2017/02/19

黄金の60年代・「キャンティ」とその時代 ① 川添象郎・ムッシュかまやつ・ミッキー・カーチス①

黄金の60年代、「キャンティ」とその時代  
 
川添象郎
ムッシュかまやつ
ミッキー・カーチス

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六本木交差点から東京タワーに向かって車を走らせると、飯倉片町の一角に三階建てのレストランが目に飛び込んできます。 「CHIANTI」-「キャンティ」というイタリアンレストラン。
1960年の開店以来、「キャンティ」には、芸術家、芸能人、知識人たちが集まってきて 深夜遅くまで語り合う「溜まり場」でした。 人と人との交流の集積が新しい文化を生みだし,、世界に通じるカルチャーを誕生させてきました。  その「キャンティ」を軸にして或る時、三人の男たちが知り合い、青春を謳歌しました。 ミッキー・カーチス。 ムッシュかまやつ。 川添象郎。 彼らは、シナトラがまだアイドルだった時代からヒップホップの現在まで、 ポップ・ミュージックの最前線で、ミュージシャンおよびプロデューサーとして活躍。 日本の音楽界に多大な功績を残し、肩の力を抜きながらやりたいことをやり、時代をうまく泳いできた、本物の不良たちです。 その三人に、青春の1ページを振り返ってもらいました。 「『キャンティ』、青春の日々」を中心に語られる秘蔵エピソードの数々は、活字化されたことのないものばかりです。 ジャズのインプロヴィゼーションを思わせる言葉の応酬をお楽しみください(以下、敬称略) 。
 
【「『象の記憶』は 全部パソコンで書いてるんだ」(川添) 】
 
川添象郎(以下、川添)  まだ二人来てない? (編集長に向かって)スタンガン持ってきましたか。
 
編集長  え!?
 
川添   やつら、来たら、暴れまくるから、危険ですよ。いざというとき、黙らせないと。
 
編集長  ハイ……。
 
(ミッキー・カーチス、ムッシュかまやつ両名が定刻通り「キャンティ」に到着。 編集部から、川添氏の連載「象の記憶」の掲載されている『団塊パンチ』を 手渡される。熱心に読み出す二人)。
 
ムッシュかまやつ(以下、ムッシュ)  象ちゃん、よくちゃんと書いたな。
 
ミッキー·カーチス(以下、ミッキー)   これ、ちゃんと書いてるよ。
 
ムッシュ  すごいね。これ一冊にしち やったほうがおもしろい。よく憶えてる
 
川添  でも最近、一分前に言ったこと、もう忘れてる。
 
ムッシュ  アルツハイマー·グレイト!
 
川添 俺、自分でパソコンで書いたんだ。
 
ムッシュ すごい立派な原稿じゃないの。
 
川添 今日、田邊の昭坊(*2) (現、田 辺エージェンシー社長)に電話して、今回の連載に昭坊も出てくるから、(原稿 を)送っておかないと悪いと思ってさ。 「パソコンで送るから、メールアドレス教えて」って言ったら、「そんなこと、俺ができるわけねえだろう」って威張ってやんの。
 
ムッシュ 象ちゃんぐらいだよ。メールとかやるの。
 
川添  ミッキーも、うまいよ。
 
ミッキー  俺、ミクシィとかパ ンパン入っちゃってるから。
 
 --ミクシィ、やってるんですか。
 
ミッキー  やってるよ。
 
【 「カントリーバンドの ほうが金になった」(ミッキー)  】
 
川添 ミッキーは、和光学園に入ったろ。
 
ミッキー  そうだよ。俺、小、中、高。
 
川添 俺は幼稚舎、中等部、高校1年までは慶應にいたわけ。で、いきなりラ・サール行ったでしょ。で、いきなり、今度は和光に入れられたわけ。全部親の都合だからね、うちは。
 
ミッキー  俺もどうやって卒業したのかわかんない。よく卒業できたなあって。 しかも成城(大学)に入れたなあと思って。確かに勉強したんだよ、半年ぐらい。
 
川添  ほんとに?
 
ミッキー  ちゃんと入ったんだ。
 
川添 和光には、三枝成彰がいたんだよ。
 
ミッキー  三枝。俺、殴った。
 
川添 知ってるよ。三枝、今だって君の顔見たら、すぐ逃げちゃうじゃない。
 
ミッキー 今でも生意気だもん。
 
川添 ムッシュはどうしたの、学校は。
 
ムッシュ  学校はいちおう高校出たよ。 青学。
 
川添  みんな名門出てんじゃない。
 
ムッシュ  青学出たけど、三か月遅れぐらいで出た。バンドやってたしね。パン ドのほうが面白いし、金になるし。米軍のキャンプ回り。そっち行っちやったん だね。
 
川添 進駐軍のところへ行ってエンタ -テイメントやったりしたの、あなた?
 
