2019/12/07

吉田拓郎のオールナイトニツポンGOLD番宣

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特別番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」は、

12月13日(金)22時00分~24時00分までニッポン放送をキーステーションに全国ネットの放送でオンエア

 

 

 

 

 

 

 

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2019/12/04

J-POPの歴史「1980年と1981年、劇的だった80年代の幕開け」

J-POPの歴史「1980年と1981年、劇的だった80年代の幕開け」

 

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音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組「J-POP LEGEND FORUM」。
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出している「J-POP LEGEND FORUM」。2019年12月は「80年代ノート」というテーマで、1980年から89年までの10年間を毎週2年ごと語っていく。Rolling Stone Japanでは、様々な音楽が生まれていった80年代に何があったのかを語った本番組を記事にまとめて5週にわたりお届けする。第1回目となる今回は、1980年と1981年について深く語った重要回。

オフコース / 生まれ来る子供たちのために

こんばんは。「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、オフコース「生まれ来る子供たちのために」。1980年3月5日発売のオフコース80年代最初のシングルで、令和元年師走の僕らの心境です。

「J-POP LEGEND FORUM」、J-POPの歴史の中のさまざまな伝説を紐解いていこうという60分です。伝説のアーティスト、伝説のアルバム、伝説のライブ、そして伝説のムーブメント。ひとつのテーマ、1人のアーティストを、1ヵ月に渡って取り上げようという、最近のラジオの中では贅沢な時間の使い方をしております。当時をご存知の方には懐かしく、ご存知ない方たちには発見に満ちている、そんな時間、そんな場所になればと思っております。今月の特集は「80年代ノート」と題してお送りします。1980年から89年までの10年間。毎週、2年ごと、語ろうと思っています。

2年前の2017年の10月に「70年代ノート」という特集をお送りしたのですが、何の曲で終わったのか自分でも忘れていたので改めて調べてみたら、79年12月発売のオフコース「さよなら」で終わっていたんです。80年代最初のオフコースのシングルが、この「生まれ来る子供たちのために」でした。レコード会社は「さよなら」の後なんだから、こんな暗い歌を出さないでくれって言ったんですね。「さよなら」みたいな、みんなが泣けるバラードを作ってくれと強行に申し入れをしました。しかし小田さんが「絶対これでいく」ということで、こちらを80年代最初のシングルにしたんです。下世話に言うと、70年代は下積み期間のような日の当たらない時間が長かった。で、「さよなら」で大ブレイクした後の曲をこれにした。僕らはこういう歴史を辿りたいんだ、という音楽の願いみたいなものをこめたシングルでした。

60年代、70年代、そして80年代。いろんな10年間のタームがあるんですけど、それぞれの10年間が始まって、そして終わっていく。そうした中で、もっとも劇的だったのが、この80年代の幕開けだったのではないかと思うんですね。ロックもフォークも、いろんな新しい音楽が70年代悪戦苦闘し、なかなか市民権を得られなかった。それを少しずつ得ながら80年代になったわけです。いろんな人たちが次に行くんだと走り出した。来年は2020年で、1980年から考えると40年ですよ。80年代にデビューした人たちが続々と40周年を迎える年になってきた。それもあって、改めて80年代を辿り返してみよう。そんな企画です。J-POPが一斉に花を開いた10年です。

80年代を切り開いた人たちには2つのタイプの人たちがいました。1つはオフコースのように、70年代にデビューしたけど、なかなか思うような結果を手にできなかった人たち。もう1つは、80年代の幕開けとともに颯爽と登場した人たちですね。次の人も70年に試行錯誤を重ねていた人です。売れるためにはどうしたらいいのか? みんなで真剣に考えざるを得なかった。でも、80年の始めにはそんな悩みも逡巡も吹き飛ばしてくれました。誰もが新しい疾走を開始した1980年夏。はじめてのロサンゼルスで作りあげたアルバムです。浜田省吾さん、1980年10月発売のアルバム『Home Bound』1曲目「終わりなき疾走」。

浜田省吾 / 終わりなき疾走

去年12月は「さよなら平成、忘年会特集」ということでお送りしたんですが、今年12月の1人しゃべりゲストなしシリーズは、「あなたと僕の忘年会」と決めています。そういう企画だと思ってお楽しみいただけたらと思います。

「ヒットチャートのナンバー1幻想はもう捨てた。ロックには金で買えないものがあるんだ」。これが80年代を迎えるときの彼の心境だったんでしょう。浜田省吾さんは今年の秋、ファンクラブツアーをやっておりまして、「Welcome back to The 80s」というテーマなんですね。80年代のアルバムだけでやりますっていう。去年は70年代のアルバムだけでやったんですけど、今年は80年代、しかも前半の3枚のアルバムだけで今ツアーをやっています。いいツアーですよ。本当に楽しめます。もちろんこの曲はやるでしょうね。やらないわけがないという1曲でした。

RCサクセション / 雨あがりの夜空に

80年1月の発売。これはシングルver.ですね。RCサクセションのデビューは1970年です。「宝くじは買わない」からちょうど10年ですね。72年に出た3枚目のシングル『ぼくの好きな先生』が評判になったんですね。この後、事務所の移籍問題に巻き込まれてしまい、レコードも出せない不遇な70年代を過ごしました。70年代の終わりにCHABOさんが入って新しいロックバンドの形になり、フォークブルースの形からロックバンドになって、70年代の終わりを迎えた。79年の大晦日、「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に出ましたね。髪の毛をツンツンに立ててステージに飛び出してきたとき、「え、RC、こうなったんだ」って思ったりしました。「雨あがりの夜空に」の発売記念ライブというのがあったんです。渋谷のライブハウス・屋根裏の4日間。これは僕、行けていないんですけど、4月に久保講堂を3日間やったんです。それは見に行きました。カメラマンの井出情児がいましたね。「お前、ここにもいるの?」と、お互い顔を見合わせてニヤっとしたという余計なことを覚えていますけどね。で、この久保講堂がライブアルバム『RHAPSODY』になって発売になりました。目に見えて時代が変わり、いろんなことが動いていく。それが70年代の終わりから80年代でした。次もそういう1人なんです。それまでなかなかツアーもできなかった状態だったけれど、この曲で、世の中に颯爽と高らかに登場した。そんな曲です。山下達郎さん。1980年3月発売。「RIDE ON TIME」。

オフコース、浜田省吾さん、RCサクセション、山下達郎さんと、いい4連発でしょ? 自分で悦に入って、好きな曲を並べているだけなんですが、70年代、達郎さんは本当に思うような結果が出なかったんです。シュガーベイブの後、ソロになってデビューアルバムをニューヨークで全部作ろうと思ったんだけどお金がなかったり、苦い想いをしながら活動していった。大阪のディスコで「BOMBER」で火がついて、彼も次が見えたという状態だったんですね。RCサクセションとオフコースはレコード会社も一緒でした。シュガーベイブと、浜田省吾さんがいたバンド・愛奴はデビューが同じ年なんですよ。ソロになったのも同じ年ですね。そして79年にようやくツアーができるようになった。同じような段階を踏んでいますね。達郎さんはこの曲がマクセル・カセット・テープのCMソングに大抜擢されて、高らかな始まり方で80年代を迎えたわけです。

