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2005/04/10

( 16 ) ライブヒストリー~中津川フォークジャンボリー~語り 小室等

小室:

中津川のフォークジャンボリーでも、えーとまぁ有名な話なんですが、フォークジャンボリーというのは3回か4回続いたんですけども、関西のフォークの人達が中心になって、高石

ともやさん、岡林信康さんえー、それから、フォーク・クルセダーズ、そういうところがメインになって、ホントに日本のフォークシンガーが全部出演したというようなビッグイベントでした。
   
えー、アメリカにウッドストックがあったように日本でウッドストックのようなという例を挙げるとすれば、この中津川フォークジャンボリーだったんじゃないかと思うんですが、ところがその、いわゆる学生運動とか、そういう事、あるいは西口フォークゲリラとか、いうような事とオーバーラップして、フォークの中にも、売れてる奴と売れてない奴との差が出てきて、実際問題、その、高石ともやさん、フォーククルセダ-ズ、岡林信康さんというのは、売れてきたわけなんですね。

売れてくると妬みみたいなのも出てきて、売れるという事は、その、「商業主義に身を売ったー」などというような議論が、出たり入ったりするような時代で、その中津川フォークジャンボリー、これが71年か、あ、71年の時にあの事件が起きたの?
うわっ、そう、それでもってそのー、何年だったか覚えてないんですけれども、えーっと、ね、メインステージとサブステージってのが作られたんですよ。
   
岐阜の中津川という所の椛の湖という人造湖がありまして、人工湖か、その人工湖の湖畔にステージが設けられていて、参加者もみんなバンガローやテントを持って来て、キャンプをして、3日間くらい過ごしてコンサートを楽しむ、というものだったんですが、メインステージとサブステージという所があって、で、メインステージは売れている路線の人達がだいたい占拠しておりまして、あまり売れてなかったりするような、あるいは関西系でなかったりすると、どっかにちょっと区別があって、サブステージというのがあって、そっちのサブステージの方で、えー、吉田拓郎、六文銭なんかのステージがあったんですね。
   
それでもって、そうそうそう、スピーカーが壊れたんですね、多分。
スピーカーが壊れて、「もうやる事ねぇよー」って言ってたら誰かが、「人間なんてやれ!!」とかって言ったら、拓郎も僕らも辟易してたんですけど、「やるしかない」で、一升瓶持って来て、「飲め!」っていうヤツはいるし「ま、やるしかないか」とかって言って、「人間なんて」の大合唱が始まって、高田渡とかなんかいろんな連中もそこにいましたね。
   
で、みんなで一升瓶をラッパ飲みしながら、えー、「うわぁー」っていう 大合唱が起こりまして、その大合唱の後に、ある事件が起きましたが、この曲を聴き終わったあとに、やりますか。

イントロ長いからまだやりますか?
大丈夫ですね。
えーと、これはねー、まだ拓郎バンドがバックにいたのかなぁ・・・
多分、田辺なんかが、田辺がこのギター弾いてるの。
田辺君と言ってね、今はね、獣医になりましたけれどもね、えー、それが畜産大学に通いながらね、バックバンドで、えー、「拓郎ミニバンド」と言ってて、ミニバンドったってチンケなテスコか、チンケって言っちゃあいけません、テスコかなんかのアンプにね、エレキギターをギューンと弾いて、そしてバックバンドって言ったって後ろでコンガをポコポコ叩いて、という、聞こえてるでしょうか?
   
で、僕の十二弦ギターとかがいっしょになって、ワーワーワーワーやって、これは、はっきり言って、みなさんラジオ聴いているみなさんはこれから鑑賞するかも知れませんがあそこに参加していた人間は、誰一人、曲などは聴いておりませんでした!
   
次の曲は、ただ酒を飲みながらいっしょに踊り狂っていたという、

中津川フォークジャンボリーの吉田拓郎、「人間なんて」です

     続く
 

 
   

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