ムッシュ  そうそう。
 
川添  ミッキーもやってるんだよね。
 
ミッキー   もちろんだよ、それがメインだよ。
 
ムッシュ  米軍が撤退して、キャンプが少なくなってきて、渡辺プロも、都内にジャズ喫茶を作ったの。でも日本人の前でやるの、すごくビビッたね。外人は平気だった。
 
川添   この二人も、僕も同じなんだけど、 1940年代ぐらいから、今日に至るまでのあらゆるポップミュージックをリアルタイムに経験してるよね。
 
ミッキー  終戦の年からね。 俺たちは、結局カントリーが多かったんだよ。一番、カントリーが金になったんだ。というのは、日本に来るアメリカの兵隊って、百姓ばっかりなんだよ。こっちくるのは、カントリー系ばっかりだから。ジ ャズバンドよりカントリーバンドのほう が儲かった。
 
川添  マッカーサーとアイゼンハワーの 違いみたいなものだな。
 
ミッキー  マッカーサー......まあ、そういうことだな。
 
ムッシュ  よくわかんねえけど。
 
ミッキー  なんとなくだよ、なんとなく。
 
ムッシュ それ、1956年ぐらい。でも感心してるんだ、俺。この「象の記憶」 みたいな回想、30代とか40代だった ら書けるけどさ、60過ぎて書くの、大 変だよね。
 
ミッキー  忘れちやってるんだよね。
 
ムッシュ   だよね。調べるんでしょう、相当。
 
川添  調べるわけないじゃない。記憶だよ。たまに会ったときに「あれ、どうだったっけ」って尋ねて、書いてるの。
 
ムッシュ  それはすごいって。
 
川添  それはだって、引っかかってるから訊くわけよ。だって、この記録、残るんだもん。飛鳥新社潰れたって、残るんだから。
 
ムッシュ  そうだよね。
 
ミッキー  俺、紅茶1杯飲ませてくれる? 悪いけど。
 
アールグレイの紅茶を頼んだミッキ-。ムッシュは、ミラネーズの横に、バ ジリコを乗せ、とうもろこしを追加したもの。象ちゃんは、フィレステーキにボイルドポテト、ニンジンとインゲン。 1960年、三人は「キャンティ」の開店初日から居たのだから、注文の仕方が様になっている。フォークとナイフの使い方も、洗練というのじゃないけれど、男っぽくて、見ていて、気持ちがい い。「キャンティ」そのものが体に馴染 んでいるのだ。かっこいい!
 
【 70になるなんて 想像した?(ミッキー)  】
 
ミッキー 俺、ハーモニカ、一本持って 今でも小一時間(ライヴを)やってるよ。
 
ムッシュ  小一時間。そのタフな行動力がすばらしいんだよね。
 
ミッキー  うん、俺63からハーモニカ始めたの。飽きないね。これ、死ぬまで やるよ。たぶん、死ぬときに、最期の息がハーモニカなんだ。フ~ンって。
 
ムッシュ  そのサウンドがすごいよかっ たりして。
 
ミッキー  そう。Bフラットだったり。 よくわかんないけど。
 
ムッシュ ワニがBフラットの音に反応するって話、聞いたことある?
 
川添  ほんと?
 
ムッシュ  うん.動物園の前で、Bフラ ットの音を出したら、ワニが暴れたから、 ニューヨークのオーケストラを呼んできて、Bフラットの音、全員でブワーッて やったら、大変暴れたんだって。
 
川添・ミッキー  ほんとかよ(笑)
 
ムッシュ  ほんとなんだって。
 
ミッキー  今、思いついたんだろおまえ。
 
ムッシュ  いやいや。本で読んだんだよ。
 
ミッキー  Bフラット、ワニが。試してみよう。いや、わかんないよ。動物によって違うかも。
 
川添  ミッキーがビデオ回せっていうか ら、ビデオ、持ってきたよ。
 
ミッキー  ああ、生きてるうちにね。回 しといたほうがいいんじゃないかなって。俺たち三人が集まったいい機会だし。 わかんねえじゃん、明日は。
 
ムッシュ  俺まだ67だよ。70まで3年あるよ。
 
ミッキー  でもさあ、まさか自分が70になるなんて思った?
 
ムッシュ  あまり自覚して生きてなかったような気がするよね。スルッと来ちゃった感じするよね。
 
川添  だから、みんな要するに好きなことばっかりやってきた連中じゃない。
 
ミッキー  ムッシュなんて特にな。
 
ムッシュ  あなたたちこそ。
 
ミッキー  おまえが一番好き勝手だよな。
 
ムッシュ  そんなことない。
 
ミッキー  俺はね、たぶんおまえ(象ち ゃん)が一番勝手だと思う。
 
川添  いやいや、俺はミッキーを相当勝手だと思うよ。

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ロカビリー歌手時代のミッキー・カーチス

【「最近の若いやつは イヤホンつけて 席を譲ろうともしない」 (川添) 】
 
ミッキー  でもさ、電車乗ってると、俺 なんかもう席譲ってもらったほうが嬉し いけどね(笑)。
 
川添  いや、譲らないよ。最近の若いのは。
 
ミッキー  いや、譲るのもいるよ。でも、たいがい譲らないね。
 
川添  たいがい譲らない。だいたいね、 あいつらシルバーシートの優先席っていうのに座って、イヤホン付けて、目つぶって音楽聴いてるの。お年寄りに席譲 ろうとしない。
 
