。
拓郎: そうだよ。伝説の、あの井上陽水夫人が歌ってる、石川セリさんが歌ってる・・
武田: 日活ロマンポルノの傑作。
拓郎: そうだよぅ。 松山政路っていうのも俳優じゃないの? これ、いろんな人いますけども、浅田美代子なんてのもいますけどね。(笑)ああ、ありますわ、まず曲、聴いてみましょうか。さっきも歌ってました、僕にですね、ともかく接近して来るのはこの人が一番だった、ホントに。とにかく、接近して来るわけ。(笑)「拓郎、飲みに行こう」とか「拓郎、おもしろい所連れて行く」とか、悪い事の全てを僕に教えこんだ人です。
かまやつさんの曲、聴きましょうか。
「我が良き友よ」
      
続く
 

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( 7 ) 拓郎「中学、高校、大学時代」を語る

拓郎: 広島の中学校、高校、大学の頃に聴きまくったという曲をですね、いろいろ聴いてみたいなと思います。
で、選曲してみたんですが、とんでもない曲が出てきますけれども、まずあのボブディランていうのが必ず僕の場合、言われまして全然あんな、足元にも及ばないんですが、神様ボブディランの曲をですね、「風に吹かれて」。
まぁあのー、ボブディランていうのはフォークソングの神様、でもフォークソングっていうかロックの神様でもあるんですが、要するにギターを弾きながら首からハーモニカぶら下げて、なんかカッコいいんですよ。僕なんか形から入る人間だから、ボブディランの写真見た時に、「これいい」っていう。もう直感でね。この人みたいにしよう、みたいに形で。その人がどんな歌を歌ってるかってよくわかんなかったです。僕は今でもフォークソングってよくわかんないし、ボブディランの歌もよくわかんない時がいっぱいある。わからないけどなんかこの、形が好きで、広島にいる時ボブディランの真似をしようっていうんで、家出を何度もしてたりすると俺もしなきゃ、とか思うんだね。ほいで俺なんか母親に「明日家出します」って言って家出するっていうね。わけのわかんない家出をね、2、3回してるんですよ。ギターを抱えて山陰地方を周るっていう。島根、鳥取を周って、砂丘を見てねギター弾きながら、うーんフォークだ、とか思ってるわけ、形だけで。ま、アイドルですねボブディランは、憧れきってるから何でも良いわけ彼がすることなら。彼が反戦て言えば、私
も反戦、みたいな感じでね。いろいろ研究して彼の才能がわかってきたんですが・・・ところが僕はボブディランなんかを聴く前は何してたかっていうと、意外とですね例えばアメリカンポップスっていうのが50年代とか流行ったんですが、プレスリーとかね、いろんな奴がいたんですがビートルズなんか出てくる前ですから。これがね、どこが憧れちゃうかというとアメリカの若者の生きてる生き様というか、カッコいいんですよ。要するに車を乗り回すっていう形とか、ガールフレンドのあり方とか、高校なんかでやるダンスパーティー
がカッコいいとか。そういう彼らが出ている映画なんかを観に行くと、流れてる音楽がすごい素敵、とかね。アメリカの文化に憧れるもんだから、当時、なんでもいいからアメリカっぽくいきたいわけでしょ。僕なんかも子どもの頃ね、達者でな、とか歌ったもんですよ、ステレオで。だから三橋美智也さんの歌も好きだったし、三波春夫さんの、おーい船方さんとかね。
でも結構アメリカ的な物にね、憧れてて。僕はねたまたまうちの兄貴が、東京でピアニストやってたんですよ。でその兄貴の影響でね、洋楽っていうのを結構聴かされてたのね、その頃から。ほいで次の曲なんですが、日本にはいろんなリズムが流行って、マンボとかツイストとかですね、ダンスが流行ったんですね。僕、マンボ踊れませんけども、マンボズボンて知ってるでしょ。ああいうののはしりなんですけどね、日本でマンボが流行った時代があったんです。で俺の兄貴はマンボをやるバンドのピアニストだったの。うちの兄貴の持ってるレコードとか言うと、マンボなんです、ほとんど。僕、中学生だけど、マンボってわかんないんだけど、ウーッ、ていうんだって。
で、生まれて初めて見た、外タレっていう、今で言う、これがこのペレスプラードっていうね、マンボの王様がね、広島に来たんですよ。かっこ良かったなぁ、ステージで踊るわけ。矢沢永吉ですね今で言う。カッコいいんだ凄く。俺はこれになりたいって。ボブディランじやないの。踊る指揮者、後のスマイリー小原。こういう路線を僕は、もしかしたら歩んでたかも知れない。ものすごく明るくて気持ちがいいんですよ、マンボって。当時聴いた曲なんですが、「マンボ№5」。
えーこういう昔、聴いた曲をね、今さら聴いて、当時をね懐かしんでも仕方がないんですが、僕、その頃自分がどうだったかっていうと、思い出すのはね、日本のテレビ。だから日本のプレスリーとか、和製プレスリーとか、和製ニール・セダカとか、和製コニー・フランシスが結構いたんですよ、ザ・ヒットパレードなんかの番組で。だいたいね、ザ・ピーナツのだったりとかですね、藤木たかしっていうですね、ツイストの王者がいたんですよ。それとか飯田久彦っていうね、ビクターの今、ディレクター、プロデューサーですか。あの、ピンクレデイーを育てたっていう。あの人、あのー和製デル・シャノンっていう人だったんですね。で、和製をテレビで見てね、それから本物のレコードを買いに行くっていうね。むしろ僕達は、坂本九さん達がやってた和製ポップスを聴いて、本物を買いに行くっていうことでしたね。
続く
 

