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2005/04/10

( 17 ) ライブヒストリー~拓郎と母・広島~語り 小室等

小室:  僕は、この「人間なんて」というのを拓郎が絶叫しているのに何回も付き合って、そしてバックコーラスで、「ラ・ラ・ラ・ラララ~」をいっしょに六文銭で何度もやりましたけれども、当時僕はそのー、「広島、広島!」っていうふうに言ってるその拓郎の、本心みたいな事っていうのがどこにあるのか、きっとわかってなかったって思うんですね。
で、今もモチロンわかってないと思うんだけど、今年ね、ちょうど「原爆記念日」の時に広島に、原爆記念日の前後、数日間、広島に居続けたんです。そいで、その原爆の記念日のセレモニーやなんかがどんなふうに行われるのかっていうのを、見て歩いたんです。で、その時にいろんな人に出会ったんですけど、ある人が、こう、僕に声をかけてきてくれてね、「あのう、拓郎さんのお姉さんと実は私は友達だったんですけれども、えー、拓郎さんのお母さんが通っていた教会にも、私もずっと行っていて、お母さんと随分、教会でごいっしょしました。」という話を聞いたんですね。 で、「吉田拓郎さんが来てくれて、教会でボブ・ディランの歌を唄ってくれたこともありました。」っていうのを聞いたんです。
「あぁ、そうかっ」って僕、その時に思ったことがあるんです。と、いうのはその、ま、母親にせがまれて、きっと教会で唄ったんでしょ、断りきれずに。でも僕の知ってる拓郎っていうのは、そういうのをわりとかたくなに拒むタイプの人間なんですね。あのー、結構、義理に厚いところもあるので、どこかで答えてくれるんだけれども、嫌な事は「嫌だ」っていうような事も言う男で、ましてや教会でもってボブ・ディランの歌を唄う拓郎なんてのは、僕は想像もできない事だったんだけれども、お母さんの通っている、お母さんは熱心なクリスチャンでしたから・・・で、教会でディランの歌を唄ったっていう時にね、あの、広島に対しての、拓郎の愛憎っていうのかな、僕らの想像を超えるものがある・・・ フォークソングを始めた広島、それから自分が育った広島っていうだけじゃなくって、お母さんのいる広島でもあり、そいでしかもそこで原爆が落ちた広島、そういう状況の中で、青春を右往左往していた時の彼の人間としての生き方の中に、いろんなものを、こう、インプットされて、そして自分がこう、背負ってしまうには背負いきれないものってのがやっぱり、広島である事によって、背負わされるものがある・・・だけどそんなもの背負いきれやしない、とか、あるいはお袋のそういう思い・・・
それから、これもホントは言っていいかどうか、拓郎が今、メシ食いに行って、いないから言っちゃいますけど、拓郎はこんな事言われると嫌がるかもしんないけれども、お母さんがその教会で、拓郎が、あの金沢での事件があった時に、「自分の子どもはそんな人間じゃないっ!」っていう事でもって、なんか署名を集めてまわったって事もあるらしいです。で、きっと拓郎はそんなふうな事をお袋がするって事を、多分嫌がったって思うんだけど、しかし、自分の息子を信じきってくれるお袋がいるってことは、うっとおしい事と同時に、僕はそれはすっごく子どもにとって「誰が信じてくれなくても自分のお袋だけは信じてくれている」っていう思いっていうのは、すごく強いと思うんですね。
今の親なんていうのは、自分の子が受験なんかやるときに塾だなんだって言って、偏差値でこう輪切りにされるような受験戦争なんか、いいと思ってないにもかかわらず、自分の子どもをそういった所にほっぽり出してしまうような状況っていうのがありますよね。そんな親がいっぱい多いと思うんだけど、拓郎のお袋さんてのは、そういう人じゃなかったし、そういう人に対する、うっとおしさと愛、それから原爆の落ちた広島、みたいな事を、抱えきれないものを、「広島~!」っていう事でもって、なんか絶叫してたのかなぁ・・・っていうふうに、僕は今年になって、思うわけです。 ちょっと話が長くなって申しわけありませんでした。
えー次の曲、いきましょう。
「LIVE'73 」より、「君が好き」
続く
 

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