ムッシュ  死んだ振りするんだよ。
 
川添 それ見ると、俺、腹立つから、蹴飛ばすわけ。いきなりドーン! びっく りしちゃう。文句言うの。
 
ミッキー  言いそうだな。
 
ムッシュ 象ちゃんは、言いそう。
 
ミッキー 有名だもん。
 
川添  捨てゼリフ吐くやつなんかいるわ け、たまに。
 
ミッキー  そうすると、ステッキ出して引っ掛けたりするんだ(笑)。
 
川添 「何がなんでも、言い方があるだ ろう」と言うんだよ。
 
ムッシュ  こういう性格は、象ちゃんのDNAなんだよ。
 
ミッキー  こういうところ、(後藤)象 二郎からきてるんだよ。きっと。
 
川添 「無礼者!!」って感じになって追っかけてって。
 
ムッシュ  どうでもいいじゃない、そんなこと。だけど、それやっちゃうっていうのがDNAなんだよね。
 
川添  (しみじみと)やっちゃうんだよね。でも、この中で人間が一番人間が丸いのは、ムッシュさんじゃないですかね。
 
ミッキー  ね。こいつ、振りがうまいから気をつけたほうがいい。
 
ムッシュ  ピンコロ屋の息子だから、生まれたときから、世の中、こうやっていながら(頭を低くする)生きてきてるから、ある種、せこいのかもね。堂々と生まれてこなかったからね、きっとね。 ミュージシャンとかそういう業種っていうのは。
 
川添  ごめん!俺、ボキャブラリーわからないんだ。ピンコロ屋の倅って何?
 
ムッシュ  ピンコロ屋っていうのは、つまりバンド屋。
 
川添 そういうことね。
 
ミッキー  だって、昔だったら、バンド屋って道、真ん中は歩けない。
 
川添  ......で、今の話の続きだよ。まず、そもそも、俺はミッキーとどこで会ったか全然記憶がないわけよ。
 
ミッキー  俺は覚えてるよ。
 
川添 覚えてるのは、ムッシュの家に俺が、一晩、二晩泊まり込んでるときに、ムッシュはもうスターで、追っかけの 女の子がいっぱい。だって、朝っぱらか ら、追っかけの女の子が取り巻いてさ。
 
ミッキー  覚えてないんだよ、こいつ、全然。もっと前だよ。
 
川添 ああ、そうだったっけ?
 
ミッキー  なあ。だって、俺がこっちへ来たのは、ジャズ学校だよ。
 
川添 それは知ってるの。君たち二人のことはいいの。俺が知りたいのは、どこで会ったかということ。
 
ミッキー  青山ボウリング·センター
 
川添 ああそう。わかった。じゃあ、それでいいや。
 
ミッキー  たぶん。そう思わない?
 
ムッシュ  ちょっとね。そこんところ、 考えさせてくれる。
 
ミッキー  青山のボウリング·センターだよ。
 
ムッシュ  俺、その初めて会った瞬間っていうのが、きちっとは憶えてないんだけど、「キャンティ」のこのへんであることは確か。まだここ(飯倉本店)ができる前だった。象ちゃんが、「今年の暮れに店ができる」とかそういうようなメッセージをくれたんだよね。
 
川添 その前は、どうだったの僕、君と。
 
ムッシュ  このへんで会ったの。
 
川添  このへんって言ったって、この店ないんだぜ。
 
ムッシュ  つまりほら、いろいろあった じゃない。
 
川添 「シシリア」とか。
 
ムッシュ  ああいう店で会ってんだよね、きっと。
 
川添 会ったって、だって、接点がないのに、なんで友だちに。
 
ムッシュ いや、顔見知りみたいな感じで。
 
ミッキー (福澤)幸雄じゃないの。
 
川添 あっ、幸雄の可能性あるな!
 
ムッシュ  幸雄? それはあり得るな。 幸雄はね。車を媒介としたグループだった。
 
--- ミッキーさんとムッシュさんが知り合ったのは、どういう縁ですか。
 
川添  これはもう簡単。どうぞ、話してください。話せよ。
 
ムッシュ  ジャズ学校。
 
ミッキー  正確に言いましょう。 1956、7年です。ロカビリーブームは、58年です。その前です。
 
川添  ミッキーはロカビリー三人男の一角を占めてたわけじゃない? 最初のアイドルだな、言ってみれば。今のアイドルみたいだったの。
 
【 「CIAとかKGBを集めて、ポーカーやってた」(ミッキー)  】
 
一 10年くらい前、テレビでミッキーさんが「昔の六本木と今の六本木は違ってた。昔のほうが活気があった」と、おっしゃってました。
 
ミッキー  ああ。
 
川添 全然違うよね。
ミッキー 今、六本木ってすごい混んで るけど、怖くないよね。昔は人いなかっ たけど、怖かったよね。危険。
 
川添 だって、撃たれちゃうんだから。
 
ミッキー  撃たれた。俺、撃たれたもの。
 
--- ミッキーさんがですか?
 
ミッキー  撃たれた、撃たれた。『東京 アンダーワールド』っていう本 読みました?
--- はい、読みました。
 
ミッキー  あのときいたんだよ、俺は。 あそこに。あの界隈で撃たれたのよ。当たんねえんだ。俺、「下手くそ!」って 怒鳴ったんだけど。
 
---- 撃ったのは誰ですか?
 