これも80年2月にでました。シャネルズの「ランナウェイ」。

作詞・湯川れい子さん、作曲・井上大輔さん(元・井上忠夫さん)。この頃、みんなでよく飲みにいって、スナックでカラオケもやったんですよ。この曲もよく歌ったなあっていう記憶があります。靴墨を顔に塗っていた日本音楽史上初の黒人、マーチンさん(=鈴木雅之)がよくステージで言っていることです。アマチュア時代から、鈴木雅之さんは達郎さんと知り合いだったんですね。セコハン・レコード屋さんというのがあるでしょ? そこに手袋をして早くLPをめくっていく人がいるんです。1枚ずつタイトルとアーティストを調べて、気に入ったものをすぐに引き抜くんですね。あいついつもいるな、っていうのが達郎さんと鈴木雅之さんで、お互い顔見知りだったという関係ですね。しかも、2人は大瀧詠一ファミリーです。鈴木雅之さんは、オフコースのファンだったんです。まだメンバーがたくさんいたときのオフコースの70年代のデビュー曲「群衆の中で」をテレビで歌っているのを見て、すぐにレコード屋さんに買っている。実はガロとか、ものすごく詳しいんです。そういう面を見せるようになったのも、この数年でしょうね。シャネルズの登場で、マイナーな極地だったドゥー=ワップが茶の間に広がりました。達郎さんの中野サンプラザを観に行ったとき、ステージから「シャネルズいるか?」って言ったのがデビューした直後か前の年かな。そういう交友関係ということになりますね。続いては、80年3月発売、佐野元春さん「アンジェリーナ」。

佐野元春 / アンジェリーナ

先ほどまでは、70年代に不遇だった人たちが登場しました。そういう人たちの終わりなき疾走が始まったのが80年。シャネルズと佐野さんは80年がデビューです。つまり来年がデビュー40周年ですよ。今年11月に佐野さんの『或る秋の日』っていうアルバムが出たんですね。これが、しみじみとしたいいアルバムなんです。40周年を前にしたブレイクのようなアルバムでした。ライブを観に言ったら元気だったんですよ。お客さんもスタンディングで立たせていましたね(笑)。
佐野さんは80年のデビューなんですが、決して順風満帆だったわけではありませんでした。高校のときから音楽活動をしていて、大学では「EastWest」などコンテストにも出場していたんですけどデビューできなかったんですね。その後、ラジオ局のディレクターをやり、アメリカの取材に行ったとき、サンフランシスコの空港で知り合いのミュージシャンが旅支度をしていて、「どこ行くの?」って訊いたときに、そのミュージシャンが「東海岸でやり直すんだ」と行って旅立っていった。その「やり直す」と言う言葉に刺激されて、ラジオ局のディレクターをやめてプロのミュージシャンになるんだということでデモ曲を作って、EPIC・ソニーのプロデューサー小坂洋二さんの目に止まってデビューすることになるんです。デビューするときのインタビューの発言が格好よかったですね。「胸が張り裂けそうだったから」。こういうデビューでありました。1981年、ナイアガラ・トライアングル。佐野元春さん、杉真理さん、大瀧詠一さん。こういう人たちが世代を超えた新しいポップスの担い手として、世の中に出ていくわけですね。

1980年の年間チャート1位を御記憶でしょうか? もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」だったんです。もんたよしのりさんも、70年代に思うような活動ができなくて、関東から関西に拠点を移したりする中で、これが爆発的に売れた。そういう幕開けでもありました。1980年12月はジョン・レノンが亡くなったということもありました。殺害されました。80年という年号がいろんな意味の歴史の区切りになった。そんな年末でありました。1980年3月に発売されたのがこのアルバムです。大瀧詠一さん『ロングバケーション』。1曲目「君は天然色」。70年代の不遇比べというんですかね。誰が1番恵まれなかったかコンテストをやるとすれば、どんな人たちが出てくるでしょうね。RCは当然入ってきます。達郎さんもかなり上位にランクインするでしょう。でも1、2を争うのは、大瀧詠一さんではないでしょうか。はっぴいえんどが解散したのが1973年で、そのあと自分のレーベル・ナイアガラというのを作りました。なかなかナイアガラをレコード会社が引き受けてくれなかったんですね。なんでかっていうと、サイダーのコマーシャルというのがありまして、大瀧さんはそれをレコードにしたかった。はっぴいえんどは、ああいうバンドメンバーの完成形、それぞれの個性がぶつかり合うバンドの緊張感のある作品でしたし、松本隆さんという作詞家の世界が色濃かった。大瀧さんは、もっとカラっとした遊びのようなアルバムを自分の世界で作りたかった。CMソングというのはその中に入っていたんですね。そういう音楽をやりたいと、いろいろなレコード会社に持っていったんだけど、唯一引き受けてくれたのが、フォークのレーベルだけはやめてくれと大瀧さんが言っていた、エレックレコードだった。しかしエレックがすぐに倒産してしまって、コロムビアレコードがナイアガラを引き受けるんです。だけど、3年間で12枚のアルバムを作るという、とんでもない契約に縛られてしまったんですね。大瀧さんはコロムビアに身売りするときに、レコーディングのコンソールを1番新しいものに変えるということで頭がいっぱいで、やろうと言ったものの3年間で12枚というのがものすごく過酷な縛りになってしまい、その間、ナイアガラ以外の仕事をできなかった。唯一CMソングをやりながら、それを経営の助けにしていた10年間だったんですね。コロムビアとの契約があけて、さあ自由の身になったというときに作ったのが『ロングバケーション』だった。そういう始まり方でありました。

81年というのは、松本隆さんが作詞した曲がチャートを一色に塗りつぶすという年でありました。次の曲は81年1月に出たシングルです。南佳孝さん「スローなブギにしてくれ」。

南佳孝 / スローなブギにしてくれ

冒頭の「want you」というのは、佳孝さんのデモテープに入っていたんだよって松本さんがおっしゃっていました。片岡義男さん原作の「スローなブギにしてくれ」映画化の主題歌でありました。松本隆さんははっぴいえんどを解散した後にプロデューサーになるんですね。その最初の仕事が南佳孝さんの「摩天楼のヒロイン」だった。発売日が73年のはっぴいえんどの解散コンサートと同じ日だったんですね。はっぴいえんどの解散コンサートは、それぞれのメンバーが次になにをするかというお披露目のライブでもあったんです。大瀧さんのところには伊藤銀次さんのココナツ・バンクとか、シュガーベイブも登場している。松本隆さんのところでは佳孝さんが「摩天楼のヒロイン」を歌うというステージの構成になっていたんですね。松本さんは『摩天楼のヒロイン』のプロデュースもして、さらに作詞もした。このアルバムは今でもシティ・ミュージックの走りということで半ば伝説化――なかなかこの言葉は使いたくないんですが、いろいろな形で語られるようになっているわけで、歴史的な1枚になりましたが、当時はまったく売れなかったんですね。70年代当時は、そういうのが多いんですよ。『摩天楼のヒロイン』はレコード会社がショーボート・レーベルというところで、はっぴいえんどの事務所・風都市がトリオ・レコードと組んで新しい音楽を作ろうよと始めたレーベルなんです。当然のごとくお金がなかったり、レーベルもあまりうまくいかなくて。佳孝さんも『摩天楼のヒロイン』の後はしばらくレコードを出さない。で、76年に『忘れられた夏』というアルバムでCBSソニーから再デビューしたんですね。『忘れられた夏』は松本さんが関わってなくて、79年に出した4thアルバム『SPEAK LOW』で再開するんです。それぞれ70年代に1回いろんなことをやったんだけど思うような結果が出なくて、挫折したり低迷したり試行錯誤していて、それぞれの道を探しながら70年代後半を生きてきて再び出会えるようになった。それが80年の幕開けという時代ですね。この「スローなブギにしてくれ」はチャートは1位にならず、6位だった。これは映画と主題歌のイメージが全然違ったからで。ディレクターの高久(光雄)さんが言っていましたけど、映画が公開されたと同時にレコードの売れ行きが止まったそうで。映画は新宿の飲み屋さんの話ですからね。

