120曲のニューフォークを創った"日本のボブ・ディラン" よしだ・たくろうクン。まだ無名。 平凡パンチ1970.3.30
■聞きなれないグループのうた
「レコードというのは、もともと音楽を聞く目的でつくられたものだけど、自分たち仲間が参加して、そして、そこでプレーできるレコードはなかったと思う。ボクたちは、そんな仲間の音楽をつくりたいと考えたわけさ。その第一弾が、<若者の広場と広場にかける橋>なんだ。 とにかく聞いてくださいよ。感じるよ」 と強調するのはフィーチャーズ ・サービスの斎藤功クンだ。
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フィーチャーズ・サービスというヘンテコリンなグループがある。上智大学闘争のとき、不本意にも大学側から処分を受けた連中が集まって、なんかやろうじゃないか、と結成されたグループだ。メンバーは、男七人に、かわいい女のコ一人の八人編成。いずれおとらぬ筋金入りだが、70年闘争に疲れきって、気分転換に、金もうけでもしようかと活動をはじめた。
その彼らが考えたいちばん最初の仕事が、<若者の広場と広場にかける橋>というわけだ。 このLP、A・B両面に九曲入っている。うたっているのは広島フォーク村という聞きなれないグループ。作詞、作曲から、演奏まですべて自分たちでやっている。そのユニークさと新しさに目をつけたのがフィーチャーズ・サービスなのだが、全共闘運動のOBたちが初仕事に、なぜこのグループを選んだか。彼らの運動を継続させるための一手段とも考えられないことはないが、広島フォーク村の中心人物、よしだ・たくろうクンの才能にほれたことも理由の 一つ。そのへんをフィーチャーズ・グループの代表格の斎藤クンにきいてみるとー。
「このLP、ユーゲント・レコードっていうレーベルなんですよ。ユーゲントはドイツ語で若い、ってイミです。 資本主義社会でもうけていくには、全体主義的でなければならないでしょ。そうなるとやはり、ドイツです。そういうイミでのユーゲント、ということにもなるんですが・・・。それはともかく、ボクはよしだクンのうたに感じちゃいましてねぇ」
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広島フォーク村。
広島のイメージというと、原爆であり、東洋工業であり、三菱重工というのが、すぐに思い浮かんでくるものだ。
「広島というのは、音楽的レベ ルの高い土地なんです」というのは、ミュージック・ディレクターの浅沼勇さんだ。その説によると長調の民謡のある土地は明るくて音楽的にもズバ抜けたものを持ってる所が多い。 「日本全国に民謡は二万曲ほどありますが、長調のものはごくわずかです。会津磐梯山、安来節、大原節なんかそうです。これらの土地は民謡だけじゃなく、どんな音楽をやっても、しつこいネバリがあるんですね。 広島にはとりたてて、これといった民謡はありませんが、長調の土地です。豊富なタンパク質と酒も原因しているかな」
この広島に生まれたのが、広島フォーク村だ。浅沼さんが三年ほど前、ヤマハ・ライトミュージック・コンテストで広島を訪れ、広島の音楽性の高さを認識した。その後、広島のフォーク好きの連中がなんとなく集まって、一年ほど前から、今のような形になった。この広島フォーク村、これといった組織はないのだ。大学生を中心に、二、三百人の仲間がいるだけだ。月に一、二回、演奏会を開き、自分たちのオリジナルを中心にプレーする。これが広島フォーク村の活動の、ほとんどすべてなのだ。
こういったグループをさがしていたのが、フィーチャーズ・サービスというわけ。代表格の斎藤クンが浅沼さんにユーゲント・レコードの企画を話し紹介してもらったのが広島フォーク村。斎藤クンはすぐ広島に行き、彼らと行動をともにした。
「音楽のことはよくわからないけど、フィーリングに訴えるものがあるんだ。これだと思ったな。惚れたわけです」ということで、広島フォーク村のオリジナル九曲をLPレコード<若者の広場と広場にかける橋>に収めることに決定したのだ。
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(全共闘より金もうけ? フィーチャーズ・サービス)
■古い船をいま動かせるのは……
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よしだたくろう、二十三歳。
広島フォーク村の中心人物。彼の作詞した<イメージの詩>から。
これこそはと信じられるもの
がこの世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり
悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうね
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうね
男はどうして女を求めてさまよってるんだろう
女はどうして男を求めて着飾ってるんだろう
いい加減な奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いい加減な奴らも口をあわせ
ておれと歩くだろう
戦い続ける人の心を
だれもが知ってるなら
戦い続ける人の心は
あんなに燃えないだろう
傷つけあうのがこわかった
昔は遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう
古い船には新しい水夫が
乗りこんでゆくだろう
古い船をいま動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら 古い船も新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのさ
新しい海のこわさを
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浅沼さんの話。「このうた、メロディーが斬新です。よしだクンは、こういううたの頂点にいけるんだと思いますね。まず自作自演の強み。それに声がいいです。R&Bに倒傾していたということで、アフター・ビートがきいています。
最近クローズアップされはじめたニューフォークの歌、といっていいでしょう。私には、ボブ・ディランの先をいっているんじゃないかとさえ思えます。よしだクンは、コマーシャル・ベースに乗っても、じゅうぶんいけるものを持っていますね」
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よしだクンの話。「ボクは別にうたをつくっているって感じは持ったことないです。街を歩いてたり、酒を飲んでいたりして、偶然に何かを見つけるんです。意図しなくても、うたになっちゃう。こうやってつくるんだ、という方法はなにもないです」
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よしだ・たくろう。広島商科大学四年。
