( 5 ) フォークソング
拓郎: えーとですね、要するにだから70年代か、僕が東京へ来た頃は東京はカレッジフォークっていうのが流行ってたのね。そいでそれは大学を中心にしたフォークソングを歌う連中で、まぁ、うん、変な分け方だけど向こうのグループだとブラザーズフォーとかキングストントリオみたいな、そういうのをやるという。ファッションで言うとアイビーですよ。アイビーで髪の毛を短く刈ってて、それでVANの洋服を着るという、リーガルの靴を履いてるっていうのがカレッジフォークの人達でね。まあ、その中に入ってるかどうかは別にして、よくわからないけどマイク真木さんとかですね。それからブロードサイドフォーというような「若者たち」を歌う奴らとか、ま、いろいろいたんですが嫌いでした僕は。ああいう、だから非常に健康的なの。それと、なんか良い所の坊ちゃんがやってるっていうイメージがどうもなんか、いいとこの坊ちゃんじゃなかったせいもあるけど、嫌でさ。どっちかっていうと汚い格好してるヒッピーの方に行こうっていうのがあって。まずファッションで言うとJUN、JUNなんだよROPE、JUN&ROPEの世界なんだよ。パンタロンでね、髪の毛は長髪にしてわりとこう、ミデイのコートなんていうのが流行ったんですよ、中途半端に長い。で、長いマフラーをするとかね、妙に。シャツなんかは、こう袖口が広がってるんですよ。末広がり
ズボンもパンタロンで。
武田: 末広がりっていうのも凄い表現ですね。
拓郎: わかりやすい?(笑)
武田: なんか結納の品みたいですね。(笑)
ズボンもパンタロンで。
武田: 末広がりっていうのも凄い表現ですね。
拓郎: わかりやすい?(笑)
武田: なんか結納の品みたいですね。(笑)
拓郎: ほんとに、(笑)そういうファッションで、どっちかっつうとこうフーテンのようなあり方の方が自分達に合ってるっていうんで、結局ボブディランとかですね、そのー僕達は日本人だから、戦争なんか体験してないんですが、アメリカのフォークソングってのはベトナム戦争をもろに体験してるわけでしょ。彼らアメリカの若者達は現実に徴兵制で、こう、かり出されるっていう現実があるからディランとか彼らが作る歌っていうのはホントに現実的に戦争を目の当たりにしてる歌なんだよね。反戦歌なわけ、ホントのプロテストソングっていうか。僕達は戦争なんか関係ないわけだから、せいぜいあって60年安保とか70年安保、70年安保なんて60年と比べるとね、か細いもんでしたから。そういう連中が、反体制の歌を歌うったってテーマがないわけ。つまり戦争に行ってるわけじゃないし時々まぁ「自衛隊に入ろう」なんていう曲を作るくらいのもんで。反戦歌って言ったって、とてもピンと来ないんですよ、やっぱり日本人では。それから国家権力に対してどうのこうの言ったってなんかピンと来ないのね。そんな感じがあるから、日本でフォークソングっていうのはそのカレッジフォークも関西フォークもアングラも全部、結局、ダメだっていう。フォークソングっていうのは、アメリカのピートシーガーっていう人が言ってんだよ、プロになっちゃいけない、と。お金もらうようなのはフォークじゃないんだ、っていうのがあってさ。そこ、すごく突いてるなって思うんですよね。ほいで、70年代の日本のフォークソングっていうのも、結局ワァーっと盛り上がっては来たんだけど、聴いてる側もやってる側もなんだかよくわかんなくなって来て、これ本当なんだろうかっていう嘘っぽく見えて来てさ、いろんなものが。
武田: それはでも拓郎さんが個人としてお考えになった事でしょ。
拓郎: そうですよ。
武田: それは少し注釈を入れると、大勢の若者達は付和雷同して、反戦ソングを歌う事に関しては、もの凄く燃えたんですね。で、その真ん中にいらっしゃる拓郎さんがたった一人で、冷めてらしたという。
拓郎: そうでしょうね。武田: それはでも奇跡的な事ですよね。みんなが盆踊り踊ってる時に、踊らないっていうのはね、後ろの人つっかかっちゃってね。(笑)
拓郎: ハハッそう?