松本隆さんは80年の12月に近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」を出しています。これが80年の年末のシングルチャートの1位、そして81年第1週の1位。つまり、80年の終わりから81年は松本隆旋風が吹き荒れた中で始まった。そんな松本隆旋風を決定づけたのがこの曲ですね。81年2月発売、寺尾聰さん「ルビーの指輪」。

寺尾聰 / ルビーの指輪

作詞・松本隆、作曲・寺尾聰。寺尾聰さんはザ・サベージ、グループ・サウンズのメンバーでした。松本さんはサベージをテレビで見て格好いいなと思っていて、寺尾さんがソロになって再び出会うことになった。そこで、はっぴいえんどをやろうと思ったと自分でも話していますね。最初の一行「くもり硝子の向うは風の街」って部分が、はっぴいえんどですね。ここだけかもしれませんが。これが年間チャートの1位ですよ。70年代の終わりに始まった、ザ・ベストテンのランキング12週間連続1位。3ヶ月間1位だったんです。今では想像できないロングヒットですね。大昔の話をしてしまうと、1950年代にジェームズ・ディーン主演の映画「エデンの東」の主題歌が、「ユア・ヒットパレード」という映画音楽がたくさん流れているラジオのランキング番組で2年間1位だったんですね。2年間が終わった後に、ずっと1位だったという永久保存みたいな形で特別待遇になった覚えがありますね。日本のポップスで12週間連続1位というのはなかなか思い当たりませんね。チャートは1年間で52週あるんですけど、1981年の年間チャートのうち、松本隆さんの書いた曲が28週間1位だった。1年の半分以上、松本隆さんの書いた曲が占めていたという年だったんですね。この28週間1位を占めた曲の中の4曲目が、80年にデビューした松田聖子さんの「白いパラソル」ですね。この話は来週になるんですけど。松本隆さんは「スニーカーぶる~す」と「ルビーの指輪」ですよ。「スニーカーぶるーす」はスニーカーですから、少年性です。「ルビーの指輪」はトレンチコートですから、大人のハードボイルドですね。ちゃんと年代別に歌を書き分けていた。これも作詞家としての度量、力量、スケールを感じさせる。

1981年。忘れてはいけないのは、パンクロックの本格的な上陸です。イギリスでは76年、77年にセックス・ピストルズが口火を切ってパンクロックが始まり、日本にちょっと遅れて入ってきた。80年にデビューしたのがアナーキーですよ。国鉄の労働者の人たちが来ているナッパ服を着て、腕に赤い腕章を巻いて、「俺たちはワークソングなんだ」「労働者ロックなんだ」という旗を掲げていました。78年にARBがデビューして、その後にザ・ロッカーズ、ルースターズ、そして大トリとして九州からTHE MODSが登場するわけですね。今日最後の曲、81年6月発売のTHE MODSのデビューアルバム『FIGHT OR FLIGHT』から「TWO PUNKS」。

THE MODS / TWO PUNKS

博多の親不孝通りにある80s FACTORYというライブハウスからTHE MODSも出てきたんですね。そして、81年にBOOWYが結成されました。RCサクセションの80年の日比谷野外音楽堂を氷室(京介)さんが観るんですね。東京に来てうまくいかなくて群馬に帰ろうかなと思っていていたときに、RCのライブを見てもう1回バンドをやるんだと布袋(寅泰)さんに電話をした。そこから始まっているわけですね。1981年にスターダストレビューもデビューしました。佐野さんとか、BOOWYとか、スタレビとかアナーキーとか、みんな「EastWest」というコンテストから出てきたんですね。忘れられないのが、81年、甲斐バンドの花園ラグビー場での野外ライブ。これはおもしろかったですね。1曲目が「破れたハートを売り物に」という曲で、客席の芝生の上に座布団が置いてあったんですよ。ライブがはじまった瞬間、1万5000人のお客さんが全員座布団を投げたんですよ。国技館の相撲の優勝のシーンみたいですよ。花園ラグビー場の夜空に座布団が舞って、最前列の人はステージに向かって投げますから、コンサートが中断しちゃったんです。で、甲斐さんが「オルタモントにはしたくないんだ」って言って、かっこうよかったな(笑)。1回中断して始まったということもありましたね。81年、アリスが活動休止して、後楽園球場でバンドとソロのライブも行いました。矢沢永吉さんがアメリカに行ったのもこの年ですね。70年代が終わって 80年代が本格化した。そんな年でした。

この番組のエンディングテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」。まりやさんは78年のデビューで、70年代終わりの女性シンガーソングライターからアイドルに流れが変わっていく波に巻き込まれてしまった。81年に活動を休止して、82年に達郎さんと結婚するんですね。本当に端境期だったと思います。私が1番忘れられないのは、81年4月の「ニューヨーク24時間漂流コンサート」。小室等さん、吉田拓郎さん、井上陽水さん。この3人でマンハッタンを24時間ストリートコンサートをしてまわる、漂流するんだという企画です。自慢話になってしまうんですけど、これ、企画構成は僕なんですね。TBSが30周年で「何か企画書を出さない?」と言われたとき、ニューヨークに行きたいなと思い、このメンツでニューヨークに行くのはあり得ないと思って企画書を書いたら通ってしまった。これが1980年代最大の思い出かもしれませんね。ガーディズ・フォークシティというボブ・ディランが歌っていたライブハウスがあって、そこに行ったらオデッタがいて、小室さんがフォークシティのステージでオデッタと「WE SHALL OVER COME」を号泣しながら歌った。そんなシーンもありました。明け方5時に、スタテンアイランド、自由の女神に向かって船に乗ったんですね。勝手に思い出しておりますが、あなたの80年代の思い出、いかがだったでしょう? あなたと私の80年代忘年会特集ということでお送りしています。来週は82年と83年の思い出の扉を開きましょう。

Edited by StoryWriter

<INFORMATION>

「J-POP LEGEND FORUM」 月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。

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ニューヨーク24時間漂流コンサート・笑福亭鶴瓶日曜日のそれ

 

ニューヨーク24時間漂流コンサート Ⅰ

 

ニューヨーク24時間漂流コンサートⅡ

 

ニューヨーク24時間漂流コンサートⅢ

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2019/11/30

153-0051 ・ ちょっとラジオ

153-0051 ・ ちょっとラジオ

 

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2019/11/29

特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』12月13日(金)22時00分~24時00分

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特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』12月13日(金)22時00分~24時00分

「ラジオは僕にとっては1曲の歌である」吉田拓郎、6年ぶりにオールナイトニッポン特番が決定

昭和・平成・令和……
深夜放送のレジェンドが令和初のANNに登場!
特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』
12月13日(金)22 時~24 時 全国ネット