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2005/04/05

( 6 ) 武田鉄矢「照和」を語る

拓郎:  まぁあのー、人間の性格なんてそんなに変えられませんから・・・飽きっぽいんですよ俺は。ホントにね、飽きちゃうんですよねー。
武田: それと、もう一つはあの、物覚えが悪いですね、自分の歌、ほとんど・・・
拓郎: 全然覚えてません。(笑)それ、物覚えが悪いって言うより、バカっていう・・・(笑)
武田: いやいや、ちょっと今ね、話に突っ込んでしまいましたけどね、拓郎さんの意外な個性をみなさんに知って頂こうと思いまして。(笑)お作りになった曲をほとんど覚えていらっしゃらない。
拓郎: 覚えたくないですね。詞とかさぁ、なんかこう、「覚えたくないっ」ていうのありません?覚えちゃうともう朗々と歌いそうな気がして。要するに歌い込んじゃったり・・・俺、あの歌い込むヤツ嫌いなの。いつもおどおどしていたい。リハーサルでラクしたい。(笑)ま、逃げですけど、ひとつの。
武田: このへんがやっぱり意外な所ですね、一回お家に遊びに行って「何か歌ってください」って言ったら、「俺の歌なんか知らないよ」って言われたもんな。(笑)あの時のショックが生々しく残ってますね。
拓郎: ところでですね、そのー、武田鉄矢さんが東京に来た頃は博多で、いわゆるそのーさっき話したチューリップとか、甲斐君とか、井上陽水とか、ホントに博多っていうのはいっぱいいろんな人が出てるんですが、その照和というフォーク喫茶ですか?それは。そこに海援隊もいらして。どっちかって言うとライバルは、チューリップだったそうですね。
武田: そうですね。財津さんとのライバル意識、ま財津さんは僕らの事ライバルと認めてくれないのね。何故かっつうと僕ら音楽性もの凄く低かったですから。
拓郎: 財津に比較すると?
武田: そうです。そうそう、やっぱ財津さん、抜けてましたから。でも、その財津和夫っていう、うまい曲を作る人に向かって、なんでもいいから向かって勝ちたかったっていうのが、やはりエネルギーでしたね。で、彼らが東京に行った時が、やっぱり東京に行こうと思った始まりでしたね。それで、ちょっと関係がややこしいんですけどね、財津さんはチューリップをそのーエレキバンドにするためにですね、九州で彼の耳にかなった人間を全部ピックアップしたんですよ。ドラムスとかリードギターとか、ヴォーカルとか。で、財津さんのチューリップの近代化のためにですね、潰れていったバンドが3つくらいあって・・・その1つが海援隊だったんです。我々もできなくなって、で、もう一つライラックっていうグループがあって、そことドッキングして、だから、ま、そういう意味では非常にこう・・・
拓郎: 財津に拾われなかった奴らが・・
武田: そうです、そうです。そうそう、拾われなかったという恨みがエネルギーになるんですね。
拓郎: なーるほどねー(笑)
武田: 甲斐君はビューティフルエネルギーっていう歌を歌ってますけども。(笑)それでみんな「ヒーローになる時は今」って言いながら、(笑)飛び出して行ったという。
拓郎: 財津さんて人はとんでもない人ですね。(笑)
武田: だから、やっぱり一種の核融合みたいな人で、自分が弾け飛ぶと、他もいっしょに爆発させたっていう事でしょうね。
拓郎: でもそれは、博多のミュージシャンにとって、財津さんて人は、良い悪いはこっちへ置いといて起爆剤になってる事は事実なんだね。そうとうな影響力があったっていう。
武田: 財津憎し、っていう感情は凄かったですね。ズバリ言うとね、敵討ちみたいな。怒りって唯一エネルギーになるホルモンですからね。それでね、彼もね、もの凄かったんだなぁ、よく覚えてんのはね、いっしょに、合同でね、アマチュアでコンサートやったですよ。ほいで演奏間違えたらね、全員並べましてねメンバーを、ほいでビンタはってましたよ。これ意外でしょ、あんなたおやかなグループがね。あの昔のグループってそういう所ありましたね。
拓郎: モップス。
武田: モップス凄かったです。
拓郎: 鈴木ヒロミツはみんなを殴ってたよ、楽屋で。バカヤローとか言って。(笑)怖いなぁーと思って。(笑)それがチューリップ?信じられないねぇ。
武田: でも気合い満々だったなぁ。
武田: ちなみにその照和に登場する出演者っていうのはタモリさんなんかもそうでしたね。タモリさんは僕らの行きつけの喫茶店の1ブロック向こうの喫茶店の店長やってらして。あと漫画家で名を成した長谷川ほうせいが食えなくてウロウロしてて、それから川島透ですか、あの若き監督も、照和の暗闇でゴロゴロしてて。
拓郎: 凄い所だね、あそこって。
武田: 強烈な思い出は、照和のマスターが、「小学生がね、来たがってるんで追い払った」っていう。小学校6年生くらいの子が、照和でお兄さん達が歌ってるから聞きにきたって、ところが小学生はさすがに入れられないんで追い返したら、その子がチェッカーズのフミヤ君だったって。
拓郎: 俺、でもね、チェッカーズのフミヤとか、松田聖子とかはわかるんだけど、海援隊とかチューリップがプロでメシ食っていける、とか思わせたフォークソングってのは良くなかったね。
武田: それはあの、いえます。
拓郎: とんでもないことだったね。
武田: 俺、でも夜行列車に乗るとき、指から先も自分の成功を疑いませんでしたね。
拓郎: そうですかぁ、曲いってみましょうか。
武田: はい、というわけでありましてですね、(笑)えー、ヒーローになる時それは今、ではございません。(笑)東京を目指した青年たちが、必ず挫折する時が来ます。私にもありました、1年後ですね。つまり東京暮らしがさして甘くないという事を武田鉄矢は思い知るのであります。えーその時ふと口にしたバーボン。さ、吉田拓郎さんが挫折した青年に大いに歌いかけます。元気を出せー青年たち。 
「ペニーレインでバーボン」
拓郎: あー(笑)
拓郎: ペニーレインねぇ、今無いですけどね。あの、よく修学旅行の人達が来てましたねぇ。(笑)ここお酒飲む所じゃないんですよ、元々。だけど僕達が夜集まって、「なんか話する時お酒が要るね」とか言うんで、バーボンなんか無かったの当時、なんかビールを飲むような軽い感じだったんだけど、いきなり僕らがバーボンとか飲み始めて、飲み屋のように皆思ってんですけど、ここは甘い物屋さんなんだよね。凄い勘違いでみんな酒飲みに行ってたんだよね。気がついたらなんか酒屋になってて、ボトルとかみんなキープしてたけどね。今、無いですね。だから原宿なんて変わったなぁー。僕達、新宿に住んでて、追い出されて原宿に引越したんだけど、あの新宿に居られなくなってね、警察とかうるさくなって。フーテンは出て行け、とかヒッピー出て行けとか。で「どっかいい所ないかなぁ、俺達のねぐらみたいな所」っつって、当時原宿はね、住宅街でなんにも無かったですね。今もうみんな日曜とか見に来るけど。
そんな所にですね、夜、僕達を遊びに連れて行くってんで、常にリードしてくれた先輩がいるんですよ。「原宿はだめ、六本木に来なさい」。これが、次の曲をいっしょに歌ってる人なんですよ。 
「シンシア」