ミッキー  あのころちょっと、組同士がごちゃごちゃしてたじゃない。あの狭間だったから、何がちょっとどうだったのかわかんないけど。朝鮮戦争からベトナム戦争に流れ込んでいく、ちょうど合間の中途半端な時期。
 
川添  君を狙ったわけじゃないでしょ。 君と一緒にいるやつを狙ってたんでしょう。
 
ミッキー  そうらしい。
 
川添  このへんなんか、大使館がいっぱいあって、スパイみたいなやつばっかりだった。
 
ミッキー  みんなスパイ! もう石投げたらスパイに当たるっていうぐらい。
 
--- それはソ連とか東欧……。
 
ミッキー  そうそう。
 
川添 全部いるよね。
 
ミッキー  全部いる。六本木の交差点、石投げりゃ、スパイに当たるっていうぐ らい(笑)。そいつら集めて、ポーカーやってなかった? 俺たち。
 
川添 やってたよ。
 
ミッキー  なあCIAとかKGBとか集めてな。ポーカーやってた。
 
川添 俺なんか、カモだと思ってやってんだよ。俺がいっつも持ってっちゃうもんだから。おもしろかったよ。ねえムッ シュ、彼らがやってるポーカーなんか見てたら、カードさばきから何から、僕から見れば子どもみたいなもんなわけ。あんた、知ってるでしょ、僕の実力。ラス ベガスに行って、その前に引田天功と、カードやってるくらいだからさ。
 
ムッシュ  敵なしじゃんね。
 
川添 六時間とか八時間とかっていう勝 負決めてやるじゃない?八時間のなかで勝負、結果が勝てばいいんだろ。というのは、みんな、一手ずつで一喜一憂するわけよ。だから、だめなわけ。 時間で最終的に勝つ方法っていう考え方で、僕は賭けてるから。最初は小さく賭けて、さっさと動いて、見てて、癖覚えちゃって。そしたら、絶対勝つよ。
 
ムッシュ 象ちゃんはそうだよね。長いタイムで考えて、配分して、集中するところと、投げ出すところみたいな。だか ら、アルファ ミュージック、創 った。
 
川添 戦略的に動くわけ、俺は。
 
ムッシュ  そう。だから、アルファは、 ほんとは村井邦彦がやってるのかと思ったもの。そうしたら、あれは象ちゃんが、やっていた。どっちかって言うと、村井がポイント、ポイントで攻撃するタイプなのね、きっとね。
 
川添 「じゃあ、僕が金持って来るわ」 という話になって。
 
ミッキー  コロムビア(レコード)騙 して。
 
川添  それで、できちゃった。マッシュ ルーム・レーベル。日本で最初の インディーズだよ。
 
ミッキー  あの会社のマークになったキノコの絵は、別れたかみさん、MIKA が口紅で描いたのを使ってる。俺の乃木坂のマンションかなんかで。
 
川添 それで,タレントがいないわけ、そのとき。ミッキーとかいるけど、ミッ キーはもうプロデューサーだったし。
 
【 「アルファレコードは遊びから始まったから 成功した」(ムッシュ)  】
 
ムッシュ  アルファって、結局。一発目 は誰。小坂忠 ? 違う?
 
川添  一番最初は小坂忠。
 
ミッキー小坂忠。成田賢。
 
川添 それで、GAROになっ て、GAROでバーンと売り上げ上げち やった。当時、ミュージカル「HAIR /ヘアー」が終わった局面で、GAROのメンバーが「HAIR」に出てて、僕がオーディションで選んだ、歌の歌えるやつを、ほとんどそこから引っ張 り出してきた。最初のタレントはね。で、小坂忠が、そのとき初めて細野晴臣をうちに連れて来たんだよ。「俺のギターで, なんかちょっとやってよ」って言ったら、いきなり一曲やったんだよ。そのビートには吹っ飛んだね。えらいセンスのいいやつだなあと思って、細野君は、それからの付き合いなんだよ。
ムッシュ  ああ、そう。
 
川添  ユーミンなんかも、そのころ「HAIR」 の楽屋へ、うろちょろ出入りしてたよ。
 
ミッキー  まだ14歳くらい。
 
ムッシュ  早熟だったんだね彼女もね。
 
川添  早熟だよ。だって、いきなり俺のところ来て、「私、いい曲書くんですよ」 って聴いたら、すごくいいんだよ。で、 加橋かつみのアルバムの中に、すぐ採用しちゃつた。
 
ムッシュ  ああ、そうだよね。
 
ミッキー  彼女のライブのデビューはね、俺らの前座だった。ツバキハウス。
 
ムッシュ  ツバキハウス。新宿の?
 
