シンプジャーナル1984.11海外特写&レコーディング吉田拓郎
本誌9月号でお伝えしたように、既にレコーディングに突入していた吉田拓郎のニューアルバムの完成がいよいよ真近に迫ってきた。8月の末、きびしい残暑に見舞われたある日、拓郎は都内のいつものスタジオで、その最後の作業に余念が無かった。来たるべきニュー・アルバム完成までのほんのひとコマをシンガポールでの特写PHOTOと共に誌面でお届けしよう。 1984-秋 拓郎の新しいエネルギーが、今、爆発しようとしている。
I
東京・築地の音響スタジオ。 拓郎ファン、もしくは、本誌を永く読んで下さっている読者にはおなじみのスタジオだ。 次々と新設される都内のスタジオの中にあって、このスタジオは、もう “歴史を誇る” と 言っていいスタジオだが、独特の落ち着きとその“音で人気が高い。拓郎もこのスタジオを利用し始めて、ほぼ10年になるし、ここを訪れたその日は、別のフロアで、これまたこのスタジオ常連のムーンライダーズが全員うちそろってレコーディングに没頭していた。 何度か書いていることだが、レコーディング・スタジオの雰囲気は、本当に独特のものがある。もう何度も体験しているのに、そこに足を踏み込むと、肌がピリリと緊張する。 決して、スタジオの中に居る人間が全員、眼を三角にしてしかめっつらをしているわけではないし、小綺麗なロビーには“出番待ち” のミュージシャンが野球のテレビ中継に打ち興じてたりしている “リラックスさ”があるのだが、“取材"、もしくは“見学” という立ち場の人間にとっては、思わず気遅れしてしまう “空気”のようなものを感じてしまう。 考えてみれば当たり前の話ではある。ミュージシャンという人間にとって、最も根源的な “仕事場”に足を踏み入れるのだから。
II
8月27日、午後9時。
3階にある第6スタジオを、やっぱり恐る恐る訪ねる。この“恐る恐る”は、先に書いたスタジオを訪れる際にいつも感じる“申し訳無さ”にプラス、前日マネージャーの渋谷氏から「そろそろスタジオに遊びにおいでよ。 でも、レコーディングが押してて、拓郎ちょっと死にかけてるけど(笑)」という話しを聞いていたからだ。「死にかけてる拓郎さん・・ ヤバイナー・・。でも、覗きたいし・・・」。で、恐る恐る、スタジオへと続く重い扉を押し開け、中へと入る。若干、自分の頭がいつもより低い位置になっているのが判る。モニタースピー カーからの“音の洪水”を予想していたのだが、中は静かだ。どうやら小休止の時間だったらしい。 「オウ!」こちらを見とめた拓郎が声をかけてくれる “死にかけてる”どころか、極めて元気そうな感じ。 と、ここまで書いてきて、前作の 『情熱』のレコーディングを観に来たのが、 丁度去年の今頃、そして、同じこのスタジオだったことを思いだした。あの時の拓郎も、とても元気だった。
渋谷さんから “死にかけてる”って伺ってたんですけど、元気そうですね?
「全然元気。レコーディングは全く遅れてるけどさ(笑)」 そう言いながら拓郎は、アコースティック・ギターを抱えてブースの中へと入っていく。 「生ギターのダビングですか?」渋谷さんに尋ねると、「いや、人に頼まれた曲の仕上げやってんの、自分のアルバムのレコーディング中に(笑)。」相変わらずの男・吉田拓郎に、ニヤリ。 やがてそのブースの中から拓郎の大声が。「西やん(中西康晴のこと)いる? ちょっとコード教えてよ。オレ、音楽のことよく知らないからさ、判んねえんだ(笑)」 それを受けて中西、さすがの応え。 「ハイハイ。コード1コにつき500円!」スタジオ内に笑い声が弾けた。
Ⅲ
モニター・スピーカーが、吉田拓郎の“新しい姿”を描き始めた。うねるようなリズム。 何より驚いたのが、そのリズムに乗る強力なブラス・セクションだ。拓郎の新曲にブラスがかぶさるのは本当に久しぶりのこと。また、 このニュー・アルバムにはブラス・セクショ ンばかりではなく、弦(ストリングス)も入っているという。ここ数枚、自らのバンドのみの音で骨格をガッチリと固めた拓郎は、再び新しいアプローチへと取り組み始めたらし い。ちなみに、ブラス、ストリングス、及び コーラスのアレンジは中西康晴が担当、大活躍したとのこと。 ミキシング・コンソールの前にはミキサーと中西が座り、その後方のソファーには拓郎と常富が。全員、耳をすまして24のチャンネルにレコードされた音を最高のバランスに定着させるべく、神経を集中させている。 "音楽"という形の無い"情感"と、テクノロジーのしのぎあい、もしくは、調和の作 「もうちょっとボーカルをカチッと出そう」 拓郎の声が飛ぶ。