1970年のレコードデビュー以来、精力的な活動を続ける吉田拓郎。令和元年の 2019 年もツアー「吉田拓郎コンサート2019-Live 73 years-」を全国7都市7公演で開催するなど、大充実の1年となった。そんな吉田拓郎が2019 年を総括する一夜限りのオールナイトニッポンを担当することが決定した。
吉田拓郎とオールナイトニッポンの関係は深く、デビュー後の1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代とそれぞれの年代でオールナイトニッポン名義の冠番組でレギュラーを担当してきており、53年続くオールナイトニッポンの歴史の中でも唯一無二の存在となっている。

そんな吉田が、2013年9月にレギュラー放送が終了した『坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』以来6年ぶりとなる“オールナイトニッポン”名義でのラジオ特番を担当、12月13日(金)22時~24時に「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」として放送される。

2019年の自身の1年を総括するほか、「吉田拓郎が生涯最もシビれたアーティストは?」「吉田拓郎が解き明かすギター・コード進行の秘密」など音楽の話題満載でお届けする予定となっている。スタジオには愛用のギターも持ち込まれる予定で、吉田拓郎によるギター演奏も披露されるかもしれない。
本人コメント
「ラジオは僕にとっては1曲の歌である。イントロがありメロディーに入り、サビがあって、メロディーに戻り アウトロを演奏してステージから消える。今まさに僕はラジオでアウトロを演奏している。ステージから消えるのはこれが終わってからだね」 2019・11・29 拓郎

番組では、吉田拓郎への質問・メッセージ・伝えたいことを下記の宛先で募集中。
★メール:ty@allnightnippon.com
★はがき:〒100-8439 ニッポン放送「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」係
■番組タイトル:特別番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』
■放送日時:12月13日(金)22時00分~24時00分
※ニッポン放送をキーステーションに全国ネット
■パーソナリティ:吉田拓郎
■番組メールアドレス:ty@allnightnippon.com
■番組ハッシュタグ:#吉田拓郎ANN

 

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2019/11/23

153-0051・アナログ

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2019/11/14

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第1話

2019/05/31 公開

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第2話

2019/06/07 公開

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第3話

2019/06/14 公開

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第4話

2019/06/22 公開

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第5話

今回はゲストに元ユイ音楽工房の渋谷高行さんをお招きして日本での野外フェスの元祖とも言える「つま恋オールナイトコンサート」のエピソードなどお話を伺います。

6/28 公開

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第6話

ゲスト 元ユイ音楽工房の渋谷高行

7/6公開

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第7話

伝説のつま恋 3  7/13公開

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第8話

7/19 に公開元ユイ音楽工房の渋谷高行さん

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第9話

今回からのゲストは元ユイ音楽工房の川口勇吉さん。
伝説の野外フェス「つま恋オールナイトコンサート」の現場で制作に携わった話を伺います。

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第10話

8/2 今回のゲストも元ユイ音楽工房の川口勇吉さん。
伝説の野外フェス「つま恋オールナイトコンサート」の最終回をお送りします。

 

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第12話

2019/08/24公開
今週からお送りするのは 「 泉谷 しげる 「 寒い国から来た手紙 」 。 ゲストは 、 ディレクションとマネージメントを手掛けあの広島フォーク村初代村長でもある元エレックレコード伊藤明夫さん

 

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第13話

2019/08/31公開
引き続き泉谷しげるさんのお話し。
ゲスト:ディレクションとマネージメントを 手掛けた元 エレックレコード伊藤明夫さん
ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第13話

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第14話
2019/09/07公開
今週は番外編 。 あの伝説の「 広島フォーク 村 」のお話し 。 初代村長の元エレックレコード伊藤明夫さんから伺います。

 

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第15話
『吉田拓郎Part 1 となりの町のお嬢さん』
ゲスト : 常富喜雄

 

~ペニーレインで雑談を~ 第16話
2019/09/21公開
前回に続き、猫 · 常富喜雄氏登場 。 どのよう にアルバムの制作は進行したのか、お話を伺います。

ザ・フォーライフヒストリアル
~ペニーレインで雑談を~ 第17話
今週から初代社長、小室等さんのフォーライフでの最初のリリースから小室等Part1
「 愛よこんにちは 」と題し 、六文銭のおケイさんこと、四角佳子さんから伺います。


ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第18話

2019/10/04 に公開
前回に引き続き、ゲストは六文銭のおケイさん。
小室等Part2「明日」と題し、小室等さんの当時のお話とその人となりをお伺いします。

 

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第19話‬

フォーライフ4人の最初のリリースの最後は 井上陽水 。 今回は少し視点を変えて創立時の新入社員 、元フォーライフ、中村辰彦さんをお招きし、新入社員の視点からの当時の日常を伺います。‬


 

ザ・フォーライフヒストリア
~ペニーレインで雑談を~ 第20話
10/25 に公開
今週もゲストに元フォーライフ中村 辰彦さんをお招き 。 「 めだかの兄弟 」 「 ハイスクールララバイ」 など 、大ヒット曲を手掛けた制作マンから当時の井上陽水さんの様子を 伺います。

 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第21話

 

2019/11/01に公開今週からお送りするのは「5人目のフォーライフ」川村ゆうこさん。吉田拓郎がオーディションから見出し、プロデュースした彼女の話を当時の宣伝課長、元フォーライフ社員の北村亘さんから伺います。

 


 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第22話
今週のテーマも「5人目のフォーライフ」川村ゆうこさん。吉田拓郎がプロデュースを手掛け、あの名曲「風になりたい」を生み出した彼女。当時の宣伝課長、元フォーライフの北村亘さんから伺います‬


 

ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第23話

今週はいよいよ吉田拓郎プロデュース、衝撃的なデビューを飾った原田真二。デビュー当時の担当ディレクターの池田雅彦さんをお招きします。


ザ・フォーライフヒストリアル~ペニーレインで雑談を~ 第24話

稀代のメロディー・メーカー原田真二のデビュー当時の素顔。今週も当時の担当ディレクターの池田雅彦さんから伺います。

 

 

 

 

 

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堀越のり、7年間の活動休止の真相は“がん闘病”だった

堀越のり、7年間の活動休止の真相は“がん闘病”だった

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タレントの堀越のり(37歳)が、11月7日に放送されたバラエティ番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」(テレビ東京系)に出演。約7年間の活動休止理由が、がん闘病のためだったことを告白した。
ホリプロの“優香の妹分”としてデビューし、「愛のエプロン」など多くの人気バラエティ番組で活躍した堀越。2011年、29歳のときに歯科医師と結婚し、その後、ホリプロも離れて芸能活動を休止、いまも表舞台からは遠ざかっている。
突然の休業だったことから、休業理由について当時「夫を支えるため」「家庭に入るため」などの憶測も呼んだが、本当の理由は「病気が発覚したため」。堀越は「婦人科に行って、子宮頸がん検診を受けてみたら陽性で引っかかってしまって。がんってステージ分類があるけど、私が発覚したのはステージに入る直前のクラスというゾーンで、早期発見ではあるけども、何らかの治療を急がなければいけない」と、休業に入った当時の状況を振り返った。
そして「当初、進行スピードとかを考えると、焦って家族にしかお話が出来なかった」と語り、「事務所の人には一切言わずに」辞めたと告白。それは「いつ完治するかもわからないからご迷惑をかける」「進行したら嫌だから、早く家族との時間を取りたい」との思いからだった。
現在はほぼ寛解の状態となり、今後は芸能活動を再開する意向だという堀越。約7年を経て病気を公表したことで、同じ病気で悩んでいる人に、手助けとなるような情報を伝えられたらと思いを語った。