ミッキー  そう。
 
ムッシュ  懐かしいなあ。アルファ・ミ ユージックって、遊びの発想から始まったから、成功したんだね。だから、金のことやなんかから入っていったら、絶対 うまく行かなかったんだよね。あれ、や っぱりフルに自分のアイデアが出たでしょう。
 
川添 そうそう。
 
ミッキー 好き勝手にしたからね。
 
ムッシュ  金儲けしようと思って始めたもんじゃないからね。
 
川添 僕らの発想は、日本の音楽、なんでこんなダサイの? いくらでもカッコ いいレコード作れるんじゃないの? というものだったの。
 
【 「この年になると 過去が 追いついてくる」(ミッキー)  】
 
--- 「リブヤング」というテレビ番組、 高校1年のときたまたま見てたんですよ。愛川欽也が司会やってて。そのときリーゼント大会があって、キャロルがパ ックバンドとして出演していたのを、ミ ッキー.カーチスさんがすぐにスカウト したという伝説の放送日をリアルタイムで見てるんです。
 
川添 こいつ、早いから。
 
ミッキー  その場ですぐ電話した。
 
--- あのとき、リーゼントチャンピオン が永ちゃん(矢沢永吉)だったんですよね。愛川欽也が引っ張ってきて。
 
ミッキー  そう。そのときの審査員が(内田)裕也だったんだ。で、裕也が番組終 わったら、キャロルをゲットしようと思 ったらしくて。ところが、俺が番組の最中にもう押さえちゃったから。そこで、なんかすげぇ悔しかったらしいよ。
 
--- 今、ネットで、キャロルを見たことも聞いたこともなかった若者が、ハマってて、すごいブームになってるんですよ。
 
川添 うん、ミッキーさんが一番詳しい よ。初期のキャロルは。
 
ミッキー  もうこの年になると、過去が追いついてくるんだ。過去が。
 
川添  それは言えてるな。俺もそうだも の、今。「象の記憶」書いてみたり。
 
ミッキー  過去が追いついてきてる。
 
ムッシュ  うまいこと言うな。
 
ミッキー  追いついてくるんだ。心配するなって。
 
川添 過去は追いついてくるな。
 
「ちょっと、コケイン吸いに行ってきま す」
 
物騒なセリフを残してムッシュがタバコを吸いに退席。
 
「俺も」
 
つい最近まで禁煙していたミッキーも、葉巻をとりだしてスパスパ。イタリアンマフィアみたいだ。
 
ひとり、タバコをやめた象ちゃんが「みんなやめたんじゃないのかよ。おまえら、そんなのやめたほうがいいよ」と吠えている。
話題は、三人が出会った、当時の東京 へと…… 。
 
つづく
 
 

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2017/02/18

2月20日 FM COCOLO 田家秀樹 J-POP LEGEND FORUM 【吉田拓郎特集】ゲスト : 加藤いづみ

FM COCOLO 2月20日 21:00 - 22:00

 田家秀樹 J-POP LEGEND FORUM 【吉田拓郎特集】

 ゲスト : 加藤いづみ 

radiko.jp 

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2017/02/17

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2017/02/16

HIKE OUT STAFF VOICE

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FCバルセロナのイニエスタ選手のワインは、

ラベルがとても素敵で、

ハートの向こう側に「La pasión va por dentro(情熱を内に秘めて)」

ボトルの正面には、コラソン・ロコ「熱狂的な思い」と。

私も熱い思いを忘れずに日々を送っていきたいです。

昨日は早朝から春風が吹いたようなニュースがありました。

先週8日(水)発売のLIVE2016 DVD,Blu-ray&CDが、

オリコン週間BDランキング総合3位!最年長TOP10記録と自己最高位を更新!!

やったー。ステージスタッフも一同、本当に嬉しそうです。

たくさんの熱い思い、ありがとうございました!!

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2017/02/15

富澤一誠の「俺が言う」 ノーベル文学賞受賞アーティスト<ボブ・ディラン>がいたから吉田拓郎が生まれ、そして現在のJポップ・シーンがあるのです! 富澤一誠

何をもって文学的と言うのか、は見解の相違によります。従って、ボブ・ディランの詞に文学性はあるのか、も見解のわかれるところです。
そんな前提に立って私が思うことは、これは日本においての話ですが、岡林信康、吉田拓郎、井上陽水、谷村新司、さだまさしなどのフォーク・シンガーたちは、フォークソングという表現手段がなかったとしたら”文学者“になっていたというか”小説“を書いていたと思います。おそらく彼らは青春時代の喜怒哀楽を小説という形を借りて表現して発散していたことでしょう。柴田翔の「されどわれらが日々」や庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」などのように。
 
しかしながら、彼らはそうではなく音楽の世界に入ってしまいました。なぜかというと、自分の言いたいことを小説という表現方法ではなく、自分の言葉で、自分の曲にのせて、肉声で歌う”フォークソング“という表現手段を知ってしまったからです。
 
かつて“怒れる若者の季節”と呼ばれる時代がありました。60年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対と嵐が吹き荒れた時代です。そしてそんな時代が生み出したのが“若者たちの英雄”である岡林信康、吉田拓郎であり、彼らが歌う“フォークソング”だったのです。当時の若者たちはそれまでの小説を読むかのような気持ちでフォークソングを貪るように聴くようになったのです。まさに<昔・文学、今・フォークソング>です。要は、フォークソングは文学である、ということです。
 
