« ( 5 ) フォークソング | トップページ | ( 7 ) 拓郎「中学、高校、大学時代」を語る »

2005/04/05

( 6 ) 武田鉄矢「照和」を語る

拓郎:  まぁあのー、人間の性格なんてそんなに変えられませんから・・・飽きっぽいんですよ俺は。ホントにね、飽きちゃうんですよねー。
武田: それと、もう一つはあの、物覚えが悪いですね、自分の歌、ほとんど・・・
拓郎: 全然覚えてません。(笑)それ、物覚えが悪いって言うより、バカっていう・・・(笑)
武田: いやいや、ちょっと今ね、話に突っ込んでしまいましたけどね、拓郎さんの意外な個性をみなさんに知って頂こうと思いまして。(笑)お作りになった曲をほとんど覚えていらっしゃらない。
拓郎: 覚えたくないですね。詞とかさぁ、なんかこう、「覚えたくないっ」ていうのありません?覚えちゃうともう朗々と歌いそうな気がして。要するに歌い込んじゃったり・・・俺、あの歌い込むヤツ嫌いなの。いつもおどおどしていたい。リハーサルでラクしたい。(笑)ま、逃げですけど、ひとつの。
武田: このへんがやっぱり意外な所ですね、一回お家に遊びに行って「何か歌ってください」って言ったら、「俺の歌なんか知らないよ」って言われたもんな。(笑)あの時のショックが生々しく残ってますね。
拓郎: ところでですね、そのー、武田鉄矢さんが東京に来た頃は博多で、いわゆるそのーさっき話したチューリップとか、甲斐君とか、井上陽水とか、ホントに博多っていうのはいっぱいいろんな人が出てるんですが、その照和というフォーク喫茶ですか?それは。そこに海援隊もいらして。どっちかって言うとライバルは、チューリップだったそうですね。
武田: そうですね。財津さんとのライバル意識、ま財津さんは僕らの事ライバルと認めてくれないのね。何故かっつうと僕ら音楽性もの凄く低かったですから。
拓郎: 財津に比較すると?
武田: そうです。そうそう、やっぱ財津さん、抜けてましたから。でも、その財津和夫っていう、うまい曲を作る人に向かって、なんでもいいから向かって勝ちたかったっていうのが、やはりエネルギーでしたね。で、彼らが東京に行った時が、やっぱり東京に行こうと思った始まりでしたね。それで、ちょっと関係がややこしいんですけどね、財津さんはチューリップをそのーエレキバンドにするためにですね、九州で彼の耳にかなった人間を全部ピックアップしたんですよ。ドラムスとかリードギターとか、ヴォーカルとか。で、財津さんのチューリップの近代化のためにですね、潰れていったバンドが3つくらいあって・・・その1つが海援隊だったんです。我々もできなくなって、で、もう一つライラックっていうグループがあって、そことドッキングして、だから、ま、そういう意味では非常にこう・・・
拓郎: 財津に拾われなかった奴らが・・
武田: そうです、そうです。そうそう、拾われなかったという恨みがエネルギーになるんですね。
拓郎: なーるほどねー(笑)
武田: 甲斐君はビューティフルエネルギーっていう歌を歌ってますけども。(笑)それでみんな「ヒーローになる時は今」って言いながら、(笑)飛び出して行ったという。
拓郎: 財津さんて人はとんでもない人ですね。(笑)
武田: だから、やっぱり一種の核融合みたいな人で、自分が弾け飛ぶと、他もいっしょに爆発させたっていう事でしょうね。
拓郎: でもそれは、博多のミュージシャンにとって、財津さんて人は、良い悪いはこっちへ置いといて起爆剤になってる事は事実なんだね。そうとうな影響力があったっていう。
武田: 財津憎し、っていう感情は凄かったですね。ズバリ言うとね、敵討ちみたいな。怒りって唯一エネルギーになるホルモンですからね。それでね、彼もね、もの凄かったんだなぁ、よく覚えてんのはね、いっしょに、合同でね、アマチュアでコンサートやったですよ。ほいで演奏間違えたらね、全員並べましてねメンバーを、ほいでビンタはってましたよ。これ意外でしょ、あんなたおやかなグループがね。あの昔のグループってそういう所ありましたね。