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( 5 ) フォークソング

拓郎: えーとですね、要するにだから70年代か、僕が東京へ来た頃は東京はカレッジフォークっていうのが流行ってたのね。そいでそれは大学を中心にしたフォークソングを歌う連中で、まぁ、うん、変な分け方だけど向こうのグループだとブラザーズフォーとかキングストントリオみたいな、そういうのをやるという。ファッションで言うとアイビーですよ。アイビーで髪の毛を短く刈ってて、それでVANの洋服を着るという、リーガルの靴を履いてるっていうのがカレッジフォークの人達でね。まあ、その中に入ってるかどうかは別にして、よくわからないけどマイク真木さんとかですね。それからブロードサイドフォーというような「若者たち」を歌う奴らとか、ま、いろいろいたんですが嫌いでした僕は。ああいう、だから非常に健康的なの。それと、なんか良い所の坊ちゃんがやってるっていうイメージがどうもなんか、いいとこの坊ちゃんじゃなかったせいもあるけど、嫌でさ。どっちかっていうと汚い格好してるヒッピーの方に行こうっていうのがあって。まずファッションで言うとJUN、JUNなんだよROPE、JUN&ROPEの世界なんだよ。パンタロンでね、髪の毛は長髪にしてわりとこう、ミデイのコートなんていうのが流行ったんですよ、中途半端に長い。で、長いマフラーをするとかね、妙に。シャツなんかは、こう袖口が広がってるんですよ。末広がり
ズボンもパンタロンで。
武田: 末広がりっていうのも凄い表現ですね。
拓郎: わかりやすい?(笑)
武田: なんか結納の品みたいですね。(笑)
拓郎: ほんとに、(笑)そういうファッションで、どっちかっつうとこうフーテンのようなあり方の方が自分達に合ってるっていうんで、結局ボブディランとかですね、そのー僕達は日本人だから、戦争なんか体験してないんですが、アメリカのフォークソングってのはベトナム戦争をもろに体験してるわけでしょ。彼らアメリカの若者達は現実に徴兵制で、こう、かり出されるっていう現実があるからディランとか彼らが作る歌っていうのはホントに現実的に戦争を目の当たりにしてる歌なんだよね。反戦歌なわけ、ホントのプロテストソングっていうか。僕達は戦争なんか関係ないわけだから、せいぜいあって60年安保とか70年安保、70年安保なんて60年と比べるとね、か細いもんでしたから。そういう連中が、反体制の歌を歌うったってテーマがないわけ。つまり戦争に行ってるわけじゃないし時々まぁ「自衛隊に入ろう」なんていう曲を作るくらいのもんで。反戦歌って言ったって、とてもピンと来ないんですよ、やっぱり日本人では。それから国家権力に対してどうのこうの言ったってなんかピンと来ないのね。そんな感じがあるから、日本でフォークソングっていうのはそのカレッジフォークも関西フォークもアングラも全部、結局、ダメだっていう。フォークソングっていうのは、アメリカのピートシーガーっていう人が言ってんだよ、プロになっちゃいけない、と。お金もらうようなのはフォークじゃないんだ、っていうのがあってさ。そこ、すごく突いてるなって思うんですよね。ほいで、70年代の日本のフォークソングっていうのも、結局ワァーっと盛り上がっては来たんだけど、聴いてる側もやってる側もなんだかよくわかんなくなって来て、これ本当なんだろうかっていう嘘っぽく見えて来てさ、いろんなものが。
武田: それはでも拓郎さんが個人としてお考えになった事でしょ。
拓郎: そうですよ。
武田: それは少し注釈を入れると、大勢の若者達は付和雷同して、反戦ソングを歌う事に関しては、もの凄く燃えたんですね。で、その真ん中にいらっしゃる拓郎さんがたった一人で、冷めてらしたという。
拓郎: そうでしょうね。武田: それはでも奇跡的な事ですよね。みんなが盆踊り踊ってる時に、踊らないっていうのはね、後ろの人つっかかっちゃってね。(笑)
拓郎: ハハッそう?
武田 うん、だからそれは勇気も要るし、すごいなぁー、僕はいつもそのへんで圧倒されますね。
拓郎: なんかピンと来なかったですね自分でも。だからフォークでも、勿論レコード会社なんかフォークソングって言えば売れただろうし、けど自分でも、フォークなんだろうか?とかさ。ロックって言うと気が楽かな?とかさ。だからホントに運良くニューミュージックなんて言葉が出て来たのはラッキーで、それから後に出てきた人はみんな気が楽だよね、もの凄く気が楽なんだよね、そこは。結局その歌のテーマなんかも、反戦歌はダメだし、それからプロテストソングっつってもなんかピンと来ないっていう所から、結構ほら、私小説的な歌が増えるんですよ。岡林とかあのへんの人達が歌ってる、時代がどう、とか、私達はどうだろう、ていう歌が無くなって、全部あの私小説の世界に入って行って、それをフォークソングって言うもんだから変な事になっちゃって、神田川がフォークソングなわけない、って思ってるわけ僕は。あれは流行歌ですよ、大ヒットのね。
武田: まぁ歌謡曲ですよね。
拓郎: とてもいい歌だと思うけど、フォークではない。でもあれもフォークになっちゃって、結局、なんかギターを、生ギターを持ってやってればフォークソングだっていう時代があったもんだから、日本の音楽ってなんかわけわかんない所へどんどん突っ走っていって、その後の、だから、かぐや姫とか風とか、さだまさしの歌とかも、ほとんどフォークじゃないわけ。なんでもないの、ただ楽器としてアコースティックギターを持ってるっていうだけの事で、アコーディオンだったらどうだっただろう、とか思うわけよ。だからフォークソングなんて日本では、ほとんど根付かなかったっていう。最初から僕、俺のはフォークソングなんだろうか?とか、むしろ僕は自分が行く方向としては、ヒットソングを書きたい、とかね、それから、みんなから尊重される尊敬も
されるかもしんないソングライターでいたい、とかね。そういう気持ちが強かったんだね。
武田: 僕は吉田さんの遥か後輩ですけど、完璧に自惚れて歌ってましたね。あの、反戦ソングを。だってもうみんなそうだったし、仲間で歌ってなかったのはチューリップくらいのもんでしたね、アマチュアの中では。
拓郎: チューリップの話題は根深かそうですから(笑)、曲のあとで。(笑)
武田: いやいやー。(笑)
拓郎: 曲、いきましょうか。
「旅の宿」
続く