さてボブ・ディランの話ですが……。ディランがノーベル文学賞を受賞した際に吉田拓郎は「もし、あの時にボブ・ディランがいなかったら、と考える。ボブ・ディランがいたから今日があるような気もする。多くのことがそこから始まったと僕は思うのだ」というコメントを出しましたが、これは“ディラン”を“拓郎”に置き換えたら、そっくりそのまま日本の音楽業界にあてはまるのではないでしょうか。そう、吉田拓郎こそが“和製ボブ・ディラン”であり、拓郎がいなければ今のJポップ・シーンはありえないのです。
 その証拠に拓郎は大学生の頃に家出をしています。憧れていたディランの伝説を読んで、ディランは尊敬していたフォーク・シンガーのウディ・ガスリーに会うために放浪の旅に出た、ということを知り、自分も家出をすることでディランに少しでも近づこうと思ったのです。ディランの生き方は拓郎を強く刺激したのでしょう。
 
拓郎だけではなく、岡林も、陽水、谷村、さだもみんなディランの影響を受けています。それはベトナム反戦や公民権運動のムーブメントの中から、ディランが自分の意志を、自分の言葉で、自分の曲で、肉声を持って訴えていいのだというプロテスト・ソングを教えてくれたからです。その意味では、ディランズ・チルドレンと言っていい。そんなチルドレンを触発したディラン。ディランの歌はもともと文学青年だった彼らのDNAを刺激したのです。このことは、さだまさしの例を引くまでもないだろうが、さだもディランの文学賞受賞にあたって「あの人がいなかったら、僕らの歌を聴いてくれる人はいなかったかもしれない」というコメントを出しています。さだは今や小説家としても名を成している。「精霊流し」「解夏」「眉山」など数多くのベストセラーを出しているだけでなく、映画化もたくさんされ人気作家としても地位を獲得しているほどです。
 拓郎、さだをはじめ文学志向だった彼らを音楽の道に導いたディランの本質は文学にあるに違いない、と私は思う。ディランの詞が文学的なのか?はたまた文学性があるのか?その答えはまさに<風に吹かれて>です。
 
最後にこれだけは言っておきたいことがあります。ラブソングしか受け入れられなかった時代に、ディランはメッセージをこめたプロテスト・ソングを歌い世界中に影響を与えたということ。「風に吹かれて」のフレーズに「答えはすべて風の中」とあるように、直接的に伝えるのではなく自分で考えなさいというメッセージが魅力。また、通常は一音に一語を込めますが、メロディーより、言葉、思いが先行する。つまり、まずは詞ありきで、言葉がメロディーからこぼれてしまう“語る”ように歌うのがディランの特徴。それまでになかった言葉(言いたいこと)重視の歌は、日本でも岡林や拓郎などに影響を与え、“一音一語”だった日本の音楽を変える<字余りソング>を生み出していくのです。メッセージがメロディーからこぼれるなんて、それまでの日本ではありえなかったことで、Jポップの礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。
ノーベル賞受賞で、これまでディランに興味を持っていなかった人も聴くようになり、音ってすごいぞ、と再認識されるきっかけとなれば幸いです。音楽で「時代は変わる」のか?答えは風の中です。

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吉田拓郎、70歳10ヶ月でBD最年長TOP10

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シンガー・ソングライター吉田拓郎のライブBlu-ray Disc(以下BD)『吉田拓郎 LIVE 2016』(8日発売)が初週に6084枚を売り上げ、2/20付オリコン週間BDランキングで総合3位に初登場。『吉田拓郎 LIVE 2014』が2014年12/15付で記録した総合9位を上回り、自己最高位をマークした。

今回のTOP10入りによって、エリック・クラプトンがBD『スローハンド・アット・70 - エリック・クラプトン・ライヴ・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』(2015年11/16付=最高7位)で記録した「週間BD総合ランキングにおける最年長TOP10入り」記録を更新。70歳10ヶ月の吉田は、クラプトンが当時記録した70歳8ヶ月を上回り、同記録最年長(※)となった。

本作は、吉田が2年ぶりに開催した関東圏ライブ『吉田拓郎 LIVE 2016』のうち、パシフィコ横浜で行われた最終公演の模様を収録。ライブ本編、本番前の貴重なリハーサル風景のほか、映像特典として新曲「ぼくのあたらしい歌」のミュージックビデオ(新録音源)とバンドメンバーのインタビューがそれぞれ収録されている。

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2017/02/13

2月13日 FM COCOLO田家秀樹J-POP LEGEND FORUM 拓郎特集

2月13日 FM COCOLO田家秀樹J-POP LEGEND FORUM 吉田拓郎特集

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FM COCOLO 21:00 - 22:00

拓郎さんのコンサート・ツアー・ディレクター「宮下龍一」さん。

いちファンとしての拓郎さんとの出会いから、

長年にわたって携わっているコンサートの裏舞台など

常に拓郎さんの近くにいた宮下さんならでは秘話が語られます

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富澤一誠の「俺が言う 」 吉田拓郎の歌こそ私たちの人生のまさにテーマソングなのです!