武田 うん、だからそれは勇気も要るし、すごいなぁー、僕はいつもそのへんで圧倒されますね。
拓郎: そうですよ。
武田: それは少し注釈を入れると、大勢の若者達は付和雷同して、反戦ソングを歌う事に関しては、もの凄く燃えたんですね。で、その真ん中にいらっしゃる拓郎さんがたった一人で、冷めてらしたという。
拓郎: そうでしょうね。武田: それはでも奇跡的な事ですよね。みんなが盆踊り踊ってる時に、踊らないっていうのはね、後ろの人つっかかっちゃってね。(笑)
拓郎: ハハッそう?
武田 うん、だからそれは勇気も要るし、すごいなぁー、僕はいつもそのへんで圧倒されますね。
拓郎: なんかピンと来なかったですね自分でも。だからフォークでも、勿論レコード会社なんかフォークソングって言えば売れただろうし、けど自分でも、フォークなんだろうか?とかさ。ロックって言うと気が楽かな?とかさ。だからホントに運良くニューミュージックなんて言葉が出て来たのはラッキーで、それから後に出てきた人はみんな気が楽だよね、もの凄く気が楽なんだよね、そこは。結局その歌のテーマなんかも、反戦歌はダメだし、それからプロテストソングっつってもなんかピンと来ないっていう所から、結構ほら、私小説的な歌が増えるんですよ。岡林とかあのへんの人達が歌ってる、時代がどう、とか、私達はどうだろう、ていう歌が無くなって、全部あの私小説の世界に入って行って、それをフォークソングって言うもんだから変な事になっちゃって、神田川がフォークソングなわけない、って思ってるわけ僕は。あれは流行歌ですよ、大ヒットのね。
武田: まぁ歌謡曲ですよね。
拓郎: とてもいい歌だと思うけど、フォークではない。でもあれもフォークになっちゃって、結局、なんかギターを、生ギターを持ってやってればフォークソングだっていう時代があったもんだから、日本の音楽ってなんかわけわかんない所へどんどん突っ走っていって、その後の、だから、かぐや姫とか風とか、さだまさしの歌とかも、ほとんどフォークじゃないわけ。なんでもないの、ただ楽器としてアコースティックギターを持ってるっていうだけの事で、アコーディオンだったらどうだっただろう、とか思うわけよ。だからフォークソングなんて日本では、ほとんど根付かなかったっていう。最初から僕、俺のはフォークソングなんだろうか?とか、むしろ僕は自分が行く方向としては、ヒットソングを書きたい、とかね、それから、みんなから尊重される尊敬も
されるかもしんないソングライターでいたい、とかね。そういう気持ちが強かったんだね。
武田: まぁ歌謡曲ですよね。
拓郎: とてもいい歌だと思うけど、フォークではない。でもあれもフォークになっちゃって、結局、なんかギターを、生ギターを持ってやってればフォークソングだっていう時代があったもんだから、日本の音楽ってなんかわけわかんない所へどんどん突っ走っていって、その後の、だから、かぐや姫とか風とか、さだまさしの歌とかも、ほとんどフォークじゃないわけ。なんでもないの、ただ楽器としてアコースティックギターを持ってるっていうだけの事で、アコーディオンだったらどうだっただろう、とか思うわけよ。だからフォークソングなんて日本では、ほとんど根付かなかったっていう。最初から僕、俺のはフォークソングなんだろうか?とか、むしろ僕は自分が行く方向としては、ヒットソングを書きたい、とかね、それから、みんなから尊重される尊敬も
されるかもしんないソングライターでいたい、とかね。そういう気持ちが強かったんだね。
武田: 僕は吉田さんの遥か後輩ですけど、完璧に自惚れて歌ってましたね。あの、反戦ソングを。だってもうみんなそうだったし、仲間で歌ってなかったのはチューリップくらいのもんでしたね、アマチュアの中では。
拓郎: チューリップの話題は根深かそうですから(笑)、曲のあとで。(笑)
武田: いやいやー。(笑)
拓郎: 曲、いきましょうか。
拓郎: チューリップの話題は根深かそうですから(笑)、曲のあとで。(笑)
武田: いやいやー。(笑)
拓郎: 曲、いきましょうか。
「旅の宿」
続く
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