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2005/04/04

( 4 ) 心の支え

拓郎: 「結婚しようよ」でしたが、結婚しちゃったヤツもいますからね現場で、コンサートでね人が歌っている最中に結婚しちゃったヤツいっぱいいるんですよ。とんでも無いですよね。で、昨夜「東京へ帰った方がいいんじゃない」っていう意見を押し切って、この街に泊まったんてすが、なかなかいいですね。ほら、今僕、引越しがテーマだからさ、東京に住みたくないって思ってるから。
武田: はい。
拓郎: さあ、「結婚しようよ」がですね・・
武田: なぜ裏切り者の歌かっていう(笑)その説明をですね、時代背景とともに・・(笑)
拓郎: 鉄矢、番組代わろうか?もうあと頼むわ、お前に。(笑)
武田: いやいや(笑)
拓郎: 俺もう充分やり尽くした。燃え尽きた、燃え尽きた。(笑)
武田: ダメ、責任を持ってやること。これが課題ですよ、ね、40歳を過ぎたんですから。(笑)
拓郎: はい。(笑)わかったよ。(笑)
武田: あの~、これはちょっと説明しなければならないんですが、これあの私が概略だけ説明しますと、「この歌が軟弱である」ということで、拓郎さんものすごい「帰れコール」を浴びせかけられたんです。不思議なもんですね、吉田拓郎さんの大ファンのくせして、拓郎さんが出てくると「帰れ」っつってヤジを飛ばすという輩が・・・
拓郎: そう、覚えてるのはねぇ、石川県の卯辰山(うだつやま)相撲場という所で・・・
武田: あー、覚えてる・・・
拓郎: で、こう真ん中が相撲する土俵なんですよ。で、なんていうの「すり鉢形」になってるわけ。そのすり鉢の真ん中で歌うんですよ。すると上の方からね、空き缶とか空き瓶とかいろんな物投げてくる。そこで歌ってなきゃならないわけでしょ。でー、僕の前に歌う人はみんなどんな軟弱な歌でも、みんな、こう、歓迎されて、優しい目でみんなが見てくれて・・・なぜか俺が出て行くと、みんなが一斉に暴徒と化すっていう事がありましたですね。その卯辰山相撲場で感じたのは、「なんかみんなおかしいんじゃないかな?」っていうのがあって、これから先、俺、歌うか歌わまいかっていう、人前で、その時、決断したのね。女の子が、「帰らなくていいのよ」って言う子がいるわけ。「拓郎がんばって」って。男はみんなで「帰れー」ってやってて、女の子達は「がんばってー」とかやってるわけですよ。こうステージから見てるとさ、結構色分けがはっきりわかってね、「女の子が正しい」と思ったもん、その時俺。「帰らなくていいのよ」っていう声がかかったら帰るまいと。日比谷の野外音楽堂なんかでは・・・
武田: そこでもあったでしょ、騒ぎが・・・
拓郎: あそこはあの~、客をステージに引っ張り出して、殴り合いの喧嘩やりましたよ。「出て来いこらー」とか言って大喧嘩しました。とかですね、名古屋あたりへ行くと、もう、もの凄かったから、帰っちゃった事あったね。「じゃあ帰ります」って。(笑)
武田: 凄かったらしいよ。俺、伝説で知ってますけどね。出てきて「帰れ」って言われて、「帰ります」って言いながら帰ったらしいですね。
拓郎: そう。でもなんだかよくわかんない。料金みんな払ってるわけですから。(笑)みんな叫びに来てた、「帰れ」って言いたくてしょうがない。
武田: 不思議でしょうがないのは、よく踏みとどまりましたね。恐怖感てすごいでしょ。
拓郎: やっぱでもね、その女の子が・・っていうけども、女性の応援ってそういう時、救いになるんだよね。男がいっくらギャーギャー言ったって、別に気にならないわけよ、女の子が「大丈夫」って言ってると。だから俺、お母ちゃん子だったのか、ばあちゃん子だったのか、女系家族にいたせいかさ、女の人の言ってる事の方を選ぶみたいね。
武田: これでもあのー、吉田さんの発言を大事に考えなきゃいけないんですけど、みなさんでね、「吉田拓郎を考える」の会ですけど。(笑)
拓郎: ちょっと待てー(笑)
武田: 今のアイドルの人がいるとして、人気絶頂だとします。で、50人が「帰れ」って言うとね、泣き出しますよ。だって、拓郎さん、そんな体験最近の若い人はして ないんだから。
拓郎: しない方がいいですね、これは。
武田: いやでもね、しない方がいい、じゃなくて・・・
拓郎: お、怒るなよ。(笑)
武田: いやいや、俺、自分の過去を簡単に言う人って嫌いなんだよね。そういう人、いるでしょ。
拓郎: 俺のこと嫌いなんだ。(笑)
武田: 「文化勲章おめでとう」とか言うと、「いやーたいしたことないですよ。女房がやれって言うからやったらもらっちゃった」とか言って、真面目に話さないという人とか。(笑)でも拓郎さん、その間の迷いとか苦しみとか恐怖感ていうのは凄かったんじゃない?
拓郎: いやー、やっぱり女の子が応援してくれてると思うとね、なんでもなかったね。(笑)
武田: シンプルだなぁー。(笑)うわぁードラマにならないくらいシンプルだなぁ。(笑)
拓郎: でもさ、鉄矢さ、よくある話なんだけどさ、売れない頃のミュージシャンを支える女の人って必ずいるでしょ。
武田: いる、いる。
拓郎: ね、影のような女の人が。で、必ず、有名になると、その人と切れちゃうっていうパターンがあるじゃんミュージシャンて。僕もいましたもん。つまりその、「結婚しようよ」を出す直前あたりは「帰れ」が結構あったんですよ。その頃ね、僕を支える女の子がひとりいて、名前も忘れちまったけども、僕のレコードが売れた瞬間に忽然とね、姿を消したんですよ。高校3年生だったですね。それはもうホントに影になり日なたになりね、支えてるなって気がして、「東京のこの子がいてくれれば俺、大丈夫かな」っていうの、あったね。
武田: うん、つまりあの、歌っていうのはたった一人、よき理解者である女性がいれば、成立する世界なんですね。
拓郎: そう。で、その子が例えば「結婚しようよ」みたいな詞を書いた時に、「こういう明るいのいいかもしんないね」とか言うと、そうか、っていう気になって何万人が「帰れ」って言っても怖くないっていう・・・鉄矢さんそういう女性、いませんでした?奥さんだった?
武田: いや、いました、その前に。(笑)えーとね、群馬の方に。
拓郎: あした行くよ、俺。(笑)明日、群馬泊まり。(笑)
武田: やっぱり拓郎さんと同じですね、支えてくれた人でしたね。
拓郎: 消えちゃった?
武田: うん、いろいろドラマがあって・・・
拓郎: ドラマ?(笑)じゃドラマ、あとで聞きましょうか。(笑)
武田: はい、というわけでございまして、吉田拓郎さんの苦い青春の思い出を今、語っていただきましたけどもその苦さの中から生まれた歌ですね。吉田さんを支え続けたその女性は、どこで元気にしていらっしゃるんでしょうかね。(笑)
拓郎: そうですねー、そうですねー。(笑)
武田: そんな青春の苦い体験を吉田拓郎さんは、こんな美しい歌に変えてしまいました。(笑)それでは早速聴いてみたいと思います。(笑)いってみましょう!
「春だったね」
拓郎: おいおい(笑)
続く