吉田拓郎が登場した瞬間すさまじいばかりの歓声が地ひびきのように湧き起こりました。その歓声を聞きながら私のモードも一気にオンになりました。
 拓郎に対する歓声――正直に言って、この歓声こそが拓郎というアーティストの存在を独自のものにしている、と私は思っています。もちろん他のどのアーティストにもそれなりの歓声はあります。しかしながら、拓郎に対するそれとは根本的に“質”が違うのです。
 10月19日(水)、東京国際フォーラム・ホールAで〈吉田拓郎LIVE 2016〉が行われましたが、その“歓声”は健在でした。
 拓郎が登場して1曲目はいきなり「春だったね」から始まりました。2曲目は「やせっぽちのブルース」、3曲目は「マークⅡ」、そして4曲目が「落陽」。「落陽」が始まった瞬間、コンサートはいきなりアンコールのような盛りあがり、いうならのっけからコンサートはもう全力疾走です。このあたりの盛りあげかたがまさに拓郎の拓郎たる所以なのです。
 序盤から“歓声”を聞きながら私はこの歓声のことを考えていました。この歓声はどこから生まれてきているのかと……。それは拓郎の歌は私たちにとって単なるヒット曲でもなければ、よくある青春時代に流れていたBGMでもないということです。では何か?というと、私たちひとりひとりの人生におけるテーマソングではないか、ということです。拓郎の歌は、少なくとも私にとっては、私の人生を決定づけた歌です。そうです。私は拓郎の歌によって〈人生〉が変わってしまったのです。その意味においては、拓郎の歌こそが私の人生のまさにテーマソングなのです。
 もう40数年も前のことになりますが、私と違って、拓郎はフォークを歌うという行為によって、何かをつかもうとしているようでした。少なくとも私にはそう思えたのです。そのとき、拓郎こそ、私にとっての人生の指針ではないかと思いました。拓郎との出会いで、私は拓郎のように行動を起こさなければならないと決心しました。私の“青春の風”が拓郎と共鳴して反応を起こし騒いだのです。それからすぐに大学を中退しました。二十歳のことでした。つまり、私は拓郎に刺激を受け、触発され、跳んだということです。しかしながら、思い通りにはいきませんでした。情熱に突き動かされるがまま、歌手、作詞家、イベンター(コンサートの主催者)にチャレンジしましたが、いずれも失敗してしまいました。それでも、私はあきらめませんでした。何かをしたい、という思いは消え去ることがなかったからです。
 そんなある日のこと、アルバイトの帰りに、私は下北沢駅前にある書店に入りました。何か面白い本はないものかと物色していると、フォークの神様“岡林信康”特集という活字が目に飛び込んできたので手に取ると、それはフォーク専門の音楽誌『新譜ジャーナル』でした。さっそく買い求め、近くの喫茶店で岡林特集を読んでいると無性に腹が立ってきました。なんだこの記事は、こんなことしか書けないのか。こんなのだったら、私の方がよっぽどましだ。そんな思いが沸き上がってきました。これでもプロか?そう吐き捨てると、私はその場で思いのたけを文字にしていました。書き上げた論文にメッセージを添えて、『新譜ジャーナル』編集長宛に郵送しました。結果的に、この投稿が私に幸運を呼び込むことになるのです。
 投稿して一週間ほど経った頃「会いたい」という連絡が来ました。指定された日に編集部を訪ねると、T編集長から「音楽評論家としてやってみないか。やってみる気があるのだったら全面的にバック・アップする」という申し出がありました。チャンスだ、と思った。「ぜひやらせて下さい」――この一言で私の人生は決まったのです
 拓郎の歌によって私の人生が変わってしまったのです。これは私の個人的〈拓郎経験〉ですが、拓郎ファンにはひとりずつにこのような〈拓郎経験〉があるのです。だからこそ、拓郎の歌は単なるヒット曲ではなく、それぞれにとっては〈人生を変えた歌〉であり、つまるところ、自分の人生における〈テーマソング〉なのです。そんなそれぞれの熱い想いが凝縮されて爆発したのが拓郎に対する〈歓声〉なのであり、この熱い〈歓声〉があるかぎり吉田拓郎は不滅なのです。
 コンサートはMCを入れながら進んだがいい感じで聴くことができました。1曲目の「春だったね」から本編ラスト曲の「流星」まで18曲、そしてアンコールは「ある雨の日の情景」「WOO BABY」「悲しいのは」「人生を語らず」の4曲。どの曲を取っても思い入れは深く、また、じっくりと聴けたので充足感に満ちていました。それと特筆すべきはこの他にまさに〈スペシャル・ライブ〉があったということです。9曲目「ジャスト・ア・RONIN」10曲目「いつでも」を歌い終わった後、拓郎はボブ・ディランの話をしてからなんと「風に吹かれて」をギターの弾き語りで歌ったのです。ディランがノーベル文学賞を受賞して拓郎が何と言うのか?固唾を飲んで見守っているタイムリーな時期に遭遇できるとはラッキー以外の何物でもありません。受賞に関しては直接語ることはありませんでしたが、「風に吹かれて」をフルコーラスで歌ったことにディランに対する拓郎のリスペクトを感じないではいられませんでした。

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2017/02/11

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田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 「吉田拓郎・LIVE2016」