 

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音楽プロデューサー・瀬尾一三が手掛けた作品集第3弾が発売!中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明らの名曲収録

音楽プロデューサー・瀬尾一三が手掛けた作品集第3弾が発売!中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明らの名曲収録

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中島みゆき、吉田拓郎、徳永英明などの音楽プロデューサー・瀬尾一三がアレンジを手がけた曲をまとめた作品集『時代を創った名曲たち3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』が、2020年1月8日(水)に発売することが発表された。
2017年の第1弾は10,000枚を超え、コンピレーションアルバムとしては異例のヒットを記録。そこから早くも3作目の発売となる。
シリーズ第3弾となる今作には、1970年代、誰もが口ずさんだ名曲「なごり雪」(かぐや姫)、1980年代を象徴するアイドル・松田聖子主演映画「野菊の墓」主題歌「花一色~野菊のささやき」(松田)、1980年代後半、ドラマ、映画で人気を博した「とんぼ」(長渕剛)、1990年代、社会現象となったゲームブームの主役「ドラゴンクエスト」のアニメ主題歌「夢を信じて」(徳永)、視聴率競争がし烈を極めたトレンディードラマの主題歌「浅い眠り」(中島)などを収録。どれも、プロデューサー・瀬尾の魔法(アレンジ)がかかった名曲たちである。
これらに加え、長くプロデューサーを担当する中島の楽曲として、瀬尾が初めて中島と出会い、アレンジを担当した「涙-Made in tears-」も収録。
また、同月には瀬尾の50年の音楽活動をアーカイブする書籍も発売予定している。本書は、4人の有名音楽プロデューサーとの対談を軸に、現役の音楽プロデューサーとして、ヒットを生み出す秘密や人物象を赤裸々に告白した内容となっている。さらに、大物アーティストからの寄稿もある。
『時代を創った名曲たち3~瀬尾一三作品集 SUPER digest~』
01.私の家/六文銭(1972年)
02.各駅停車/猫(1974年)
03.なごり雪/かぐや姫(1974年)
04.虹のひと部屋/石川セリ(1976年)
05.じゃじゃ馬娘/大貫妙子(1978年)
06.ひとり咲き/CHAGE and ASKA(1979年)
07.花一色~野菊のささやき/松田聖子(1981年)
08.ゆりこ/稲葉喜美子(1983年)
09.なぜ?の嵐/吉沢秋絵 with おニャン子クラブ(1985年)
10.ジャスト・ア・RONIN/吉田拓郎・加藤和彦(1985年)
11.姫様ズーム・イン/森川美穂(1986年)
12.MY Mr. LONELY HEART/ASKA(1987年)
13.涙-Made in tears-/中島みゆき(1988年)
14.とんぼ/長渕剛(1988年)
15.Sweetest Lover/中山美穂(1988年)
16.夢を信じて/徳永英明(1990年)
17.浅い眠り/中島みゆき(1992年)

 

 

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2019/11/13

153-0051 ・ この冬は

153-0051 ・ この冬は

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2019/11/12

153-0051 広島への旅

153-0051 広島への旅

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2019/11/07

HIKE OUT・最新LIVE映像作品がオリコン週間ランキング3位、TOP10入り最年長記録を樹立!

最新LIVE映像作品がオリコン週間ランキング3位、TOP10入り最年長記録を樹立!

 

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2019/11/07
10月30日にリリースした、最新LIVE映像DVD/Blu-ray Disc『吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」』が、11月11日付オリコン週間総合音楽DVD・Blu-ray Discランキング3位を獲得しました!
これにより、オリコン週間DVD総合ランキング最年長TOP10入り最年長記録/オリコン週間Blu-ray Disc総合ランキング最年長TOP10入り最年長記録(73歳7か月)となります。
邦楽ソロアーティストとしての音楽作品(DVD・Blu-ray Disc)最年長歴代1位にもなり、更に、Special EP Disc「てぃ~たいむ」/ T& ぷらいべえつ with 2019T's BAND、収録曲「わたしの首領」は、USEN J-POPリクエストチャート(11月6日集計)で3週連続4位と好調が続いています!!
「吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA」スポット映像公開!

 

 

 

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吉田拓郎、最新ライブ映像作品でオリコン週間ランキングTOP10入り最年長記録を樹立

吉田拓郎、最新ライブ映像作品でオリコン週間ランキングTOP10入り最年長記録を樹立

 

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吉田拓郎が10月30日にリリースした最新ライブ映像DVD/Blu-ray Disc 『吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」』が、11月11日付オリコン週間総合音楽DVD・Blu-ray Discランキング3位を獲得した。

これにより吉田拓郎は、オリコン週間DVD総合ランキング最年長トップ10入り最年長記録/オリコン週間Blu-ray Disc総合ランキング最年長トップ10入り最年長記録(73歳7か月)を樹立したことになる。

邦楽ソロアーティストとしての音楽作品(DVD・Blu-ray Disc)最年長歴代1位にもなり、さらに同作に付属するSpecial EP Disc「てぃ~たいむ」収録曲「わたしの首領」は、USEN J-POPリクエストチャート(11月6日集計)で3週連続4位と好調が続いている。 

なお、『吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」』は、吉田拓郎待望の最新コンテンツを収録した作品で、令和元年の最新ツアー<吉田拓郎コンサート2019 -Live 73 years- >全20曲、名曲「やさしい悪魔」スタジオ・リハーサル映像やツアーの未公開ボーナス映像、スペシャルCD には新曲「運命のツイスト」などツアー後に新録された4曲が収録されている。

吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」』
2019年10月30日(水)発売

(1)DVD+CD ¥8,000(税抜)品番:PAVBD-92860/B 
(2)Blu-ray Disc+CD ¥8,000(税抜)品番:AVXD-92861/B

収録内容:
[DVD/Blu-ray Disc]
吉田拓郎コンサート2019 -Live 73 years-
・ライブ本編
01.大いなる
02.今日までそして明日から
03.わたし足音 2019
04.人間の「い」
05.早送りのビデオ
06.やせっぽちのブルース
07.ともだち
08.あなたを送る日
09.I'M IN LOVE
10.流星
11.そうしなさい
12.恋の歌
13.アゲイン
14.運命のツイスト
15.純 ~王様達のハイキング (メンバー紹介) ~
16.ガンバラナイけどいいでしょう
17.この指とまれ
18.俺を許してくれ
En 01.人生を語らず
En 02.今夜も君をこの胸に
・メイキング映像 
・「やさしい悪魔」リハーサル映像(都内RHスタジオ)
[CD]
Special EP Disc「てぃ~たいむ」
アーティスト名:T&ぷらいべえつ with 2019T's BAND
M1.「あぁ、グッと」 
M2.「わたしの首領」
M3.「わたしの足音2019」 
M4.「運命のツイスト」(新曲)

 

 

 

 

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松本隆さん、きたやまおさむさん、そして、岡本おさみさん。 ・田家秀樹ブログ・新・猫の散歩