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( 3 ) 武田鉄矢上京物語

コーナーゲスト・武田鉄矢
拓郎: これは予定に組んでなかったでしょう。
武田: 何がですか?
拓郎: きょうここへ来るっていうのは。
武田: 俺、なんかスケジュールには書いてあったんですがね、ま、単なるインタビューかと思ってですね、あの「大河ドラマに入られる心境」とかね、そういう5分間番組かと・・・(笑)
拓郎: そうそうそう、大河やるんでしょ今度。あれ?なんだっけ今回?
武田: 太平記ですね。楠木正成ですね。皇居前に銅像が建っているんですけどね。
拓郎: きょうはゆっくりしてってください。(笑)
武田: はい、ありがとうございます。(笑)       
武田鉄矢の曲
拓郎: あれですね、サウンドが「今」してるね。
武田: このへん聴いて、やっぱ歌、うまくなったなぁーって・・・
拓郎: うまいよねぇ~。
鉄矢: やっとバラードが歌えるようになったなぁー。(笑)
拓郎: バラードが・・(笑)なんか鉄矢から聞くと笑っちゃうんだけど、結局さぁアンタの「母に捧げるバラード」っていう本にも書いてあるんだけど、
武田: はい、吉田さんから受けた影響とかね・・・
拓郎: うん、いろいろ読ませてもらって、その海援隊っていうグループが東京出てきたの七十何年?
武田: えっとねぇ、僕と吉田さんの関係をちょっとお話ししましょう。
拓郎: うん。、ま、どうぞ。(笑)
武田: いやいや、深いあれはないんですけどね。僕は「イメージの詩」の頃、僕は大学2年生か3年生で、吉田さんの関係者の方から、あの曲が入った「古い船をいま、動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というLPをサバいてくれって言われて、で、僕は10枚ほど引き取って、1枚、アマチュアでしたからね、1枚買って、そいで聴いて、「凄いな」と思いま した。すっごいショックを受けました。
吉田: なんで?学生?
武田: 学生です。それで僕は3年の秋くらいに、「広島の吉田っていう商科大学のヤツが東京へ行った」っていうのを風の便りで聞いたんですよ。
拓郎: はぁ~(笑)
武田: そいで「うわぁー行くヤツはいるんだなぁ」って。そんな話を、今で言うとチューリップの財津さんとか、甲斐バンドの甲斐君とかと話したのは覚えてるんですよ。俺たちと同世代のヤツで、「ギター持って東京行くヤツが、出た!」って、そりゃもう第一号でした。ほんで僕らは、東京へ何故行かなかったかって言うと、失敗者が多かったんですね。東京へ行ってダメんなった人で、井上陽水さんて人は「ホリプロに入って(笑)、借金背負って帰ってきた」っていう嫌なニュースがあって、博多で。で陽水さんを囲んでみんなで「バカ」って叱った事があって(笑)
拓郎: アッハハハ 武田: 「故郷ば捨てるけん、そげなめにあうったい」かなんか言いいながら(笑)、反省してましたよ。(笑)
拓郎: 性懲りもなくまた出て来たけどね。(笑)
武田: そうそう。俺、あれよく覚えてるなぁー、吉田さんとの思い出の絡みなんですけど、吉田さんが東京へ行って、「結婚しようよ」がヒットして。そん時にやっぱ陽水さん、唇かんで「行く!」って言い始めた頃でしたよ。確か、その頃だと思う。あれショックだったもん、「結婚しようよ」は。そいでその時にあの人、「傘がない」歌ってましたよ、それでもうみんなで責めたんだ、「何が傘がないだバカ」っつってねぇ、「何が傘がないだ、お前の歌は展望がないんだ」って(笑)「買え」っつってさ傘1本ぐらい。(笑)
拓郎: それはよく東京でも話題になったね、「傘がない」っていうのは、「傘がないなら貸してやる」っていう。(笑)あの頃の歌ってそうやってイチャモンつけられると全部コケちゃう歌だよね。(笑)
武田: 陽水さんは特に貧しい歌が多かったですね、父ちゃんの湯のみ茶碗が欠けている、とかね。「湯のみ茶碗くらい買ってやれよプラスチックの割れないヤツを」とか。で、そんなこんなで、やっぱ吉田さんの東京における活動ぶりっていうのは、ローカルヤングマンとしては、ものすごく眩しかったですね。
拓郎: その頃ってさぁ、何でそういう情報って知ったんでしょうね?週刊誌なんかに出ないし・・・
武田: あったの!あったの!「平凡パンチ!」、平凡パンチの隅っこの方に載るんですよ、「フォーク情報」って。
拓郎: うそー!?
武田: ホントに、よく覚えてます。それで俺ね、「平凡パンチ」が一回、特集を組んだんですよ。吉田さんの。それでね、そのサブタイトルが、かっこいいんだ。「荒野に水まく青年!」って書いてあったんですよ。(笑)
拓郎: うん、俺はだいたい「荒野に水まく」か「砂地を整地するブルドーザー」とかね(笑)そういうのばっかりなんだよ(笑)
武田: 「荒野に水まく青年」って、シビレたなそのタイトルが。誰が好き好んで荒野に水まきますか?(笑)ね、俺はその一言でホントに、やっぱりまきたかったもん自分で。(笑)なんでもいいから(笑)もうなんでもまくつもりで、「田んぼに水まく青年」とか(笑)
拓郎: ハハハッ 武田: いや、それでもよかった(笑)それで、そういう残像があって、吉田さんのいる東京へ飛び出して・・・で、会社も同じ会社へ行ったですよ。
拓郎: エレック?
武田: エレックレコード。そしたら居ないんだもん、裏切っちゃって(笑)CBSソニーかどっかに・・・
拓郎: あ、僕もう・・(笑)
武田: 心身ともに売っちゃって(笑)
拓郎: あれれ~?
武田: すれ違いですよー、それで非常事態宣言ですよ、「吉田が逃げた」って言って。それで俺ら東京行った日から、「拓郎さんがいなくなったこの会社をどうするか?」って、重役会議ですよ。(笑)ほんで門谷さんっていたでしょ、門谷憲二、あの人ベソかいちゃって・・・「つぶれる」とかどうのこうの・・・元気よかったのは泉谷さんだけでしたよ、「俺が一人で背負う!」って(笑)
拓郎: また凄いことを、アイツ(笑)
武田: ホント、言ってましたよ。俺、頼りにしてたもん泉谷さん。それで、4年後か5年後に、泉谷さんから静かに、「お前らを捨てる」(笑)て言われましたもん。(笑)俺ぁショックだったなぁ。
拓郎: みんな、裏切ってる時代だったんだね、じゃあ。
武田: そう、裏切りがねぇ生き生きしててカッコ良かった。ビルの出口の所まで行ってね、みんなで大絶叫でね、「裏切り御免!」って言いながらね、時代劇みたいにね(笑)
拓郎: じぁあ僕が裏切り者って言われてた頃の代表曲を・・・お、うまいなぁ俺、フリかたが(笑)
武田: いやいや僕が全体の流れを考えながら(笑)じょうずにふったんですよ(笑)
拓郎: 武田が来てから急に上手に進んでいるのは、キミの進行がうまいわけだ。(笑)
武田: そうです、そうです(笑)やっぱりね指揮者って必要ですよ。
拓郎: おいおい(笑)
「結婚しようよ」
続く
 

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2005/04/03

( 2 ) 70年代

拓郎:  あれですねぇ、やっぱり声が可愛いですね。僕ね当時から言われてたんです、しわがれた声って。当時のエレックレコードって言う所の人達が、瀬戸内海の潮風で、なんか俺、浪曲師、演歌師みたいな、瀬戸内海の潮風で、なんだったかなぁ「枯れた声」っていう人だったんですよ。そういうイメージをつけて売り出そうっていう作戦があったんですが見事に外れるというね。(笑) 僕はね、一番最初はね、今のは一応レコードなんですけども、最初はソノラマっつって、朝日ソノラマ。赤いペラペラの、でレコードの針が飛ぶんですよ。そいでレコード針の上に5円玉乗っけたりしてね、飛ばないようにしてかけるとかかるっていう、それが僕のデビュー。僕はだからね、最初からレコードデビューしてないっていう、わけのわかんない事だったんですよね。