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩 「吉田拓郎・LIVE2016」 

連日同じ話題(笑)。でも、そういう収録をしてるんだから、自然とそうなりますよね。昨日も書きましたけど、「LEGEND FORUM」の拓郎さん特集の最終週のゲスト、武部聡志さん。密度の濃いインタビューになりました。

バンドリーダーでアレンジャーですからね。プロデユーサーは拓郎さんですけど、個々の曲に関しては、武部さんの力が大と言って良いでしょう。リハーサルが始まる前に、武部さんとギターの鳥山雄司さんと拓郎さんと3人でミーテイングを行った、と言ってました。
先日、8日にDVD「LIVE2016」が発売になりました。それもあっての特集ですね。拓郎さんが珍しくブログでDVDのことを「いい」と書いてましたけど、ほんとにそうなんですよ。ブルーレイの映像がきれいとか、そういうことだけじゃないですね。
演奏が良かった。歌の呼吸。歌と演奏が解けあってうねっている感じ。まさにバンドなんですね。特にドラムとベースと歌の間が実に気持ち良いんです。ゆったりと大きいんだけどロックしている。年輪というんでしょうか。メンバーとの阿吽の息があっている。
演奏が歌を支えているのが分かるんですね。それもバックバンド的な形じゃない。呼応している。有機的というんでしょうか。それぞれが単独では絶対に生まれないようなアンサンブルで流れている。流れているんだけど、土台は揺るがない。そういうこなれたバンドサウンドは、今までなかったでしょう。

70才の到達点と言って良いんじゃないでしょうか。武部さんは、日曜日が還暦の誕生日、こちらも円熟の境地という感じでした。彼が「ラブラブあいしてる」で拓郎さんと出会ったのが40になる直前と言ってましたね。70才と60才ならではのライブでしょう。
というような形に至るまでとか、その内実を話してくれました。そうだったんですか、というのもいくつもありましたよ。拓郎さんがこだわった曲順と武部さんが希望して生まれた曲順とかね。最初はこうだったんですよ、というような話もずいぶんでました。
放送前ですからね、あんまり明かせない(笑)。オンエアは、2月27日です。四週目なんですが、収録は少し早かった。三週目は加藤いづみさん。初めて拓郎組に入った感想なども含めて聞きます。それは月曜日の収録ですね。

これもすでに書きましたけど、特典にCDがついてるんですね。DVDと同じ内容のライブアルバム。この音が良いんです。特典につけるのが勿体ないくらい。単体のライブアルバムとして完成してます。拓郎さんがミックスとかも全部立ち会って音を作ったそうです。
で、その後、武部さんの番組「ザ・セッション」にもお邪魔しました。今のJ-POPについて語り合ったりしました。ミュージシャンでもない人間が、そんな風に番組に呼ばれて話をするというのは、光栄なことでもありました。
だって、僕は、聞いているだけですからね。何の責任もない。作る人と同じ次元には立てません。コンピレーションアルバム「大人のJ-POPカレンダー」の何が一番楽しかったかというと、聞き手でありながら、アルバムの作り手になれたことでしょうね。
曲順とかね。一曲間をどうしようとか、番組ではやってますけど、それがCDになるわけですからね。アーテイストがアルバムを作る時の気分というのを初めて味わえた気がしました。密かな楽しみというのを色々仕掛けてあります。

ということで、最初の山を越えた気がしました。曲ですね。「LIVE2016」で一番驚いたアレンジでした。まさにバンド。手練れの余裕と一体感。「旅の宿」を。これをやろうとしたのは拓郎さんでしょうか、武部さんでしょうか。答えは番組の中で(笑)。じゃ、お休みなさい。

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2017/02/09

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TYISマガジン08 とうちゃこ sunfujishine

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2017/02/08

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HIKE OUT STAFF VOICE ・急ぎマガジン発送!!

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LIVE2016 DVD,Blu-ray&CDが、すでにお手元に届いて、

温かいお部屋でゆっくり、至福のひと時を過ごされていることと存じます。続きまして、「TYISマガジン08」の発送開始のお知らせです。

マガジン発送準備を行っている地域では、今夜から雪の予報とのこと。そこで、急いで、作業

を早めて頂けることになり、本日先ほど発送いたしました。

TYIS会員みなさまへ、明日9日(木)より普通郵便にてお届けいたします。

今週末は寒空でしょうか、無事にお届けができますように!!

どうぞポストのご確認をお願いいたします。

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「吉田拓郎LIVE 2016」発売記念ギター展示決定!

「吉田拓郎LIVE 2016」発売記念ギター展示決定!

山野楽器提供

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2月8日発売、LIVE DVD&Blu-ray「吉田拓郎 LIVE 2016」の発売を記念して、実際にライブ

で使用されたギターを下記2店舗にて展示いたします。

是非、この機会にご来店ください。

■山野楽器 銀座本店
・展示ギター:フェンダーテレキャスター/特注オリジナルモデル
・展示期間:2月7日(火)~2月13日(月) 予定

■タワーレコード梅田大阪マルビル店
・展示ギター:フェンダーテレキャスター/シンライン(お気に入りの)
・展示期間:2月7日(火)~2月13日(月) 予定

※展示期間は店舗の都合により、変更になる場合がございます。ご了承ください

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