「高校に入った当時は、歌謡曲ふうの曲をつくってました。文化祭で発表したりしてね。大学に入ってからは、ドラムとエレキギターをやった。それでR&Bをうたってた。それと平行して二年ほど前から、フォークをやったけどボクのつくるものはどんなジャンルにも分類されません。要するに、うたなんです」
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浅沼さんの話。「音楽には二つの流れがあります。一つはマスコミ向けのもので、もう一つは、自分たちで楽しむものだ。 後者がマスコミ受けしない理由は、リーダーとなる人がいないからです。聞くのではなくプレーする音楽、これは五年前だったらダメだったと思う。日本のレコードは聞く音楽のために買われているのです。売れるレコードというのは、いわばジュリーやショーケン。これ以外のレコードがなかったのですね。しかし、これからは、仲間でつくって、仲間でプレーするレコードがノシてくるでしょう。そのトップを切るのが、よしだクンだと思います」
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<若者の広場と広場にかける橋>の構成が変わっている。A 面四曲、B面五曲。その曲と曲の間に、昨年十月二十一日の国際反戦デーに新宿西口広場に結集したフォーク・ゲリラと、全共闘の集会のもようがダビングしてあるのだ。そして、日大芸闘委系の<情況の眼>のグループが撮影した日大闘争の写真が、三十葉収められているのも、このLPの特徴の一つだ。このハデさとまったく対照的に、広島フォーク村のうたは静かで、すんでいる。全九曲のうち、よしだクンの作詞、作曲は三曲ある。 よしだクンが作曲したうたは百二十曲ほど。その代表作。<イメージの詩> <マークⅡ> <青春の詩> <自殺の詩> <にいちゃんが赤くなった> <おろかなるヒトリゴト> <土地に柵するバカがいる> <好きになったよ女のコ> <知らない街で> <ニワトリの小さな幸福> <チノー> <悪い女> <ああ、いやだ> <なんとかならないかよ女のコ>
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よしだクンの話。「ことばでしゃべるのはむずかしい。ボクのは、既成の作曲家から、うたではないといわれた。ボクは自分のやってることが、うただと思う。演歌だとかなんだとかいうけれど、それは自己満足にすぎない。だいたい、そんなこと、きめつけることはおかしい。ポクは自分のうたに、歌謡曲だとか、フォークだとかジャズだとか、積極的にこれはなんだとは区別したくない。うたにフォーク歌謡とか、ポップ歌謡と名前をつけることはイミがないんだ。花が出てくると日本ではフォークになっちゃうけど、<花と蝶>という例もあるなあ」
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■一年のかせぎ七万五千円?
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広島フォーク村のリーダー格は全員、ラクダイの経験者だ。 別にラクダイをしていないと広島フォーク村ではハバがきかないってこともないけれど、よしだクンも1回経験している。 よしだクンは、そんなに金はほしくないけど、レコードが出て、最低七万五千円はほしいという。広島商科大の授業料が七万五千円だからだ。「一年で、これだけかせげればいいです」
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よしだクンの話。「うたをつくるとき、詩と曲が同時にできることはないです。詩として考えると価値のないものもずいぶんあります。つくるときのイメージがそこにあればいいのです。それをメロディーにのせる。 曲を整えようとすると、いろいろ手を加えなければならないけど、粗雑なものでも、イメージがあればいいと思ってます。自 分でつくってて、どういうイミだかわからなくなる時がありますけどね。ボクは自分から出てくるものをうたにしてるのです。自分のうたについて、人がどう思おうと、全然かまいません。自分じゃよくわからない」
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(広島フォーク村のラクダイ生たち)
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レコードは三千枚プレスする予定だ。その売り方についてよしだクンは、おもしろいアイデアを持っている、これがうただ、というものは、ないのだから、これは何でしょうか? ということで売ったらどうだろう、というのだ。「こんな売り方もおもしろいし、ボクの場合ピッタリくるところがある」
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よしだクンのうたには恋のうたが多い。百二十曲中、五十曲は恋のうただ。 「ボクはよく失恋するんです。 別にお茶を飲みながら話をすることもないような、見るだけの恋にもよく失恋します。一回の失恋で、二、三曲はうたができ ますね。失恋っていうのは、いちばんうたにしやすいんです。 恋とか愛とかは、しゃべりにくいけど、うたにしやすいですね。 好きな女優は、梓英子。東京に来ると、なんだか近くに来たなって感じがします。ふだんは 遠くにおいときたい存在ですけど。ボクのうたをうたう人ですか。そりゃ、自分のうたは、自分でうたうのがいちばんいいのですが、もしうたってもらえるのなら、都はるみさんが、ピッタリだと思っています」
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ニッポン放送のディレクター亀淵昭信氏
「<イメージの詩>っていいですね。アレンジがうまい。それと楽器の使い方がきれいで新鮮だな。ボクはフォーク・ロック的な感じがおもしろいと思った。 山上路夫さんなんかがやってるんですけど、新しい日本語を使った詩が最近は多くなってきました。よしだクンの詩にも、やや見られますが、これからはもっとふえてくるでしょう。 フォーク・ロックがこれからの主流でしょうが、ロック調が復活してきたのは、フォークの音にあきたらなくなってきた結果でしょうね。ボブ・ディランが再デビューしてきたときは、エレキギターを持ってましたからね。フォークが単純とすればロックは複雑というわけですが、これはくり返しています。 それから、これは、よしだク ンの詩にかぎらないのですが、最近は、どうでもいい感じの詩もふえてきていますね。お経のように、なんとなくとなえていればいい、といった感じです。 よしだクンのうたを聞いてていちばん感じたことは、彼、これらのうたを、ジョーダンでつくったんじゃないか、ということです」
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