田家秀樹ブログ・新・猫の散歩
松本隆さん、きたやまおさむさん、そして、岡本おさみさん。

3人に共通していること。作詞家。当たり前か。そして、同じ時代だったと言う事がありますね。70年代前半。松本さんは今も作詞家であり続けてますが、きたやまさんも岡本さんも、その後は、それぞれ別の生き方をしていきました。
きたやまさんは、お医者さん、そして大学教授。岡本さんは、旅人、そして演劇。二人とも作詞は片手間というか、時間のある時にやっているかのようになってました。それぞれ作風も違いましたけど、それまでの歌謡曲の作詞家と違う、という一点は共通してました。
何でこんなこと書いてるか。明日、松本隆さんのインタビューがあるんです。この間はFM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」の出演、番組ゲストという形のインタビューでしたけど、明日は、いわゆる取材。喫茶店でテープを回して話を聞くというスタイルですね。
テープとは言わないか(笑)。レコーダーに録音する、ですね。ジブリの「熱風」の連載に関しての補足取材。めったに東京に来られないんで、時間もそんなに長くないです。でも、要点は聞けるかなという感じですね。
きたやまさんは、やはり「J-POP LEGEND FORUM」の加藤和彦さんの特集の時に来ていただきました。二週分ですからね。結構、突っ込んだ本音話が聞けた感じです。そして、岡本おさみさん。11月になくなったんですよね。
きたやまさん、松本さんと立て続けに会っているせいもあるんでしょうね。そう言えば、岡本さん、11月だったよなあ、と思った次第です。あれから4年だ。まだ4年なのか、もう4年なのかはそれぞれの感じ方でしょうけど。
さっき、同時代、と書きましたけど、そういう感慨ですね。ほんとに同じ時代に同じようなところに3人がいた。僕にとって、ですよ。そして、3人とも自分には出来ないことをやっていた。羨望も嫉妬もこめつつ見てました。
彼らの書く詞が好きだった、ということもあるな。あの頃好きだった曲のかなりの割合を3人が占めてますね。シンガーソングライターが書いた曲以外、となるともっと割合が増えます。どっかで自分の生活と一緒になった感じもします。
さっき、自分には出来ないこと、と書きましたけど、特別感があるのは、そういうことでしょうね。つまり、同じ時代に放送作家でしたから、僕にも「作詞しないか」みたいな誘いもなかったわけじゃないんです。
でも、結局、そっちへは行かなかった。同じ文化放送には喜多條さんも放送作家としていました。彼が売れっ子になってゆくのも見てました。でも、自分に出来るとは思えなかったのは、その3人がいたからと言って間違いないでしょう。
あんないい詞が書けるとは到底思えなかった。一時は揺れたこともあったんですよ。でも、必ず冷静になる。あの3人を越えられるわけないじゃん、と自分で思ってしまう。そうなったら出来ません。やらなくて良かった、と思うんです。
まあ、もう一つあるんですけどね。それは「楽しそう」に思えなかった。自分が書いたりしたら、他の人の詞のことも言えなくなるし、音楽が楽しくなくなりそうな気がしたんです。と言ってもそれは後付けかな。自分に出来ると思えなかったんでしょう。
岡本さんがなくなったのは73才。僕の今の年。同じ作詞家だったら、この年になってこんな風に彼らと話が出来たりはしないでしょうし。そういう意味では、これで良かったんだなと思えている感じなんです。感慨はそれですね、って確認してますね(笑)。
こんなお天気だからかな。晩秋という季節は色んな事をしみじみさせます。でも、松本さんにそうやって会うのは緊張しますよ。そんな感傷的なことを言っている場合じゃないです(笑)。というわけで曲ですね。
誰だろうな、やっぱり松本隆さんかな。彼が太田裕美さんに書いた曲「煉瓦荘」を。中央線沿線の詩人の話です。じゃ、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

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2019/11/06

TYIS WOWOWリピート放送のお知らせ

TYIS WOWOWリピート放送のお知らせ

 

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[WOWOWライブ]

●吉田拓郎コンサート2019 -Live 73 years-
 11/9午後0:00
 12/29午後1:00
●吉田拓郎ライブ放送直前スペシャル ~Live 73 years~
 12/29午後0:00
●吉田拓郎 LIVE 2014
 12/29午前10:30

 

2019/11/05 に公開
吉田拓郎 待望の最新コンテンツを収録した豪華なDVD/Blu-ray &CD 作品!!
令和元年の最新ツアー『吉田拓郎コンサート2019 -Live 73 years- 』全20 曲を収録!!
名曲「やさしい悪魔」スタジオ・リハーサル映像やツアーの未公開ボーナス映像、
スペシャルCD には新曲「運命のツイスト」などツアー後に新録された豪華4 曲を収録!!
【DVD / Blu-ray】
令和元年の最新ツアー『吉田拓郎コンサート2019 -Live 73 years- 』
全国7都市7公演より、10年振りの名古屋公演となった名古屋国際会議場センチュリーホールの模様を全曲収録。
今ツアーのセットリストは、すべて吉田拓郎自身が作詞作曲した楽曲で、
ファンにもまったく予想できなかった、数10年ぶりに演奏する楽曲なども収録されており、ツアーに参戦出来なかったファン達にも必見&必聴の内容となっている。
また、ボーナス映像として、7/10 神田共立講堂でのイベントでしか披露されなかった名曲「やさしい悪魔」の貴重なスタジオ・リハーサル映像やツアーのメイキングも収録。
【CD】
同ツアー・メンバーで、T& ぷらいべえつ with 2019T's BAND を結成し、
ツアー後すぐに Special EP Disc「てぃ~たいむ」をレコーディング!
ライブでも演奏され、このツアーのために書き下ろされた新曲「運命のツイスト」
歌詞を新たに加えた「わたしの足音 2019」のほか、自作曲のカバーとして、70' 80' に
大ヒットを記録した「あぁ、グッと」「わたしの首領」の豪華全4 曲を新録収録!

 

 

 

 

 

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2019/11/03

ラジオ・153-0051

ラジオ・153-0051

 

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2019/11/02

貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出

貧乏学生の胃袋を支えてくれた目黒区「ダイエー碑文谷店」の思い出

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ピーク時には年間200億円を売り上げた
東急東横線の学芸大学駅から少し歩いた目黒通り沿いに、大型商業施設・イオンスタイル碑文谷(目黒区碑文谷)があります。休日となれば駐車場に入る車が並び、賑わいをみせているさまは少し懐かしい感じがします。

地上7階・地下1階の建物は、かつてダイエー碑文谷店として親しまれていました。現在は大型商業施設の規制緩和により、郊外の超巨大店舗が当たり前になっています。まだ規制の厳しかった1975(昭和50)年にオープンしたダイエー碑文谷店は、法律が変わる1990年代までは全国でも屈指の超巨大な規模を誇るスーパーマーケットでした。

 もともと、この建物は日本最大級のボウリング場になる予定だったのが計画変更でダイエーが入居したもの。そのため、独特な外観のスーパーマーケットとなったわけです。鉄道駅からも少し離れ目立つ建物もない目黒通り沿いにあって、ダイエー碑文谷店は地域のランドマークとして知られていました。

 そんな同店はダイエーが当時旗艦店として位置づけていたこともあり、メディアにたびたび登場。開店の2年前の1973(昭和48)年に、ダイエーは大手デパートの三越を抜いて小売業の全国トップ企業に踊り出ました。また開店から5年後の1980年には売上高が一兆円に到達しています。そんな巨大企業の旗艦店として、ダイエー碑文谷店はピーク時に年間200億円の売上を達成。多くの業界関係者が視察に訪れる店となっていました。

