( 1 ) オープニング・70年代
1990年10月10日、FM NACK5にて拓郎のデビュー20周年記念
特別番組「YOSHIDA TAKURO 20th Anniversary 元気です!」
午後1時から午後10時まで9時間の生放送
拓郎: はじめまして、よろしく。
アナ: はじめまして。
拓郎: きょうはですね、えー、これからですね、夜の10時まで、なんと9時間にわたって生放送というですね、やりたくない(笑)、最初から言っとりますが、あのー疲れそうですね。(笑)とりあえず9時間、生でお送りするわけですが、あのぅ6時頃に帰りたくなりますが、だいたい気分的に。(笑)
アナ: 大丈夫です、私が飽きさせないように、いろいろ披露して・・
拓郎: おじさんを喜ばせる技をご存知のようで。とりあえずですね、何をやっていくかって事は、はっきりわかりません。昨日から打ち合わせしてるのに、何も決まらないという
ことですがね、すばらしい放送局です。田中章雄さんと言う方が、♪セイヤング~ってのをいっしょにやってたんです。
きょうはそういう夜ではありませんから、頑張りたいと思うんですが、メニュー決まってなくて、追々に何か素晴らしくもないゲストが来てるという・・期待もできない、居たら居たまんまになりそうなね、ゲストなんですが、まあ9時間最後まで元気でいればいい、という。
アナ: そうですね、何卒元気で頑張ってください。
拓郎: そうですね、身体だけは大事にしましょう。(笑)最初からあまり飛ばさないで、ゆったりした気分で。
とりあえず今日のですねオープニングナンバーです。
「イメージの詩」
拓郎: うーん、懐かしいというか、イメージの詩という、もうなんか随分昔にしたウンコのような(笑)、乾燥しきってるっていう、凄い曲から始まって。きょうはですね、そういうわけで聴きたくもない曲も結構あるんですよ、本人としては。
だから、この曲はちょっと是非聴いてみたい曲だなっていうのもあるし、もう二度と聴きたくないっていうのも選曲されたりしてですね、つらいんですが。さて、FM専門誌各媒体でご存知の方々、吉田拓郎が10月10日9 時間の生をやるというですね、えーハガキのリクエストも早々といただきまして、夕べ見せて頂きましたが、ほとんど主婦。
どうなってんだっていう。(笑)吉田は怒ってましたけどね。みんな年とってしまったっていう、時々二十歳ぐらいの人がいるんですが、暗そうな女。(笑)
アナ: やめてください。(笑)
拓郎: たくさんいただきましてありがとうございました。えー、これからもですね、夜8時30分までリクエスト、メッセージ受け付けます。なるべくあれですね、元気の出るようなのにして欲しいですね。なるべく9時間持つように。(笑)9時間丸ごと、吉田拓郎です。
アナ: はい、いよいよ始まりました、拓郎さん。
拓郎: あ、もう始まってるんですか?これどうでもいい事ですけど、進行表みたいな物が、デタラメなんですよね。(笑)
アナ: 一応、あるにはあるんですけれども、特に台本みたいな物は特にありませんので。
拓郎: そうですね、そいでまぁあの、最初のコーナーが1970年っていうもう覚えてない話をしろ、っていう。70年代っていくつでした? だいたいですよ。
アナ: だいたい、10歳くらい・・・まだいってない、10にならない・・
拓郎: 10歳ぐらいだったら音楽なんて聴かないですよね。
アナ: 私はやっぱり、歌謡曲が耳から入ってきてたかな・・
拓郎: 一番最初に聴いた歌ってなんだったですか?
アナ: あのー、ジュリーとか・・
拓郎: 沢田研二。
アナ: はい。
拓郎: グループサウンズかな、じゃあ。
アナ: そうですね、ちょうどその時テンプターズであったりスパイダースであったりとか、ブルーコメッツとか凄い好きだったんです。
拓郎: ブルーコメッツ? 凄いですね、もう話が。(笑)そっちへ行ってしまったら戻れないっていう。(笑)ちょうどね、ブルーコメッツとかが東京で凄く人気がある頃、僕 はね広島にいたんですよ、まだ。だからタイガースなんかを、所謂なんていうか、なんだいっていう感じで見てた連中なんですよ広島で。で、「あんなの俺達の方がいいや」ってな感じでね、斜めからこう、決して肯定しない。上手いと思わないっていう。例えばタイガースとかテンプターズなんか来るんですよ、広島へ。
すると女の子なんかキャーキャー言ってるわけ。それをみんな横目で見ながら、「どこがいいんだ、あんなの」っていう風に。自分達も演奏してましたから、僕らも広島ではね、大学生の頃はR&Bのバンド作ってね、岩国の米軍キャンプとかゴ-ゴークラブっつうのがあったんですよ。今で言うライブハウスの踊れる版、それから、ビアガーデンの屋上、そういう所で演奏しててね。東京ではね、ジャズ喫茶ってのが流行ってたんですがそれのね、広島版みたいなのがあって、銀座アシベっていうのが有名なんですよ。それの広島版で、広島アシベっていうわけのわかんないのができたりしてね。(笑)そういう所に僕たちのバンドが出る時にはですね、不思議な見出しだったですね。「歌うロックグループ」。(笑)今だったら不思議でしょ。みんな歌うんだから。その頃はね、歌う人、いなかったの。みんなねベンチャーズみたいなグループで、テケテケテケッて演奏するだけなんですよ。僕ら珍しかったもんだから広島では、歌うロックグループって紹介されて、「あの人達は歌う」って有名だったです。そいでタイガースとかそういう連中をいつかぶっ飛ばそうっていう。アマチュアってみんなそんなもんです。
アマチュアの頃はね、プロでちょっと人気のあるヤツを妬むんです。「あいつら実力はないんだ、俺達の方が実力は上なんだけど今はあいつ等の方が偶然人気があるだけの事だ」っていう気分になりがちなんです、大きな間違いなんですが。(笑)顔の事も考えずですね、広島にそういう時代で、アマチュアで演奏やってて、まぁ東京へ出て行ってプロになろうとか、プロでレコード出すなんて事はね、「あいつ等には負けない」と思っていても考えもしなかったんで、広島で一番ならいいっていう。結局女の子達に囲まれて、広島だけのね、キャーキャー言われて、もう有頂天で。でもそんだけでいいやっていう気分でね、東京へ行こうなんて気持ち、なかったんですよ。たまたま東京から、広島で結構目立ってたから、某有名音楽女性評論家の方がですね、「プロにならないか」とか来始めたんですよだんだん。そういう話が僕の周りでも結構あったんだけど、僕達はバンドで、渡辺プロダクションていう所にね、売り込みに行った事もあったんです。そしたら今はいないですがチャーリー石黒さんて方がいたり、森進一がお茶汲みやってましたよ。あれは絶対、森進一だ、と思ってた。でもそこでは全然相手にしてくれなくて、で、ピンク映画っていうのを観て帰った覚えがありますね。くくー、寂しかったな、あの時。(笑)タイトルが「毛」。(笑)
ほいでまぁ「プロなんかやめよ」とか思ってる所へ、今度はフォークソングなんて物が流行り始めてね。それでまぁ、すったもんだしてるうちに、東京の、なんていうんですかねマイナーな、なんて言えばいいんだろな要するに、アンダーグラウンドなレコード会社に引っかかって、東京へ出て来ていろんな事やるようになるんですが、とりあえず曲でもいきましょうか。
これ聴きたくないですね。(笑)
・・・ 「青春の詩」 「今日までそして明日から」・・・
続く
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