ちょうどさっきの、青春の詩とかイメージの詩とか、あそこらへんはね、アマチュアの時に作った曲なんですけども、そういうのをエレックの人とか聴いてね、「プロにならないか」とか言って、すったもんだ、結構僕、広島でおふくろが、あのお茶とお花の先生やってましたから。で、おふくろがよく僕にね、「将来母さんの後を継ぎなさい」と。   うん、だから僕、お茶とお花、上手いんですよ。お師匠さんになれるんですよ、いつでも。僕、こまったら必ず裏千家で食っていこうという、覚悟は決まってるんですけども、中学の頃からね、お花はあんまり好きじゃなかったですが、お茶って結構好きでね、うちのおふくろが教える若い娘ちゃんが遊びに来るでしょ。もう楽しくて、お茶は。いつでもおふくろの後を継げるっていうのがあったからね、東京でレコード歌手とか、フォークソングのプロなんて考えた事もなくて、趣味程度にギター弾いて歌ってればいいっていうものだったんですが。 そのエレックの人達がですね、言うんですよ凄い事を。「お前は全てのアーティストを超えている」とか、いろんな事を。東京の人がね、僕その頃まだ広島弁だから「なんかいのぉ~」っていう感じで訛ってたんですが、「君はさぁ」とか言われると東京の人は説得力あるな、とかね、思ったですよ(笑)

それでまぁ、じゃあ、会社に入りましょうっていう決心をして、最初に行ったのが社員契約。僕、その頃ね、アーティストじゃないんですよ。(笑)だからエレックレコードの社員。     僕は自分のレコードも自分で包んだし、梱包して。所謂ね、配達レコード会社っていうか通信販売だったの、エレックレコードって。で店頭に滅多に置けないんですよ。でその、ハガキなんかで「レコードください」って来たら、自分で包んでね。時々、新宿なんかの大きいレコード屋なんかに自分でレコード持って行くんですよ。エレックレコードに車の免許持ってるヤツ居なくてね、僕は免許持ってるからっつんで、自分のレコードをねダンボールに詰めて、レコード屋行って「エレックでーす」とか言って。     「何か出たのか?」、「はい、新人の出ました」とか言って。「どんなんだ?」、「フォークでーす」とか言って自分のレコ ードをこう見せて。「なんだこりゃぁ」とか言われるんですよね、だいたい。(笑)でも自分で持って行ってね。僕、だからエレックレコードの社員として会社に入ったんですよね。給料が3万5千円、初任給、大卒。安い?普通かな?当時だったらそんなもんなのかなぁ。3万5千円なんだけど、僕は贅沢が好きだったっていう。(笑)最初っからね、

アパート暮らしの体験が無い。最初からマンション、バス・トイレ付き。キッチンもあって2DK。いきなり5万円の部屋に住んじゃったという。(笑)だから毎月1万5千円のマイナス。(笑)給料が3万5千円でしょ、だから部屋代が払えないですよ。毎月、会社から前借りが溜まっていって、でー、年間で凄い借金が溜まるんですよ。するとほら、年末にボーナスが、だいたい当時で10万ぐらいかな、1万円札10枚もらってね、嬉しかったですが、それをうちへ帰ると部屋のカーテンのレールにね、洗濯バサミで10枚吊るしておくんですよ。で毎晩寝る時に、こうやって減っていくのを見ながら「あと5枚だ」と思ったらすぐ貯金しにいくとかね。(笑)結構せこい生活をね。(笑)おくってたんです。 そんな人がまさかフォークのプリンスになると思わないでしょ。フォークのプリンスですからね。(笑)僕、フォークのプリンスとかフォークの貴公子って言われた時代があったんですが、その当時からキャバレーが好きだったっていうね。(笑)そんなプリンスがいるわけないだろっていうぐらい滅茶苦茶なおっさんでしたけどね。(笑)   

曲、いきましょうか。   

「マークⅡ」

うまい!ギターが。(笑)      

「夏休み」      

 続く

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( 1 )  オープニング・70年代

1990年10月10日、FM NACK5にて拓郎のデビュー20周年記念

特別番組「YOSHIDA TAKURO 20th Anniversary 元気です!」

午後1時から午後10時まで9時間の生放送

拓郎: はじめまして、よろしく。

アナ: はじめまして。

拓郎: きょうはですね、えー、これからですね、夜の10時まで、なんと9時間にわたって生放送というですね、やりたくない(笑)、最初から言っとりますが、あのー疲れそうですね。(笑)とりあえず9時間、生でお送りするわけですが、あのぅ6時頃に帰りたくなりますが、だいたい気分的に。(笑)

アナ: 大丈夫です、私が飽きさせないように、いろいろ披露して・・

拓郎: おじさんを喜ばせる技をご存知のようで。とりあえずですね、何をやっていくかって事は、はっきりわかりません。昨日から打ち合わせしてるのに、何も決まらないという
ことですがね、すばらしい放送局です。田中章雄さんと言う方が、♪セイヤング~ってのをいっしょにやってたんです。
きょうはそういう夜ではありませんから、頑張りたいと思うんですが、メニュー決まってなくて、追々に何か素晴らしくもないゲストが来てるという・・期待もできない、居たら居たまんまになりそうなね、ゲストなんですが、まあ9時間最後まで元気でいればいい、という。

アナ: そうですね、何卒元気で頑張ってください。

拓郎: そうですね、身体だけは大事にしましょう。(笑)最初からあまり飛ばさないで、ゆったりした気分で。
   

とりあえず今日のですねオープニングナンバーです。
   
    「イメージの詩」

拓郎: うーん、懐かしいというか、イメージの詩という、もうなんか随分昔にしたウンコのような(笑)、乾燥しきってるっていう、凄い曲から始まって。きょうはですね、そういうわけで聴きたくもない曲も結構あるんですよ、本人としては。
だから、この曲はちょっと是非聴いてみたい曲だなっていうのもあるし、もう二度と聴きたくないっていうのも選曲されたりしてですね、つらいんですが。さて、FM専門誌各媒体でご存知の方々、吉田拓郎が10月10日9 時間の生をやるというですね、えーハガキのリクエストも早々といただきまして、夕べ見せて頂きましたが、ほとんど主婦。
どうなってんだっていう。(笑)吉田は怒ってましたけどね。みんな年とってしまったっていう、時々二十歳ぐらいの人がいるんですが、暗そうな女。(笑)

アナ: やめてください。(笑)

拓郎: たくさんいただきましてありがとうございました。えー、これからもですね、夜8時30分までリクエスト、メッセージ受け付けます。なるべくあれですね、元気の出るようなのにして欲しいですね。なるべく9時間持つように。(笑)9時間丸ごと、吉田拓郎です。

アナ: はい、いよいよ始まりました、拓郎さん。

拓郎: あ、もう始まってるんですか?これどうでもいい事ですけど、進行表みたいな物が、デタラメなんですよね。(笑)

アナ: 一応、あるにはあるんですけれども、特に台本みたいな物は特にありませんので。

拓郎: そうですね、そいでまぁあの、最初のコーナーが1970年っていうもう覚えてない話をしろ、っていう。70年代っていくつでした? だいたいですよ。

アナ: だいたい、10歳くらい・・・まだいってない、10にならない・・

拓郎: 10歳ぐらいだったら音楽なんて聴かないですよね。

アナ: 私はやっぱり、歌謡曲が耳から入ってきてたかな・・

拓郎: 一番最初に聴いた歌ってなんだったですか?