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 過去の新聞記事を探してみると、1987(昭和62)年には大根やキャベツがすべて10円という破格のセールを実施。1988年には当時としてはまれだった、1月2日の初売り営業。牛乳パックやアルミ缶などのリサイクルを開始するなど、なにかと「ダイエー碑文谷店では……」という表現が用いられています。都心に近くメディアに多く登場したことで、同店は当時全国に名を轟かせていたダイエーの中でももっとも知られた店舗でした。
ありとあらゆるものが試食できた
現在はビルの影になっていますが、ガラス張りになったエレベーターから当時天気がいい日には東京タワーが見えたといいます。また、店内で若者に人気だったのがドムドムハンバーガー。2017年までダイエーの子会社が運営していた同ハンバーガーチェーンは、開店当初から出店。まさにダイエーの栄華が凝縮した店舗だったのです。
また、高級住宅地の多い目黒区内。かつ駐車場が地下にある店舗ということで、スーパーマーケットにもかかわらず「芸能人に会えるスポット」でした。哀川翔さんや吉田拓郎さんを見かけたという人もいますし、三谷幸喜さんはジャージ姿で気軽に訪れていたようです。吉田拓郎さんはよほどお気に入りのスポットだったのか、『Y』という歌の歌詞に「僕の趣味は雨の日のドライブとダイエーでのお買い物」という一節を入れています。
店舗構成はどこでもみられる1~2階が食料品で、上階が生活用品という構成。この買い物の目的別に売り場を分類するという今では当たり前の陳列も、ダイエー碑文谷店が初めて導入したものです。その中で際立っていたのが店の顔でもある1階食料品売り場です。際立っているのは、安さや品物の豊富さではありません……ほかの競合店と比べて、試食がとても多かったのです。
当時筆者は大学生で東急線沿線に住んでおり、仲間たちと一緒に「今日は碑文谷のダイエーに」と、何度も出掛けたのを記憶しています。幾分か電車賃を使っても十分に楽しむことができたからです。
なにしろ、大勢の人で混雑する日曜日の店内は試食が大盤振る舞い。貧乏学生がとても買えないような値段の牛肉も、惜しげもなく試食できたのです。筆者は一回食べて、また間をおいてもう一度……と売場を何度もグルグル回っていました。しかしケチくさいことなどは決して言われず、腹ペコな胃袋を十分に支えてくれました。
碑文谷はスーパーマーケットの「聖地」
しかし、「流通革命」といわれ栄華を誇ったダイエーは時代の変化に抗えず、表舞台から遠ざかっていきました。その後を受ける形で入居したイオンスタイル碑文谷ですが、単に居抜きで物件を入手して運営しているわけではありません。

 2016年のオープンにあたり、イオンリテールの大島学専務執行役員南関東カンパニー支社長(当時)は「41年前、ダイエーの幹部がマーケットで最高のものをつくろうと努力した」として、「お客さまのライフスタイルに合わせて最高級のものを展開しようということでイオンスタイルにした」(日本食糧新聞 2016年12月28日付)と語っています。

 その熱意があってか、決して人通りの多くない碑文谷周辺でこの周囲だけは常に賑わっています。ダイエー時代と変化しているのは、単に安いだけでなくより幅広い商品が揃っていることです。2018年には目黒通りを挟んだ向かいにある別館に、フランス発のオーガニックスーパー「ビオセボン」がオープンしています。時には節約してスーパーマーケットで安く。時には自分へのご褒美に高価で良い品をという風に、さまざまな買い物スタイルが楽しめるのです。

 ダイエーが歴史の1ページになってしまったことは寂しいですが、今なお碑文谷はスーパーマーケットの「聖地」なのです。

 

 

 

 

 

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2019/10/30

吉田拓郎、新ライブ映像 長く新しい「人生のアウトロ」・田家秀樹「誰も知らないJ-POP」

吉田拓郎、新ライブ映像 長く新しい「人生のアウトロ」・田家秀樹「誰も知らないJ-POP」

 

お馴染みの「春だったね」とかが無いライブ
その期待は裏切る事になるが...
僕には自信があった
このオープニング2曲で「突き進む空気が」
このツアーにかける「音楽魂」が見せられる
それはアマチュア時代からロックバンドで
培ってきた吉田拓郎の集大成となるはずだ
この2曲メドレーで今回のツアーのイメージは
完全に出来上がった
吉田拓郎は、2019年10月30日に発売になったDVD・ブルーレイ作品「TAKURO YOSHIDA 2019-LIVE 73 YEARS-in NAGOYA」のセルフライナーノーツの全曲解説で2曲目の『人間の「い」』でそう書いている。

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「全てが自分であること」

自分のキャリアをどう締めくくるか。
彼の言葉を借りれば「人生のアウトロ」である。つまり、後奏。どんなに感動的な曲でも終わり方次第では全てが台無しになることもある。
まだ日本には「シンガーソングライター」という言葉も「コンサートツアー」や「野外イベント」という形もなかった1970年のデビュー以来約半世紀。70年代以降の音楽に最も大きな影響を与えた希代のスーパースターの音楽人生の「アウトロ」。彼が選んだのは「全てが自分であること」だった。「全てが吉田拓郎」。今年の4月から7月にかけて行われたツアーは、これまでに試みられたことのない内容だった。
ツアータイトルは、今年の4月に彼が「73才」になったことと1973年に発売されたライブアルバムのタイトルが「LIVE73」だったことのダブルミーニングになっている。「LIVE73」は、開設したばかりの中野サンプラザを舞台に、ホーンセクションとストリングスを従えて新曲を演奏、それを録音してそのまま発売するという前例のないライブアルバム。生ギターのフォークソングが全盛の中で「フォークの貴公子」として爆発的な人気を得ていた彼が、そうしたイメージを覆した画期的なものだった。
あれから46年。「2019-LIVE 73 YEARS」は、これまでの「イメージ」や「レッテル」、「栄光」も「時代」も拭い去った素顔を見るような清々しく晴れや
なライブだった。
彼がこのツアーをどういうものしたいか話したのは今年の3月まで2年間続けていたニッポン放送の番組「ラジオでナイト」の中でだ。
彼は「全ての曲を自分の詞曲のものだけにしようと思う」と言った。岡本おさみが詞を書いた「落陽」を始めとして自分以外の作詞家が書いた曲は歌わない。自分の音楽人生は、自分の曲で終わりにしたい。そういう曲(自分以外の詞曲)が聞きたい人は来ないでくれ、とまで言った。
そして、リスナーからこのツアーで聞きたい曲ばかりでなくオープニングやエンディングの曲まで候補曲を募った。彼自身「それまで忘れていた」と全曲解説に書いている11曲目「そうしなさい」は、リスナーから送られてきた曲だ。ファンからの声を参考にして選曲を決める。それ自体がファンとの距離を持ち続けてきた彼にとっては異例のことだった。
どんなツアーになるのか、客席にいたほとんどの人がそんな思いで会場に向かったのではないだろうか。この映像になった名古屋公演は2009年、彼が「最後の全国ツアー」として行った時以来10年ぶりだった。