拓郎: モップス。
武田: モップス凄かったです。
拓郎: 鈴木ヒロミツはみんなを殴ってたよ、楽屋で。バカヤローとか言って。(笑)怖いなぁーと思って。(笑)それがチューリップ?信じられないねぇ。
武田: でも気合い満々だったなぁ。
武田: ちなみにその照和に登場する出演者っていうのはタモリさんなんかもそうでしたね。タモリさんは僕らの行きつけの喫茶店の1ブロック向こうの喫茶店の店長やってらして。あと漫画家で名を成した長谷川ほうせいが食えなくてウロウロしてて、それから川島透ですか、あの若き監督も、照和の暗闇でゴロゴロしてて。
拓郎: 凄い所だね、あそこって。
武田: 強烈な思い出は、照和のマスターが、「小学生がね、来たがってるんで追い払った」っていう。小学校6年生くらいの子が、照和でお兄さん達が歌ってるから聞きにきたって、ところが小学生はさすがに入れられないんで追い返したら、その子がチェッカーズのフミヤ君だったって。
拓郎: 俺、でもね、チェッカーズのフミヤとか、松田聖子とかはわかるんだけど、海援隊とかチューリップがプロでメシ食っていける、とか思わせたフォークソングってのは良くなかったね。
武田: それはあの、いえます。
拓郎: とんでもないことだったね。
武田: 俺、でも夜行列車に乗るとき、指から先も自分の成功を疑いませんでしたね。
拓郎: そうですかぁ、曲いってみましょうか。
武田: はい、というわけでありましてですね、(笑)えー、ヒーローになる時それは今、ではございません。(笑)東京を目指した青年たちが、必ず挫折する時が来ます。私にもありました、1年後ですね。つまり東京暮らしがさして甘くないという事を武田鉄矢は思い知るのであります。えーその時ふと口にしたバーボン。さ、吉田拓郎さんが挫折した青年に大いに歌いかけます。元気を出せー青年たち。 
「ペニーレインでバーボン」
拓郎: あー(笑)
拓郎: ペニーレインねぇ、今無いですけどね。あの、よく修学旅行の人達が来てましたねぇ。(笑)ここお酒飲む所じゃないんですよ、元々。だけど僕達が夜集まって、「なんか話する時お酒が要るね」とか言うんで、バーボンなんか無かったの当時、なんかビールを飲むような軽い感じだったんだけど、いきなり僕らがバーボンとか飲み始めて、飲み屋のように皆思ってんですけど、ここは甘い物屋さんなんだよね。凄い勘違いでみんな酒飲みに行ってたんだよね。気がついたらなんか酒屋になってて、ボトルとかみんなキープしてたけどね。今、無いですね。だから原宿なんて変わったなぁー。僕達、新宿に住んでて、追い出されて原宿に引越したんだけど、あの新宿に居られなくなってね、警察とかうるさくなって。フーテンは出て行け、とかヒッピー出て行けとか。で「どっかいい所ないかなぁ、俺達のねぐらみたいな所」っつって、当時原宿はね、住宅街でなんにも無かったですね。今もうみんな日曜とか見に来るけど。
そんな所にですね、夜、僕達を遊びに連れて行くってんで、常にリードしてくれた先輩がいるんですよ。「原宿はだめ、六本木に来なさい」。これが、次の曲をいっしょに歌ってる人なんですよ。 
「シンシア」

|

« ( 5 ) フォークソング | トップページ | ( 7 ) 拓郎「中学、高校、大学時代」を語る »

FM特番■デビュー20周年記念番組■ 元気です!」■全35回掲載中■」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ( 5 ) フォークソング | トップページ | ( 7 ) 拓郎「中学、高校、大学時代」を語る »