アナ: あのー、ジュリーとか・・

拓郎: 沢田研二。

アナ: はい。

拓郎: グループサウンズかな、じゃあ。

アナ: そうですね、ちょうどその時テンプターズであったりスパイダースであったりとか、ブルーコメッツとか凄い好きだったんです。

拓郎: ブルーコメッツ?  凄いですね、もう話が。(笑)そっちへ行ってしまったら戻れないっていう。(笑)ちょうどね、ブルーコメッツとかが東京で凄く人気がある頃、僕 はね広島にいたんですよ、まだ。だからタイガースなんかを、所謂なんていうか、なんだいっていう感じで見てた連中なんですよ広島で。で、「あんなの俺達の方がいいや」ってな感じでね、斜めからこう、決して肯定しない。上手いと思わないっていう。例えばタイガースとかテンプターズなんか来るんですよ、広島へ。
すると女の子なんかキャーキャー言ってるわけ。それをみんな横目で見ながら、「どこがいいんだ、あんなの」っていう風に。自分達も演奏してましたから、僕らも広島ではね、大学生の頃はR&Bのバンド作ってね、岩国の米軍キャンプとかゴ-ゴークラブっつうのがあったんですよ。今で言うライブハウスの踊れる版、それから、ビアガーデンの屋上、そういう所で演奏しててね。東京ではね、ジャズ喫茶ってのが流行ってたんですがそれのね広島版みたいなのがあって、銀座アシベっていうのが有名なんですよ。それの広島版で、広島アシベっていうわけのわかんないのができたりしてね。(笑)そういう所に僕たちのバンドが出る時にはですね、不思議な見出しだったですね。「歌うロックグループ」。(笑)今だったら不思議でしょ。みんな歌うんだから。その頃はね、歌う人、いなかったの。みんなねベンチャーズみたいなグループで、テケテケテケッて演奏するだけなんですよ。僕ら珍しかったもんだから広島では、歌うロックグループって紹介されて、「あの人達は歌う」って有名だったです。そいでタイガースとかそういう連中をいつかぶっ飛ばそうっていう。アマチュアってみんなそんなもんです。
   
アマチュアの頃はね、プロでちょっと人気のあるヤツを妬むんです。「あいつら実力はないんだ、俺達の方が実力は上なんだけど今はあいつ等の方が偶然人気があるだけの事だ」っていう気分になりがちなんです、大きな間違いなんですが。(笑)顔の事も考えずですね、広島にそういう時代で、アマチュアで演奏やってて、まぁ東京へ出て行ってプロになろうとか、プロでレコード出すなんて事はね、「あいつ等には負けない」と思っていても考えもしなかったんで、広島で一番ならいいっていう。結局女の子達に囲まれて、広島だけのね、キャーキャー言われて、もう有頂天で。でもそんだけでいいやっていう気分でね、東京へ行こうなんて気持ち、なかったんですよ。たまたま東京から、広島で結構目立ってたから、某有名音楽女性評論家の方がですね、「プロにならないか」とか来始めたんですよだんだん。そういう話が僕の周りでも結構あったんだけど、僕達はバンドで、渡辺プロダクションていう所にね、売り込みに行った事もあったんです。そしたら今はいないですがチャーリー石黒さんて方がいたり、森進一がお茶汲みやってましたよ。あれは絶対、森進一だ、と思ってた。でもそこでは全然相手にしてくれなくて、で、ピンク映画っていうのを観て帰った覚えがありますね。くくー、寂しかったな、あの時。(笑)タイトルが「毛」。(笑)

ほいでまぁ「プロなんかやめよ」とか思ってる所へ、今度はフォークソングなんて物が流行り始めてね。それでまぁ、すったもんだしてるうちに、東京の、なんていうんですかねマイナーな、なんて言えばいいんだろな要するに、アンダーグラウンドなレコード会社に引っかかって、東京へ出て来ていろんな事やるようになるんですが、とりあえず曲でもいきましょうか。
   
これ聴きたくないですね。(笑)

 

・・・ 「青春の詩」 「今日までそして明日から」・・・

     続く

   

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お喋り道楽 拓郎×松本隆①

Tyoshaberibook

拓郎×松本隆

拓郎 昨日,久しぶりでユーミンのコンサート行ってきたんですよ。僕、二十年ぶりぐらいなの、彼女のコンサートって。

松本 僕も見に行ってないですね。

拓郎 いやあ、いいむお尻していたよ。 脚もきれいだったしね。僕はずっと以前に、いい脚してる女の子がいるからって誰かに誘われて、ユーミンの、というより荒井由実のコンサ ートに行ったんだよね。当時って、僕らの周りにはイルカか五輪真弓しかいなくてさ、歌はいいんだけど、あんまり観賞する感じのコンサートじゃなかったわけよ、どっちかっていうと。

 

松本 帰りたくなってきちやった(笑)。

拓郎 だから僕にとって、当時のユーミンはけっこう観賞したい女の子だったんです。ミ ニスカートはいててね。今、四十三歳でしょう。どんな感じかなと思って行ったら、きれ いな脚でね、プリンって、ちゃんとお尻も出てるし、ちゃんとシェイプアップしてる感じ で、ほんとにピチピチしてましたよ。

松本 そういう切り口で入ると、何て答えたらいいのか(笑)。

松本隆の不思議

拓郎 僕たちがいちばん最初に会ったのはどこでしたかねぇ。

松本 いつだろうね。そういえば覚えてないな。

拓郎 松本隆ってよく分からないという人がいるんだよね。なかなか出てこないし、喋らないし、カゲでコソコソっていう感じのイメージがあってさ(笑)。

松本 カゲでじゃないですよ。

拓郎 だから詩の世界から判断するわけですよ。今も向こうで『外は白い雪の夜』をスタッフに読んで聞かせたんだけど、 「今夜で別れと知っていながら、シャワーを浴びたの 悲しいでしょう」……これ、僕が君に書いてもらったんですから。

松本 そうですよね。

拓郎 どういうことなのかな、これ。「今夜で別れと知っていながら、シャワーを浴びたの悲しいでしょう」っていうのは。こういうことをどこから思いつくわけ?「シャワ ーを浴びたの、悲しいでしょう」って、この女の子は、僕が思うにとてもいい子よ。だからこの女の子には会いたいと思うけどさ、それを書いた君に会いたいとは思わないもんね。 どうしてこういう詩が出てきちやうの?