ライナーノーツに率直な心境

「吉田拓郎」ほど世間のイメージと実像が乖離している人も少ないかもしれない。語られることの少なかった彼の実像。それは一言でいえば「音楽家」としての側面と言っていい。「ミュージシャン的」な語られ方。一つの曲の中で使われているコードやリズム。言葉を載せる時の譜割や演奏するミュージシャンの音のタイミングや楽器の音色に力加減。コーラスのハーモニーの響き方やバランス。音楽の成り立ちや構成へのこだわり。それがいかに個性的で独自のものなのか。そうした純粋音楽論とも言える視点での語られ方がどのくらいあっただろう。彼は、他の歌い手に依頼された曲には詞や曲だけでなく緻密なデモテープも作る編曲家だった。
70年代のフォークやニューミュージックがそういう音楽として捉えられていなかったこともあるだろうし、筆者も含めて書き手にそこまでの能力がなかったということもある。「吉田拓郎論」の多くは、作詞家が書いた「言葉」を題材にしていた。彼が、自分の作品をほとんど語ってこなかったのはそんな状況を踏まえてだったのだと思う。
新作映像は、ステージ上はもちろん、リハーサルのスタジオなどでの彼の「ミュージシャン」あるいは「音楽ファン」としての表情を見事に記録している。彼の言葉を使えば「音楽魂」だ。それぞれの曲について書いている全8頁1万字に及ぶ「セルフライナーノーツ」にも率直な心境が綴られている。
"もともとバラードだがここでは後半
たたみ込むようなロックビートにアレンジ
オリジナルの美味しいところは残しつつ
あくまでスピリッツはロック
素晴らしい演奏だった
ボーカルチームも力強い"
「早送りのビデオ」
"音楽は自由でなければツマラナイ!
変化がなければ楽しくないのだ
全国ツアーから身を引くきっかけは
「同じ曲を毎度のごとく歌い続けて行く事」そこに吉田拓郎は「飽きた」のも遠因である
飽きっぽい、と人は言うかも知れないが
僕自身の音楽への、これがこだわりなのだ
「変化」し続けていたい
「いつの時代」とも話し合える音楽でありたい
そこが70年代フォークを語る連中とは
根本から「ウマが合わない」(笑)"
「流星」

これが「吉田拓郎」なのだ

映像はギター一本を持ってステージに現れるところから始まっている。曲は"ロックンロールの響きがいい"と歌われる「大いなる」。意表を突かれたような客席は続いての「今日までそして明日から」でどよめきが上がる。でも、原曲の"今日まで"の前半部分を省いて"私には私の生き方がある"以降を強調したショートバージョン。"ロックンロール"と"明日から"。そんな挨拶代わりのような始まりはその後の展開を予感させた。
バンドが加わっての一曲目「わたしの足音2019」は、72年の映画「旅の重さ」のために作られた曲だ。「全曲解説」には「監督の気に召さなかった フォーキーな曲想を求めていたのだろうが僕とは意見が合わなかった」と書いている。つまりボツになった。その映画の中で使われたのが「今日までそして明日から」だった。
73年のツアーや75年の野外ライブ「つま恋」くらいでしか歌われなかった「わたしの足音2019」は、こんな歌詞だ。
"人にはそれぞれの叫びがあって
走ったり歩いたり立ち止まったり"
"青春の旅に出てはるかに思えば
この道はそれぞれに忘れじの物語り
明日への足音が聞こえてくるんだ
一歩ずつたしかめてまだ見ぬ旅へ"
これが最後になるかもしれないツアーでなぜこの曲を選んだのか、なぜこうしたアレンジで演奏し歌うのか。今の気分、心境、伝えておきたいこと、更に出したい音。全曲がそうした必然性に沿っている。そして、その理由がどういうものだったかを「全曲解説」で明かしている。ここには作詞家が書いた曲が入り込む余地はないだろうと納得させる。こんなに無駄なく芯の通ったライブ映像は初めてと断言してしまおう。
かつての「LIVE73」が、世の中の風潮に抗って自分の音楽の全貌を見せたライブだったとしたら、「TAKURO YOSHIDA 2019-LIVE 73 YERASー」は、73年の人生の全てを思い残すことないように注ぎ込んだ「生まれて初めて味わう歓びに満ちたサウンドを生み出せる次元に到達していた」(「人生を語らず」)ものになった。
これが「吉田拓郎」なのだ、と今更のように思う。
映像作品にはツアーで披露された「わたしの足音2019」と新曲「運命のツイスト」、近藤真彦に提供した「あぁ、グッと」と石野真子に書いた「わたしの首領」をバンドメンバーで結成したバンド、「T&ぷらいべいつwith2019's BAND」で歌った4曲入りEP「てぃ~たいむ」もついている。
アウトロというのは「曲の終わり」とは限らない。「アウトロ」という名の新曲があってもいい。長く新しい「アウトロ」がここから始まると思わせる「集大成」のライブ映像だった。

 

 

 

 

 

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2019/10/29

吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」とうちゃこ

吉田拓郎 2019 -Live 73 years- in NAGOYA / Special EP Disc「てぃ~たいむ」とうちゃこ😃

 

 

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2019/10/26

153-0051・同窓会

153-0051・同窓会

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2019/10/24

吉田拓郎さん「夏休み」JR谷山駅の到着メロディに

吉田拓郎さん「夏休み」JR谷山駅の到着メロディに

 

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シンガーソングライター・吉田拓郎さんが、鹿児島市の谷山で過ごした思い出を歌った曲「夏休み」。今年8月、期間限定で駅構内で曲が流れたことは、このニューズナウでもお伝えしました。
今度は、JR谷山駅の到着メロディとしてこの「夏休み」が流れることになりました。アレンジと演奏は地元の小学校の音楽の先生が担当しています。
シンガーソングライター・吉田拓郎さんは、伊佐市大口生まれの73歳で、小学校2年まで鹿児島市の谷山ですごしました。ヒット曲「夏休み」の歌詞は、拓郎さんが谷山での少年時代を思い出しながら書いたといわれています。
ファンや地元の有志でつくる「夏休みプロジェクト」のメンバーが、JR指宿枕崎線の谷山駅で曲を流すための工事費を募金活動で集め、今年8月から先月末まで期間限定で拓郎さんの歌が入ったオリジナルの「夏休み」が駅構内で流れました。
そして、JR九州は今月27日から「夏休み」を谷山駅の到着メロディとして構内で流すと23日に発表しました。
到着メロディは10秒程度で、このアレンジと演奏を担当したのが、谷山小学校の音楽教諭の濱崎栞さんです。濱崎さんは、琴やピアノなど5つのパターンを制作し、拓郎さんとJRが話し合った末、採用したのがオルゴール調でした。
(濱崎さん)「私だけではなく、たくさんの方々の思いがこもっているので、それが駅で使われることは、すごくすばらしいこと。使われたことは幸せなことだと思う。」
また、永田清文校長も「夏休み」が子どもたちや地域で歌い継がれていくことを期待しています。
「このことがきっかけで、子どもたちや谷山地区の方々に『夏休み』が親しまれて、歌い継がれていけば、とてもいいことだと思っている。」
このほか、谷山小学校に「夏休み」の歌碑を建設するプロジェクトも進んでいて、ゆかりの名曲で地域を盛り上げたいと、関係者の期待は高まっています。
吉田拓郎さんの曲「夏休み」の到着メロディは、今月27日(日)からJR谷山駅で流れます。

 

 

 

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