「ここのペット (トランペット)もう少し上げょうか」 中西とミキサーが話し合う。 繰り返し流される曲。繰り返し交わされる対話。その度に、曲は輪郭を整え、その生命のボルテージを上げていく。 おおむね全員の一致点を見出したように思えた時、拓郎が最後の鶴の一声を 「ね、青山ギター、オレにくれない? (青山のギターがレコードされているチャンネルのボリュームを、拓郎にまかせて欲しいという意味)、スゲェ上手く弾いてるんだ。もう少し上げてやらないと、オレ、青山にブッ飛ばさ れちゃうからさ。アイツ、何でもオレんとこに言ってくるんだもん(笑)」 ミキサー氏他の了承を得た拓郎は、いそいそとコンソールの前へ、が・・・、 r(ボリュームを上げる)上限はココね、で、下がココ。ミキサー氏にしっかりマークを付けられて極端に走らない、ようチェックされた 「ホーラ! また制限されちゃった。オレの人生制限だらけ!(笑)」 そして、こちらを向いて 「オイ、自由国民社で何か自由にやらせろよオレ、書くからさ『ミキサー入門』とか(笑) 」すると、すかさず西さんが言葉をはさむ。「イヤ、拓郎なら『ミキサー破門』じゃない ? 『ミュージシャン破門』でもいい(笑) 」「『あなたもこれでミュージシャンをやめられる』とか?(笑)」(常富)
禁煙の本じゃねえっての(笑)、「常やんだったらすぐ『ディレクター入門』書けるな。第1章:まず売れないグループを作ってデビューする。第2章:レコーディングで煮つまった時のその場しのぎの方法(笑)、なにをバカな事言ってんだ! ヨシ!キメルゾ!」 スタジオを訪ねてから2時間が経っていた。24のチャンネルに分けて、幅5センチはあるマルチ・テープにレコードされたその曲は、4人の男の全ての感性と技術が総動員されたトラック・ダウンという作業を経て、今、マスター・テープへと移し変えられた。この音が、レコード盤に刻みこまれるのだ。
Ⅳ
この日のレコーディングは、その後もう一曲のトラック ダウンも行なわれた。その曲は、8小節の短いリフに、想いがいっぱいに込められた言葉がぎっしりとつまった、いかにも拓郎らしい曲。ミアムのテンポに乗った中西のピアノが、泣きたくなるようなフレーズを綴る。リズムを足で取りながらも胸がつまってしまう、と書いたら雰囲気は判ってもらえるだろうか。
家を捨てたんじゃなかったのか? 家を捨てたんじゃなかったのか? 繰り返し繰り返し旅に出る……" まぎれもない"今の吉田拓郎"がそこに刻ま れている。最初の曲と同様、マスター テープに移されたその曲をさらにカセットに落とし、そしてそれを、小さなカセット・レコーダーで 聴こうと言い出したのは拓郎だった。小さな カセット・レコーダーから流れてくる音は、 たった今まで、音像を綿密にチェックしてい たスタジオのモニター・スピーカーから流れてきた音質とは比べるべくもない。しかし、不思議とリアルだ。何と言えばいいのか・・・生み落とされた歌が歩き始めたような、そんないとおしさと、そして温かい距離感,がある。 カセット・レコーダーを取り囲むようにして聴き入る拓郎、西やん、常やん、そしてスタッフ・・・。曲が終る。 「いいね、すごくいい!」 とても真剣で、強い、常富の声が最初だっ た。中西とミキサー氏が、嬉しそうな、とてもいい笑顔で拓郎の顔をふり迎いだ。
Ⅴ
飲み屋へと向かう
その日の仕事を終えた後の一杯の・・・いや、何10杯かの酒は、拓郎軍団にとって"楽しい儀式"に他ならない。車中、拓郎が中西に話しかけている。 「いやー、今回はスゴ ィ、西やんの世話になっちゃったなあ。ホン ト、感謝してる」 「まだ全部終ってないですよ、拓郎さん(笑)」 中西が笑って応える。 そんなふたりの話しぶりには、既にニュー・アルバムが99%満足いくものに仕上がる確信が、爽やかに漂っていた。もちろん、その車を降りた後の、翌日の太陽が30度の角度を越える高さまで登るまで続いた酒の席の雰囲気の中にもー。
吉田拓郎のニュー・アルバム『FOREVER YOUNG』は10月下旬、もしくは、11月上旬にリリースされる。そのタイトルからは、丁度10年前、ボブ・ディランが本格的にザ・バ ンドと共に作ったアルバム『PLANET WAVES』のA面ラストとB面を結ぶ名曲『FOREVER YOUNG』を連想したりするのだが。 また、ニュー・シングル「旧友再会フォーエバーヤング」(B面は「ペニーレインへは 行かない」)は、10月21日のリリースが決定 した。 1984・秋。吉田拓郎が、いよいよ、動き始めた!
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