松本 どこから思いつくか分からない。不思議だよね。

拓郎 不思議なんですよ。いつもそういうふうな感じで、みんな、松本君を見ているわけですよ。どんな人なんだろうって。何でそんなに女のこと知ってるの、その人? っていうことがあるのよ。

松本 女だと思ってないんだよね、はっきりいって。

拓郎 こういう主人公たちを?

松本 松田聖子の歌なんか書いていても、あんまり女っていうのを意識してないの。男も女も同じ人間だから、人間まで下りちゃおうと思っている。

拓郎 あんまり男とか女とかドロドロの感じにはなってないの、頭の中では?

松本 人間まで下りられたら、どっちでも共通する深いもんが出てくるんじゃないかと思って。

拓郎 そうはいってもさ、シャワーとかいうのが出てきて……

松本  男だってあるじゃない、それ。

拓郎  今夜で別れと知りながら、男がシャワー浴びて......?

松本  男だって万が一っていうことがあるから、清潔にして。

拓郎  万が一のためにきれいにしておこうという……。

松本  そうそう。

拓郎 松本君、それだと、夢も希望もないよ(笑)。でも「私をきれいな思い出にして」 っていうのなんかは、やっぱり女の子でしょう。

松本  あんまりいないけどね、そういう女の子。

拓郎  いないでしょ。そういう女の子におれたち、憧れるわけですよ。

松本  僕もこういう人がいたらいいなと思って、それを主人公にしたんです。

拓郎  やっぱりねえ。今夜、「私をきれいな思い出にして」、とことんやりますっていうことですか(笑)。

松本  全然違います。それ、拓郎さんだけですよ(笑)。

拓郎  何で僕のイメージをそう決めちゃうの? 僕だってね、「私をきれいな思い出にして」って、そういう世界に入ってることは入ってるんですよ。ただ、一言、どうしてもつけ加えちゃうんですよ、「思いっきりやっていいかい」って(笑)。松本隆さんはそういう意味で、どんな人なんだろうなといろんな人が思っているようなんですけど、まずお子様の頃ですが、ずっと東京でしよう、生まれも育ちも?

松本  ずっと東京です。

拓郎  どこ生まれですか、東京の?

松本  青山。

拓郎  これですよ。青山で生まれてなきゃ、ここに行けないんだよ。「今夜別れと知っていながらシャワーを浴びる」っていうシチュエーションには。

松本  全然関係ないですよ。

拓郎  学校はずっと慶應なんですか。

松本  中学から。

郎  中学から慶應で、何人兄弟なんですか。

松本  いちおう三人でした。過去形だということは、一番下の妹が生まれつき体が弱くて早く亡くなっちゃったから。

拓郎  それは君の人生形成に影響があるんですか。


松本  かなりある。僕が詩の中で優しいとか、人と会って優しいとかいわれるのは、多分そのせいだと思う。


拓郎  妹さんの。


松本  生まれたときから弱かったから、すごく守ってあげないといけないのね。小学校に通うのも、ランドセルを僕が二個持ってあげたり。


拓郎  ああ、いいお兄さんだねぇ。そういう優しさ、おれにも少しくれる?


松本  優しいじゃない。

拓郎 自分ではいい人だと思うんだけどね、優しいかどか……。それで松本君の家は何をするお宅だったんですか、お父さんは?


松本  大蔵省の役人だったの。

拓郎  官僚か。


松本  官僚の息子がロックやってたって、すごいよね。


拓郎  これがまた面白いんだよね。


松本  結構すごい摩擦があったから。


拓郎  松本君自身は健康的な兄貴だったの? ケンカも強かったりとか。


松本  ケンカは売られることはあるんだけど買わないんだよね。


拓郎  買わない。


松本  子どものときからさ、結構理屈っぽくて、言葉で、理詰めで話してるうちに、相手が面倒くさくなって、手が出なくなっちゃう。


拓郎  それはある。松本君と話していると、ときどき面倒くさくなることありますもん。


松本  高校生ぐらいのときに目つき悪くて、ちょっと突っ張ってたじゃない。海に行くと 「や」の人から、からまれるんだけど、何か用ですかとかっていって。


拓郎  理屈こねるのね、「や」系の人に(笑)。もうその頃、音楽っていう感じはあったん ですか。

松本  高校のときにバンドやってて、アマチュア·コンテスで……。


拓郎  それ面白いね。聞きたいんだけど、最初からドラマー志望だったの?


松本  最初っから。ギターはあんまり上手くなかった。デイヴ・クラーク・ファイヴっていうバンド知ってる? あの『グラッド・オール·オーヴァー」ってドラムがカッコいいんだよね


拓郎  知ってる。ダブルドラム置いてるやつ。


松本  ドラムが主役で。


拓郎  ビートルズほどじゃなかったけどね。


松本  ビートルズの後に出てきたんだよ。それを知ってることが、中学三年生ぐらいだと結構ね、通みたいな感じで、僕はドラムがいいって、いちばんいい楽器取ったつもりだっ たんだけど。


拓郎  あ、そうなの。


松本  いちばん地味になっちゃいましたよ(笑)。

拓郎 ドラムを買えるような環境があったんですか。揃えるだけでも、当時は・・・。


松本  ないですね。親をダマしてドラムを買ってやったことが、人生で非常に後悔することだって、あとで親にいわれましたよ。


拓郎  高校の頃からイギリスのそういうロックで、アメリカのはあまり聴かなかった? プレスリーとかは?


松本  プレスリーは拓郎の世代のアイドルだったんですよ。


拓郎  アメリカのシックスティーズとか、フィフティーズとかはあまり影響を受けていないの? デル・シャノンとかニール・セダカとか、あそこらへんは?


松本  やっぱりポップスを自分の中ですごく評価したのは、ビートルズだったの。


拓郎  やっぱり、ビートルズなんだよね。


松本  これがあったら他に何にもいらないみたいな。だから中学のときにビートルズっぽいことやっていたじゃない、デイヴ・クラークに行って。それが高校入って、急にインス トルメンタルやりだして、そのバンドが結構上手くて、何回か全国大会で優勝したりしたんだよね。


拓郎  コンテストみたいなのに出てるの?


松本  ドラムコンテスト全国大会で優勝してね。

拓郎 えっ、松本君が。それ、全国が下手すぎるんじゃないの。

松本 「ヤング720』なんかにもゲストで出ちゃって。

拓郎  その頃、『720』の司会って、誰だったの?

松本  ええとね、北山修。 北山修や如藤和彦がまだやってたんだ。

松本  それでドラムソロやっちゃった。

拓郎  えっ!

松本 誰も知らなよね。

拓郎 おれ、松本隆のドラムソロって聴きたいなぁ。 ドラム聴きたいのは、松本隆と田辺昭知だね。どっちも謎のドラマーだからね。

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